『吾輩は猫である』や『三四郎』を執筆した文豪の夏目漱石(なつめ そうせき)。
堅物なイメージを抱く人も多いようですが、最近ではイケメンという意見もあります。
今回は漱石がイケメンなのか確認し、髭の魅力に迫りましょう。
また愛用の万年筆、温泉好きの一面、木曜会の詳細も確認します。
夏目漱石のプロフィール
本名:夏目金之助
生年月日:1867年2月9日(慶応3年1月5日)
死没:1916年12月9日
身長:推定159cm
出身地:牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)
最終学歴:帝国大学英文科(現在の東京大学)
イケメンで端正な顔立の夏目漱石
若き日の漱石は、凛々しい眉と涼しげな瞳の持ち主で、非常にイケメンです。
若かりし夏目漱石が結構イケメンでタイプwww pic.twitter.com/UdnrcVe7o7
— ☆たお☆ 歴史アカウント (@japa_his34) April 9, 2019
また漱石について、俳優の玉木宏さんに似ているという声もありました。
まって。夏目漱石イケメンすぎじゃない?ただの玉木宏じゃん pic.twitter.com/aBMP6Pov4r
— みきくま (@mikikuma0219) December 15, 2016
#寝言
夏目漱石の若かりし頃は、玉木宏にそっくりなのです‼︎ pic.twitter.com/TmMIzKFE9V— わや文明/あまっつん (@Baron_KIBI) October 3, 2015
右手で頭を支える有名な肖像写真の漱石も、くっきりとした二重瞼に、愁いを帯びた遠い目、まっすぐに通った鼻筋が端正です。
夏目漱石イケメンすぎて小学生のときから惚れてる… pic.twitter.com/CBvOdtlfBS
— ゆず。 (@yuzu_mikan0121) June 6, 2020
漱石の顔立ちを見る限り、彼が古風な二枚目だったことは確かでしょう。
ただし漱石は、あばただらけの自身の顔にコンプレックスを抱いていたようです。
とくにイギリス留学中、長身で色白の西洋人たちの中で、容姿に対する劣等意識にさいなまれました。
しかし現代において、改めて彼の顔を見ていると、凛々しく知性的なイケメンであることがよくわかります。
漱石本人が、後世の人々からイケメンと呼ばれていることを知れば、さぞ喜んでくれたことでしょう。
トレードマーク、髭の魅力
漱石のトレードマークは、知識人らしい風格を感じさせる立派な髭。
彼が髭を生やし始めたのは、帝国大学文科大学を卒業後だったとされています。
大学院に進学後は、見事な髭が生えそろっていました。
当初はひげが伸びるのに任せていたようですが、イギリス留学から帰ると、西洋人風に髭の両端をピンとはねあげるようになります。
夏目漱石とソシュールが似とる
特にひげとまゆげ pic.twitter.com/uTsYFJhm1W— なつきのこ (@twilight4u) November 13, 2014
当時の漱石は、外国かぶれのやや気取った風貌に見えていました。
コスメチックで固めた髭に、ハイカラシャツとフロックコートというファッションは、確かに西洋人風ですね。
毎朝の洗顔後、しっかりと固めた髭の端をはねあげるのが習慣化していました。
漱石は法蔵院という寺院の住職から、「髭を生やせば運が開ける」と言われていたそうです。
そのため人一倍、髭の手入れにはこだわっていたのかもしれません。
ただし胃潰瘍で入院したのをきっかけに、髭の手入れをする気力が失せてしまったのか、はねあげた髭の先を切り落とすようになります。
結果的に、かつての千円札でおなじみの顔立ちになったようです。
漱石の髭の変遷から、彼の生涯をひも解いてみるのも面白いですね。
夏目漱石愛用の万年筆
漱石が愛用していたことで有名な万年筆は、「オノト」です。
久々に登場のオノトの万年筆。
100年前って凄いなぁ!
しかも現役で字を書けます。
勿論 インクは新しいペリカンのロイヤルブルーを入れましたよ。夏目漱石にあやかって枡屋さんの原稿用紙に書いてみよう!革のペンケースは革小物司 岡本拓也さん作。 #オノト万年筆 #夏目漱石 #枡屋原稿用紙 pic.twitter.com/4nniJz2DBF— 竹内さちよ (@gm_pensalley) August 28, 2018
彼は元々、万年筆ではなく、ペンを愛用していました。
イギリス留学時、妹の時子から餞別に贈られた万年筆を、船中で器械体操した際に折ってしまったのです。
意外にうっかり者の漱石ですが、それ以来、万年筆ではなくペンを使用していたとのこと。
やがて万年筆の実用性に気づき、丸善で「ペリカン」の万年筆を購入。
しかし不慣れゆえに、結局手放してしまいました。
エッセイ『余と万年筆』では、ペンに親しんでいた彼が万年筆に慣れず、格闘する様子がユーモラスにつづられています。
ペリカンの万年筆ではうまく文字を書けなかった漱石ですが、ペリカンの姉妹筋オノトに再チャレンジ。
使いやすいオノトに出会って、ようやく漱石も万年筆を愛用し始めたのです。
夏目漱石は温泉好き
漱石は温泉好きとしても有名です。
英語教師として愛媛県松山市で勤務していた際、足しげく通っていたのが、かの有名な「道後温泉」。
こんばんは #森香穂 です😌#勝手にたるスポ
今回は #道後温泉 についてです♨️
日本最古といわれている温泉
あの夏目漱石もこよなく愛していた
温泉なんだそう。私は霊の湯と神の湯に入ってきました💕歴史を存分に
堪能できるオススメスポットです♡
三階個室コースは坊ちゃん団子もついてきますよ✨ pic.twitter.com/moCx7E4KcQ— STU48_member (@STU48_member_) November 9, 2018
代表作『坊っちゃん』にも描くほど気に入っていました。
彼が通った当時の道後温泉は、新築で木の香りが漂っていたといわれています。
親友である正岡子規や高浜虚子とも一緒に、木のぬくもりと共に温泉を楽しみました。
正岡子規、結婚した妻と子孫について。高浜虚子との師弟関係、性格とは
高浜虚子は正岡子規の弟子。ゆかりの地は鎌倉。家系図、妻について
また漱石は一時期、胃潰瘍の静養のため、修善寺温泉の「菊屋」に滞在しています。
静岡県修善寺にある創業から400年の歴史をつなぐ宿「湯回廊 菊屋」が素敵…
夏目漱石や昭和天皇が滞在したと言われる美食と源泉掛け流しの温泉が楽しめるお宿。
純和室から和モダンまで様々な客室と回廊で結ばれた伝統建築が魅力的。
夏目漱石が滞在した「梅の間」で時間を忘れてゆっくりしたい… pic.twitter.com/ik4r3Xtb9d— 旅する2人〜自粛後に行きたいホテル〜 (@futaritrip) March 17, 2021
温泉は、神経質で病気を患いやすかった漱石にとって、もっとも心身が安らぐ場所だったのでしょう。
夏目漱石の木曜会とは?
漱石を語る上で欠かせない存在が「木曜会」。
毎週木曜日の午後3時に、漱石の自宅へ彼の弟子が集まり、議論を交わした会合です。
#夏目漱石 さんに誘われて、漱石山房の木曜会に参加。実は今日漱石山房記念館に行ったのです。行って驚いたことに第一回木曜会は10月11日(木)の午後3時と知る。記念館が出来てこの時期の木曜日そして、行った時間も午後3時前後。あまりの一致に鳥肌がたった。
時空間超えて漱石に教え乞う pic.twitter.com/yi6ecgXggM— 美佳 (@17mika) October 12, 2017
指定日時であれば、弟子に限らず誰でも出入り自由で、さまざまな相談事を抱えた人物も訪問するようになりました。
常連は小宮豊隆、鈴木三重吉、内田百閒、森田草平、寺田寅彦など。
さらにまだ学生だった時期から、芥川龍之介や久米正雄も参加していたそうです。
錚々たる文化人が、漱石を慕っていたことがうかがえます。
漱石は弟子たちに、指導するような態度を取らず、あくまで公平に議論していたそうです。
若い弟子から食って掛かられても、反論せずに受け止めていたといいます。
漱石の高い教養と文才のみならず、優れた人格を慕い、悩みや相談事を抱えて訪れる人も多かった木曜会。
現代は閉鎖的な時代で、人々は反対意見をすぐに拒絶する傾向にあります。
そのため、木曜会のように自由な議論の場の価値が、再評価されるべきかもしれません。
時代を超えて人々を魅了し続ける漱石。
堅物というレッテルを貼らず、ユーモラスで親しみやすい人物として、彼の存在と向き合ってみてはいかがでしょうか。
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