夏目漱石はイケメン&髭の魅力。愛用の万年筆と温泉好き。木曜会とは

『吾輩は猫である』や『三四郎』を執筆した文豪の夏目漱石(なつめ そうせき)。

堅物なイメージを抱く人も多いようですが、最近ではイケメンという意見もあります。

今回は漱石がイケメンなのか確認し、髭の魅力に迫りましょう。

また愛用の万年筆、温泉好きの一面、木曜会の詳細も確認します。

夏目漱石のプロフィール


本名:夏目金之助

生年月日:1867年2月9日(慶応3年1月5日)

死没:1916年12月9日

身長:推定159cm

出身地:牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)

最終学歴:帝国大学英文科(現在の東京大学)

イケメンで端正な顔立の夏目漱石

若き日の漱石は、凛々しい眉と涼しげな瞳の持ち主で、非常にイケメンです。

また漱石について、俳優の玉木宏さんに似ているという声もありました。

右手で頭を支える有名な肖像写真の漱石も、くっきりとした二重瞼に、愁いを帯びた遠い目、まっすぐに通った鼻筋が端正です。

漱石の顔立ちを見る限り、彼が古風な二枚目だったことは確かでしょう。

ただし漱石は、あばただらけの自身の顔にコンプレックスを抱いていたようです。

とくにイギリス留学中、長身で色白の西洋人たちの中で、容姿に対する劣等意識にさいなまれました。

しかし現代において、改めて彼の顔を見ていると、凛々しく知性的なイケメンであることがよくわかります。

漱石本人が、後世の人々からイケメンと呼ばれていることを知れば、さぞ喜んでくれたことでしょう。

トレードマーク、髭の魅力

漱石のトレードマークは、知識人らしい風格を感じさせる立派な髭。

彼が髭を生やし始めたのは、帝国大学文科大学を卒業後だったとされています。

大学院に進学後は、見事な髭が生えそろっていました。

当初はひげが伸びるのに任せていたようですが、イギリス留学から帰ると、西洋人風に髭の両端をピンとはねあげるようになります。

当時の漱石は、外国かぶれのやや気取った風貌に見えていました。

コスメチックで固めた髭に、ハイカラシャツとフロックコートというファッションは、確かに西洋人風ですね。

毎朝の洗顔後、しっかりと固めた髭の端をはねあげるのが習慣化していました。

漱石は法蔵院という寺院の住職から、「髭を生やせば運が開ける」と言われていたそうです。

そのため人一倍、髭の手入れにはこだわっていたのかもしれません。

ただし胃潰瘍で入院したのをきっかけに、髭の手入れをする気力が失せてしまったのか、はねあげた髭の先を切り落とすようになります。

結果的に、かつての千円札でおなじみの顔立ちになったようです。

漱石の髭の変遷から、彼の生涯をひも解いてみるのも面白いですね。

夏目漱石愛用の万年筆

漱石が愛用していたことで有名な万年筆は、「オノト」です。

彼は元々、万年筆ではなく、ペンを愛用していました。

イギリス留学時、妹の時子から餞別に贈られた万年筆を、船中で器械体操した際に折ってしまったのです。

意外にうっかり者の漱石ですが、それ以来、万年筆ではなくペンを使用していたとのこと。

やがて万年筆の実用性に気づき、丸善で「ペリカン」の万年筆を購入。

しかし不慣れゆえに、結局手放してしまいました。

エッセイ『余と万年筆』では、ペンに親しんでいた彼が万年筆に慣れず、格闘する様子がユーモラスにつづられています。

ペリカンの万年筆ではうまく文字を書けなかった漱石ですが、ペリカンの姉妹筋オノトに再チャレンジ。

使いやすいオノトに出会って、ようやく漱石も万年筆を愛用し始めたのです。

夏目漱石は温泉好き

漱石は温泉好きとしても有名です。

英語教師として愛媛県松山市で勤務していた際、足しげく通っていたのが、かの有名な「道後温泉」。

代表作『坊っちゃん』にも描くほど気に入っていました。

彼が通った当時の道後温泉は、新築で木の香りが漂っていたといわれています。


親友である正岡子規や高浜虚子とも一緒に、木のぬくもりと共に温泉を楽しみました。

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また漱石は一時期、胃潰瘍の静養のため、修善寺温泉の「菊屋」に滞在しています。

温泉は、神経質で病気を患いやすかった漱石にとって、もっとも心身が安らぐ場所だったのでしょう。

夏目漱石の木曜会とは?

漱石を語る上で欠かせない存在が「木曜会」。

毎週木曜日の午後3時に、漱石の自宅へ彼の弟子が集まり、議論を交わした会合です。

指定日時であれば、弟子に限らず誰でも出入り自由で、さまざまな相談事を抱えた人物も訪問するようになりました。

常連は小宮豊隆、鈴木三重吉、内田百閒、森田草平、寺田寅彦など。

さらにまだ学生だった時期から、芥川龍之介や久米正雄も参加していたそうです。

錚々たる文化人が、漱石を慕っていたことがうかがえます。

漱石は弟子たちに、指導するような態度を取らず、あくまで公平に議論していたそうです。

若い弟子から食って掛かられても、反論せずに受け止めていたといいます。

漱石の高い教養と文才のみならず、優れた人格を慕い、悩みや相談事を抱えて訪れる人も多かった木曜会。

現代は閉鎖的な時代で、人々は反対意見をすぐに拒絶する傾向にあります。


そのため、木曜会のように自由な議論の場の価値が、再評価されるべきかもしれません。

時代を超えて人々を魅了し続ける漱石。

堅物というレッテルを貼らず、ユーモラスで親しみやすい人物として、彼の存在と向き合ってみてはいかがでしょうか。

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