田嶋陽子の現在(2024)。結婚や子供を望まない理由。シャンソンの経緯&軽井沢の過去

「結婚は奴隷制度」「自分でパンツを洗えない男は一人前ではない」などと男性優位社会に物申す田嶋陽子(たじまようこ)さん。

テレビ番組に登場した90年代は、男性パネリストにとっての咬ませ犬、あるいはラディカルな女権拡大論者といった役どころに押し込められていた感もありました。

今回は田嶋さんの近況をまとめながら、結婚や子供を望まない理由に迫ります。

また還暦を過ぎてからはじめたというシャンソンや、長年居住した軽井沢についても取り上げます。

田嶋陽子のプロフィール

本名:田嶋陽子

生年月日:1941年4月6日

身長:165cm

出身地:静岡県沼津市

最終学歴:津田塾大学大学院文学研究科博士課程

田嶋陽子は現在(2024)も仕事を継続中

2024年に83歳を迎える田嶋さん。

高齢ではありますが、タレントとしての活動はずっと続けています。

芸能活動は現在(2024)も継続中

準レギュラーとして出演している『そこまで言って委員会NP』には、近年も出ていますね。

テレビで元気そうにしている田嶋さんを見て、安心している人も多いのではないでしょうか。


尖った発言で批判の声も少なくない田嶋さんですが、そんな姿をテレビで見せているからこそ、まだまだパワフルと考えることもできますね。

さらに、歌手活動も継続している仕事のひとつ。

新曲をリリースしているわけではありませんが、2006年から続けているライブ活動は近年も行っています。

最近の田嶋さんついて詳しく知らない人がライブの情報を見かけたら、「まだ続いていた」とびっくりするかもしれません。

こうした活動を見ていると、田嶋さんは本当に歌うことが好きなのでしょう。

高齢になっても楽しく仕事をしているのは素晴らしいことです。

年齢的に無理をしすぎるのはよくありませんが、これからもマイペースに楽しく過ごしてほしいものですね。

シニアハウスで暮らしている

田嶋さんは、2023年4月から都内のシニアハウスに入ったことを公表しています。

入居を決意した理由は、利用している人の話を聞いたこと。

なんでも、知り合いのピアニストが90歳の弟子をとっていて、シニアハウスから通ってくることを教えてくれたそうです。

そのシニアハウスは、お世話になった人もたまたま利用しており、お見舞いで何度か訪れたことがあったのだとか。


また、女優の有馬稲子さんがシニア向けの分譲マンションで暮らしている話も耳に入り、興味を抱くようになったそうです。

福祉関連の施設に限らず、実際の体験談を聞いて「これはいいかも」と思うことはよくありますよね。

田嶋さんも、いろいろな話を聞くうちに魅力を感じたのでしょう。

以前は都内と軽井沢の一軒家で2拠点生活を続けており、「軽井沢で何かあったら」という不安を以前から抱いていたという田嶋さん。

入居したシニアハウスは上階に介護病棟があり、いざというときも安心だそうです。

田嶋陽子が結婚や子供を希望しない理由

夫婦同姓の結婚制度に否定的見解をもち、選択的夫婦別姓制度を支持している田嶋陽子さん。

結婚歴はなく、子供もいないことを明かしていますが、結婚を考えたことは何度かあったそうです。

イギリス留学時代に恋に落ちたイギリス人アーティストもその一人でした。

結婚に踏みきれなかった理由は、もし彼と結婚してイギリスで暮らしたら、語学学校の先生になるしかなかったから。

当時田嶋さんは法政大学の教授でしたが、だからといってイギリスの大学で教鞭をとることはできませんでした。

ひと言でいえば、結婚よりもキャリアを重視したわけですね。

田嶋さんいわく、「男手放しても職手放すな」。

現実問題として女性は結婚によって生き方を変えざるを得ない場合があり、だからこそ一人の男性に人生を預けるのは冒険のようなものと述べています。


田嶋陽子さんのフェミニズムの出発点は幼少時からの母親との関係にありました。

抑圧的な母親との関係に苦しみ、その抑圧が自分の中で深く根付いてしまい、自分を解放するのに長い年月を要したそうです。

子供をもたなかったのは、抑圧の連鎖を断ち切りたかったから。

自分が母になった時、わが子に同じ思いをさせてしまうという確信に近いものがあったようです。

子供がいなくて当たり前の人生を送ってきたことから、一人でいても寂しさを感じることはないそうです。

シャンソンデビューの経緯&軽井沢で悠々自適の過去

60歳で法政大学教授を退職し、61歳で議員を辞めて、64歳からはじめたのはシャンソンと書アートでした。

前述のとおり、シニアハウス以前は、東京と軽井沢を往復する悠々自適な生活を送ってきた田嶋陽子さん。

大学教授を定年退職するまでの最後の10年は多忙をきわめ、テレビ出演で疲れ果ててしまうこともあったそう。

やっと一息つくことができたのは、政界を退いて軽井沢に引っ込んでからでした。

ひょんなことから町おこしに参加して歌を習いはじめ、チャレンジ精神に火がついて、やがてリサイタルを開くことに。

2007年には『Ami~恋人~/アヒルのいいぶん」でCDデビューを果たし、トーク&シャンソンコンサートも頻繁に行うようになりました。

元大学教授とシャンソン歌手はかけ離れたイメージがありますが、ご本人の中で矛盾はないとのこと。

なぜならシャンソンはロマンチックなようにみえても、背景にあるのはフランス革命や人権問題など差別に関する生々しい歌詞だったりするのだそう。


シャンソンも主張のひとつということなのでしょう。

ふだんと大きく違うのは、華やかなドレスをまとい、つけまつげをつけること。

つけまつげのつけ方は、2年ほど練習してマスターしたそうです。

ステージには清水の舞台から飛び降りるような思いで立っているため、それくらい変身しないとやっていられないと語っています。

これまで数多くの番組に出演し、どんな相手にもひるまずに女性の社会的地位向上を訴え続けてきた田嶋陽子さん。

怒れるフェミニストは、少し時代に早すぎた人だったのかもしれませんね。

田嶋陽子が再評価されたきっかけ

これまで大学教授、参議院議員と肩書は変わりながらも、フェミニズム運動家の先鋒としてテレビを沸かせてきた田嶋さん。

その姿は視聴者の記憶に焼きついているでしょう。

舛添要一さんらと舌戦を繰り広げた当時とくらべ、人権問題への意識が高まっている昨今、再び田嶋陽子さんに熱い視線が注がれていることに世相の変化を感じます。

再評価のきっかけは2019年、『愛という名の支配』が文庫版で再版されたこと、そしてフェミニスト雑誌『エトセトラ』が「We Love 田嶋陽子!」と題して一冊丸ごと田嶋陽子特集を組んだことでした。

『愛という名の支配』が書かれたのは1992年。

母親との確執をはじめとする果敢な自己開示を入り口に、女性のハイヒール問題、夫婦の家事シェアなどを考察した名著です。

これまで田嶋陽子さんにネガティブなイメージを抱いていた人が著書を読んで感銘を受けるケースも多いのだそう。


彼女は90年代から「セクハラは犯罪」と主張していましたが、「セクハラを受け流せてこそいい女」と受けとめられることもありました。

『#MeToo』や『#KuToo』といったフェミニズム運動を見ていると、時代が田嶋陽子さんに追いついてきた印象すらあります。

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