三代目の水戸黄門として親しまれた、佐野浅夫(さの あさお)さん。
「泣き虫」「庶民的」と呼ばれた、独自の黄門像を作り上げました。
今回は佐野さんと里見浩太朗さんとの家系図でのつながりを確認します。
また妻や経歴、水戸黄門のエピソード、死因となった病気についてもご紹介します。
佐野浅夫のプロフィール
本名:佐野浅夫
生年月日:1925年8月13日
没年月日:2022年6月28日(96歳没)
身長:168cm
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:日本大学藝術学部
所属事務所:アクターズセブン
佐野浅夫と里見浩太朗、家系図でのつながり
佐野さんは、五代目水戸黄門として知られる里見浩太朗さんと、親戚にあたります。
「水戸黄門」武田鉄矢で6年ぶり復活!「親しみやすい水戸光圀で」
初代・東野英治郎
2代目・西村晃
3代目・佐野浅夫
4代目・石坂浩二
5代目・里見浩太朗
6代目・武田鉄矢 https://t.co/tIsFSQxm2X pic.twitter.com/I1wixcxUiV— suizou (@suizou) March 13, 2017
里見さんは芸名を使っているためピンと来ないかもしれませんが、本名は「佐野邦俊」です。
2人は又従兄弟でした。
最初に三代目黄門様のオファーを受けたのは、里見さんだったそうです。
里見さんは五代目の黄門様ですが、当時は何らかの事情でオファーを断っています。
結果的に又従兄である佐野さんに白羽の矢が立ちました。
また里見さんの息子は、俳優の佐野圭亮さんです。
「水戸黄門」シリーズをはじめ、多くの時代劇で脇役を務めてきました。
圭亮さんとって佐野さんは、族父にあたります。
佐野一家は「水戸黄門」シリーズに貢献してきた、俳優一族といえますね。
妻との死別と再婚
佐野さんはこれまで2度結婚しています。
初婚は1950年で、妻は英子さんという女性でした。
著書『わたしのお弁当劇場』を発表し、40年以上、夫のお弁当を作ってきたことを公表しています。
著書からわかる通り、おしどり夫婦だったといえますね。
しかし1998年、英子さんは亡くなってしまいます。
佐野さんはショックで、一時芸能活動を休止しました。
そして2年後、21歳年下の育子さんと再婚。
育子さんは、祇園にあるお座敷の女将だったため、きっと人好きで面倒見がよかったのでしょう。
1人で寂しく過ごしている「男やもめ」の佐野さんを世話してあげようと、同情心から結婚したようです。
しかし、結婚後はおしどり夫婦として暮らしました。
2010年から育子さんは、目黒でギャラリーを兼ねた京料理店「紫惟(しのい)」を営み始めたそうです。
2024年現在の運営状況は不明です。
佐野浅夫の経歴
佐野さんが舞台俳優としてデビューしたのは、日本大学芸術学部に在学していた1943年。
前年に結成されたばかりの劇団「苦楽座」へ参加しました。
当時18歳の佐野さんは最年少だったため、周囲の団員にかわいがられたといいます。
1945年に苦楽座は、各地を慰問する移動演劇隊「桜隊」へ改称しました。
先述の通り、桜隊は原爆で壊滅し、たまたま応召されていた佐野さんは生き残ります。
戦後は「劇団民藝」の設立へ参加、数々の舞台に出演。
しかし1971年に劇団内で対立が生じると、下條正巳さんや佐々木すみ江さんたちと共に退団しました。
以降はテレビドラマを中心に、脇役として活動しました。
朗読役としては、NHKラジオ『お話でてこい』で4,000回の放送を達成。
さらに『せん爺さんの太鼓』をはじめ、童話の創作も行っています。
長年の朗読活動を通して、作家というストーリーテラーとしての才能も、自然と備わったのかもしれませんね。
佐野浅夫の水戸黄門
佐野さんは1993年から7年間、ドラマ『水戸黄門』で三代目の黄門様を演じました。
『祝砲の挽歌』今宵は何と言っても犯人ラムフォード大佐の吹替佐野浅夫さんに注目です。3代目水戸黄門です。
#刑事コロンボ pic.twitter.com/i6iKmGreNc— あさみめぐる (@asami_meguru) October 7, 2020
初代の東野英治郎さん、二代目の西村晃さんは、風格のにじみ出る立派な黄門様でした。
しかし佐野さんは、これまでとは一風変わった、「泣き虫黄門様」を演じます。
涙もろくて心優しい黄門様は、庶民的な雰囲気の佐野さんらしい魅力に満ちたキャラクターでした。
246回もの出演をこなした佐野さん。
多くの人に愛された彼の黄門様は、世代を超えて語り継がれていくかもしれませんね。
佐野浅夫の死因と最期の様子
佐野浅夫さんは、日本の俳優として長年にわたり活躍してきました。
彼の死因と最期の様子について詳しく見ていきましょう。
老衰による静かな旅立ち
佐野浅夫さんは、2022年6月28日に96歳で亡くなりました。
死因は老衰と報告されています。京都市内の自宅で静かに息を引き取ったとのことです。
佐野さんの最期の様子について、いくつかの詳細が明らかになっています:
- 5月に肺炎を患い、20日間入院していました。
- 6月初旬に体調が好転し、自宅に戻りたいと希望したため退院しました。
- 6月28日に体調が急変し、妻に見守られながら眠るように亡くなりました。
駆けつけた医師が死因を老衰と判断したとのことです。
佐野さんの死去は、多くのファンや関係者に深い悲しみをもたらしました。
佐野浅夫さんの葬儀は、家族のみで密葬として執り行われました。
これは、佐野さんや家族の意向を尊重したものと思われます。
佐野さんの最期は、96歳という高齢まで活躍し、自宅で静かに迎えたという点で、ある意味理想的な「大往生」だったとも言えるでしょう。
長年にわたる俳優生活を全うし、多くの人々に感動を与えた後、穏やかに人生の幕を閉じたことは、佐野さんの充実した人生を象徴しているように思われます。
佐野浅夫さんの死因が老衰であったことは、彼が長年にわたって活躍し、その才能を十分に発揮した後に、自然な形で生涯を閉じたことを示しています。
これは、多くの人々にとって、佐野さんの人生が充実したものであったことを再確認する機会となったのではないでしょうか。
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