石立鉄男、伝説と豪快な性格。柳沢慎吾のわかめラーメンCM&樹木希林との共演

インパクトあるアフロ姿で有名な三枚目俳優だった、石立鉄男(いしだて てつお)さん。

コミカルで親しみやすいキャラクターを多く演じましたが、実際はどんな人物だったのでしょうか。

今回は石立さんの伝説的エピソード、性格に迫ります。

併せて、柳沢慎吾さんによるわかめラーメンCMの復活篇、樹木希林さんとの共演ドラマについてご紹介します。

石立鉄男のプロフィール

本名:石立鉄男

生年月日:1942年7月31日

死没:2007年6月1日

身長:177cm

出身地:神奈川県横須賀市

最終学歴:三浦高等学校卒業(現在の三浦学苑高校)

石立鉄男の伝説。豪快な性格とは

まず石立さんの伝説的エピソードと、性格に迫ります。

石立さんは芸能界最強の人物といわれているようです。

坂上忍さんによると、「イカサマでも何でもやる人」でした。


一緒にポーカーをした際は、「いきなりイカサマでお金を取られた」と語っています。

昼間の番組でも平然と暴言を吐く坂上さんですが、不遜な態度は石立さんの影響で培われたようです。

2人とも、ギャンブラーで変わり者、しかも物おじしないという共通点がありますね。

豪快でクセの強い個性派だった石立さん。

マイペースで、現場に遅刻は当たり前でした。

あまりに遅刻が多く、藤竜也さんと殴り合いになったこともあるそうです。

しかし石立さんはかなり腕っぷしが強かったといわれています。

豪快で喧嘩の強い役者として、芸能界の伝説化していったのでしょう。

しかし一方で、シャイな性格だったという証言もあります。

ドラマの撮影現場では、休憩中に煙草をふかしながら1人で過ごしていたそうです。

本当は繊細な性格だからこそ、本来の自分に打ち勝つため、豪快なキャラを演出していた可能性もありますね。

1度見たら忘れがたい、アフロヘアも相まって、芸能界に強烈な印象を残したのでしょう。

柳沢慎吾のわかめラーメンCM復活篇

次に柳沢慎吾さんによる、わかめラーメンCMの復活篇をご紹介します。

石立さんといえば、エースコック「わかめラーメン」のCMを思い浮かべる人も多いでしょう。

「お前はどこのわかめじゃ」というセリフが流行しました。

石立さんが亡くなって約10年後の2016年、柳沢慎吾さんによるリバイバルCMが放映されます。

柳沢さんは、石立さんとドラマで共演経験があり、さらに度々モノマネを披露してきました。

モノマネする際は、アフロヘアをジェスチャーで示すなど、細かい要素まで表現。

さらにネタは本人にも知られていたとのこと。

深夜番組でモノマネを披露した翌日に、エレベーターの中と外で鉢合わせしたそうです。

エレベーターに乗っていた石立さんが、「おい、お前。昨日の番組で…」と、外にいた柳沢さんに声をかけました。

しかしドアが閉まってしまい、怒られずに済んだといいます。

後でスタッフに確認したところ、石立さんは意外にもモノマネを気に入っていたそうです。


怒ろうとしたのではなく、褒めてあげるつもりだったのかもしれませんね。

いずれにせよ、石立さんはきっと、かつて自分が演じたCMを柳沢さんがリバイバルしたことを喜んでいるでしょう。

石立鉄男と樹木希林の共演ドラマ

最後に石立さんと樹木希林さんの共演ドラマをご紹介します。

2人が共演したのは、1976年から翌年に日本テレビで放送されたドラマ『気まぐれ天使』です。

貧しい作家志望の主人公が、公家の生まれ変わりの老女に付きまとわれるホームドラマでした。

主人公を石立さん、老女を当時30代の希林さんが老け役で演じました。

2人には劇団文学座出身という共通点があります。

文学座は当時、「演劇の東大」と呼ばれ、倍率20倍ともいわれる難関でした。

名門劇団で実力を積んだだけあり、2人の演技力は若い頃から周囲を圧倒しています。

実力とインパクトを兼ね備えた名優同士の掛け合いが、懐かしい人というも多いでしょう。

ちなみに希林さんは、放送開始当時は悠木千帆という芸名でした。

31話から樹木希林名義になったそうです。

歴史を感じさせる意味でも、貴重なドラマといえますね。


豪快なイメージながら、シャイな面もあった石立さん。

昭和のドラマを知る多くの人々にとって、忘れがたい存在といえるでしょう。

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