佐野浅夫の現在。里見浩太朗と家系図。妻との死別と再婚。経歴、水戸黄門について

三代目の水戸黄門として親しまれた、佐野浅夫(さの あさお)さん。

「泣き虫」「庶民的」と呼ばれた、独自の黄門像を作り上げました。

2021年で96歳になりますが、今もお元気で過ごしているのでしょうか。

今回は佐野さんの現在、里見浩太朗さんとの家系図でのつながりを確認します。

また妻、経歴、水戸黄門についてご紹介します。

佐野浅夫のプロフィール


本名:佐野浅夫

生年月日:1925年8月13日

身長:168cm

出身地:神奈川県横浜市

最終学歴:日本大学藝術学部

所属事務所:アクターズセブン

佐野浅夫の現在

佐野さんの現在について見ていきましょう。

ほとんどメディア出演していないため、死亡説もささやかれましたが、90歳を超えてもご健在のようです。

2006年、ドラマ『名奉行! 大岡越前』でゲスト出演して以降、俳優活動をセーブしています。

おそらく年齢的に芸能活動を続けるのは、難しくなってきたのでしょう。

ただしボランティア活動には、意欲的に取り組んできました。

水戸黄門の扮装で老人ホームを訪れたこともあるそうです。

また各地で、朗読や講演も行ってきました。

彼は2007年、初めて自身の戦争体験を語っています。

佐野さんは戦時中、劇団「苦楽座」に参加していました。

劇団は移動演劇隊「桜隊」となり、各地を慰問することになりますが、佐野さんは特攻隊に応召され劇団を脱退。

そして8月6日、広島を慰問していた桜隊は、原爆により壊滅します。

団員の1人である仲みどりさんは、被爆した身体のまま、死に物狂いで広島から東京へ帰りました。

佐野さんは彼女が東京帝国大学付属病院に入院したことを知り、仲間の消息を聞きに見舞います。

しかし寝たきりの彼女に、何も聞けませんでした。

仲さんは、原爆の後遺症に苦しんだ末に亡くなります。

リーダーの丸山定夫さん、ヒロイン女優の園井恵子さんも含め、慰問メンバー9人は全員が死亡。

佐野さんは長年、自分だけが生き残ったことに苦しんできました。

沈黙を守り続けたものの、当時を知る人が誰もいなくなったタイミングで、2007年8月6日に重い口を開いたのです。

東京都目黒区で毎年行われていた、五百羅漢寺での追悼式典で、仲間への思いと反戦を訴えました。

自身の体調に無理のない範囲で、反戦活動と社会貢献を続けてきた佐野さん。

さすがに90代も後半に差し掛かったため、今は自宅でゆっくり過ごしているのでしょう。

里見浩太朗との家系図でのつながり

佐野さんは、五代目水戸黄門として知られる里見浩太朗さんと、親戚にあたります。

里見さんは芸名を使っているためピンと来ないかもしれませんが、本名は「佐野邦俊」です。

2人は又従兄弟でした。

最初に三代目黄門様のオファーを受けたのは、里見さんだったそうです。

里見さんは五代目の黄門様ですが、当時は何らかの事情でオファーを断っています。

結果的に又従兄である佐野さんに白羽の矢が立ちました。

また里見さんの息子は、俳優の佐野圭亮さんです。

「水戸黄門」シリーズをはじめ、多くの時代劇で脇役を務めてきました。

圭亮さんとって佐野さんは、族父にあたります。

佐野一家は「水戸黄門」シリーズに貢献してきた、俳優一族といえますね。

妻との死別と再婚

佐野さんはこれまで2度結婚しています。

初婚は1950年で、妻は英子さんという女性でした。

著書『わたしのお弁当劇場』を発表し、40年以上、夫のお弁当を作ってきたことを公表しています。

著書からわかる通り、おしどり夫婦だったといえますね。

しかし1998年、英子さんは亡くなってしまいます。

佐野さんはショックで、一時芸能活動を休止しました。

そして2年後、21歳年下の育子さんと再婚。

育子さんは、祇園にあるお座敷の女将だったため、きっと人好きで面倒見がよかったのでしょう。

1人で寂しく過ごしている「男やもめ」の佐野さんを世話してあげようと、同情心から結婚したようです。

しかし今では、おしどり夫婦として暮らしています。


2010年から育子さんは、目黒でギャラリーを兼ねた京料理店「紫惟(しのい)」を営み始めたそうです。

2021年現在の運営状況は不明ですが、高齢の夫の面倒を見ながら続けられる仕事をしているのでしょう。

佐野浅夫の経歴

佐野さんが舞台俳優としてデビューしたのは、日本大学芸術学部に在学していた1943年。

前年に結成されたばかりの劇団「苦楽座」へ参加しました。

当時18歳の佐野さんは最年少だったため、周囲の団員にかわいがられたといいます。

1945年に苦楽座は、各地を慰問する移動演劇隊「桜隊」へ改称しました。

先述の通り、桜隊は原爆で壊滅し、たまたま応召されていた佐野さんは生き残ります。

戦後は「劇団民藝」の設立へ参加、数々の舞台に出演。

しかし1971年に劇団内で対立が生じると、下條正巳さんや佐々木すみ江さんたちと共に退団しました。

以降はテレビドラマを中心に、脇役として活動しています。

朗読役としては、NHKラジオ『お話でてこい』で4,000回の放送を達成。

さらに『せん爺さんの太鼓』をはじめ、童話の創作も行っています。

長年の朗読活動を通して、作家というストーリーテラーとしての才能も、自然と備わったのかもしれませんね。

佐野浅夫の水戸黄門

佐野さんは1993年から7年間、ドラマ『水戸黄門』で三代目の黄門様を演じました。

初代の東野英治郎さん、二代目の西村晃さんは、風格のにじみ出る立派な黄門様でした。

しかし佐野さんは、これまでとは一風変わった、「泣き虫黄門様」を演じます。


涙もろくて心優しい黄門様は、庶民的な雰囲気の佐野さんらしい魅力に満ちたキャラクターでした。

246回もの出演をこなした佐野さん。

多くの人に愛された彼の黄門様は、世代を超えて語り継がれていくかもしれませんね。

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