夏目漱石の本名は金之助。名前の由来とは。作品の特徴、左利きで天才?

『坊っちゃん』や『三四郎』など多くの名作を残した夏目漱石(なつめ そうせき)。

「漱石」という響きからして、いかにも堅物な知識人に思えますね。

ただ「漱石」はペンネームで、本名は「金之助」です。

このようなペンネームをつけたのには、ある理由がありました。

今回は漱石の本名とペンネームについて、名前の由来を見ていきます。

併せて漱石作品の特徴、左利きで天才だったという情報に迫りましょう。

夏目漱石のプロフィール


本名:夏目金之助

生年月日:1867年2月9日(慶応3年1月5日)

死没:1916年12月9日

身長:推定159cm

出身地:牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)

最終学歴:帝国大学英文科(現在の東京大学)

夏目漱石の本名は金之助。名前の由来は?

まだ江戸時代の牛込馬場下で、名主・夏目小兵衛直克の五男として生まれた漱石。

彼が生まれた日は「庚申の日」で、この日生まれの子供は大泥棒になるとされていました。

そのためお金を盗む大泥棒にならないよう、厄除けのつもりで「金」の文字を入れ、「金之助」と命名されたそうです。

ペンネーム「漱石」の由来は、中国の故事「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」でした。

かつて西晋の孫楚(そんそ)が「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」と言おうとして、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えました。

間違いを指摘されると、「石で口をすすぐのは歯磨きのため、流れに枕するのは水で耳を洗うため」とごまかします。

ここから転じて「漱石」は、「負け惜しみが強い頑固者」という意味になりました。

自身を頑固者と考えていた金之助は、自分の欠点を逆手に取り、ペンネームにしたのです。

ちなみに漱石と同い年で親友だった俳人の正岡子規も、かつて「漱石」と名乗っていました。

漱石は子規が同じペンネームを名乗っていたことを後で知り、正式に譲り受けたそうです。

初めて金之助が漱石を名乗ったのは、1889年(明治22年)5月25日でした。

当時一高に在学中だった子規が、俳句や漢詩をまとめた『七草集』を友人に回覧させます。

金之助は巻末に、漢詩で批評を書きました。

この時に初めて、「漱石」の号を使ったのです。

2人はこれをきっかけに、親友となりました。

「漱石」という名前は、金之助がプロ作家になる前から使用していた、思い入れのあるペンネームだったのでしょう。

漱石作品の特徴

今なおファンの多い漱石作品。

作品の特徴は、人間の心理を詳細に描いていることでしょう。

『吾輩は猫である』の語り手は猫ですが、飼い主の家庭内における人間関係や人間の心理が客観的にまとめられています。

漱石がなぜ人の心理を描いたかは、はっきり本人が語っていないため不明です。

しかし彼は人間の揺れ動く心理を、作品に「描くべき」と考えていたのではないでしょうか。

彼が生きた時代は、日本が日露戦争を経て、西洋の影響を受けながら近代国家として発展していた頃です。

漱石はイギリス留学時、貧民の姿を目撃し、西洋文明には限界があることを痛感していました。

にもかかわらず、日本は西洋を真似して無理やり発展し続けていたのです。

漱石は時代を客観的に見据えながら、「揺れ動く時代に、決して流されてはならない」と考えていたのでしょう。

だからこそ彼は、自己と他者の内面をいずれも鋭く見据え、人間の心理を作品に描きました。

そして作品を通し、「時代に流されるのではなく、立ち止まって自身の内面と向き合うべき」と訴えたかったのかもしれません。

令和の時代になり、日本はますます技術が発展していますが、ITツールを使える人と使えない人の格差も生じています。

漱石はそんな未来を予見し、激動の時代に生きる人々の心理を書き残しました。


漱石文学は、社会に疲れた人々に寄り添い、自身と向き合う余裕を与えてくれる「心の処方箋」のような小説です。

「難しそう」「国語の授業でつまらなかった」などと毛嫌いせず、心が疲れた時に漱石作品を手に取ってみることをおすすめします。

もしかすると、苦しい時代を生きていくためのヒントが得られるかもしれません。

夏目漱石は左利きで天才?

2017年にテレビ番組「マツコの知らない世界」で、「左利きの世界」を特集していました。

同番組では「左利きには天才が多い」という声に応え、左利きの有名人を紹介。

アインシュタインや王貞治さんなど、名だたる偉人の中に、漱石も含まれていました。

また漱石に加えて、親友の正岡子規も左利きだったとされています。

漱石が実際に左利きだったか断定はできません。

ただ彼が左利きとされるのは、自伝的小説『坊っちゃん』で、主人公が左利きだったためでしょう。

漱石が左利きだったかどうかは別としても、彼は本当に天才だったのでしょうか。

筆者は漱石が天才だったとは考えていません。

日本を代表する知識人のため、秀才だったことは間違いないでしょう。

ただし作家としては遅咲きの37歳で、処女作『吾輩は猫である』を執筆しています。

天才であれば、20代の内から作家としてメジャーデビューしていてもおかしくないはず。

漱石は古今東西の膨大な文献を読み、文学の知識を身につけた上で、小説に活かしています。

天才は感性で小説を書けますが、秀才だった漱石は知識を土台に執筆していたのです。

「左利きの天才」であるダ・ヴィンチやビル・ゲイツとは、明らかに性質が異なっているでしょう。

あえていうなら、漱石は「努力の天才」だったのです。

ただし日本の開化期において彼が、過度な近代化によって格差が生じることを予見していたのは、鋭い観察眼でした。


鋭く時代の先を見据えていた知識人としては、「天才肌の秀才」だったかもしれませんね。

時代を予見し、人間の心理を巧みに描いた漱石。

改めて漱石文学を読み直せば、混とんとした時代を生きる道筋が見えてくるかもしれません。

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