山村聰の家族、息子は?晩年と死因。学歴は東大&華麗な経歴まとめ

知的な雰囲気と堂々たる風格が持ち味の名優だった山村聰(やまむら そう)さん。

『東京物語』(1953年)や『山の音』(1954年)など、数々の名作映画に出演しました。

後年は政治家や軍人など、貫禄ある役柄を多くこなしています。

今回は山村さんについて、家族、息子、晩年の詳細を見ていきましょう。

併せて学歴は東大という情報と経歴を確認します。

山村聰のプロフィール


本名:古賀寛定

生年月日:1910年2月24日

死没:2000年5月26日

身長:171cm

出身地:奈良県山辺郡(現在の天理市)

最終学歴:東京帝国大学文学部(現在の東京大学)

山村聰の家族

まず山村さんの家族についてです。

山村さんの著名な身内には、元佐賀藩士の「古賀定雄」がいます。

佐賀藩士である河内定古の息子で、尊王攘夷論を唱えた人物。

山村さんの祖父にあたります。

大木喬任と江藤新平と並び、「佐賀の三平」として有名です。

1868年(慶応4年)、日田御領所の御用掛に就任し、翌年には品川県権知事として現在の東京都西部を治めました。

他にも佐賀藩大参事、伊万里県参事などに就任しています。

1872年、伊万里県が佐賀県になると、同県の参事に転任。

政府の方針に則った県政を進めますが、県民の反感を買った末に免官となりました。

同年中に宮内少丞となり、その後は足柄県参事や名東県権令など転任をくり返します。

1875年に依願免官するまで、県政を担い続けました。

著名な官僚だった古賀の長男が「古賀千年」で、山村さんの父です。

山村さんは藩士・官僚の血を引く、エリートだったといえます。

山村聰の息子

山村さんの息子について確認します。

結婚の時期や馴れ初めなど詳細は不明ですが、妻は古賀百合子さんという女性でした。

息子の情報はないため、息子自体がいないか、一般人なのでしょう。

官僚の血が流れるインテリの家系であるため、息子がいるとすればホワイトカラーの仕事に就いた可能性が高そうですね。

晩年と死因

山村さんは晩年まで長く活躍していました。

「トヨタ・クラウン」のCMに1962年から83年まで出演。

亡くなる3年前の映画『GOING WEST 西へ…』(1997年)が遺作となります。

おそらく亡くなるまでの3年間は、高齢だったため事実上引退していたのでしょう。

最後の出演映画が公開された年、自伝『迷走千里―年々歳々今を尊く生きる』を発表。

60年の俳優人生を振り返った筆は冴えており、高齢になっても知的でクールだったことがうかがえます。

2000年5月26日、急性心筋梗塞によって90歳で亡くなりました。

晩年も老いを感じさせない、ダンディで渋い紳士だったのでしょう。

山村聰の学歴は東大?

山村さんの学歴について見ていきます。

出身高校は神戸一高で、現在の兵庫県立神戸高等学校です。

偏差値77の名門校であり、兵庫県内では偏差値ランキング1位の難関。

小説家の村上春樹さん、衆議院議員の伊東信久さんなど、多くの知識人を輩出しています。

山村さんは同校を卒業後、東京帝国大学文学部に進学。

つまり現在の東京大学文学部に合格しているのです。

高校、大学共に名門校を卒業しているため、かなりの秀才といえます。

山村さんには、文学者や政治家を思わせる知的な雰囲気が備わっていたのも、納得できる学歴ですね。

山村聰の経歴まとめ

では大学卒業後の、山村さんの経歴をまとめます。

彼は東大を卒業しながらも、学者や官僚にならず、俳優の道へ進みました。

元々は小説家志望で、脚本の勉強のため学生時代から劇団「太陽座」に入団。

しかし役者不足により、成り行きで舞台俳優になります。

その後は劇団「文化座」を経て、1946年の『命ある限り』で映画デビューを果たしました。

翌年には、溝口健二監督の『女優須磨子の恋』に出演。

往年の大女優・松井須磨子を描いた作品で、田中絹代さんが須磨子を熱演しました。

山村さんは須磨子の愛人である島村抱月に抜擢され、一躍注目を集めます。

1950年、小津安二郎監督の『宗方姉妹』に出演し、第1回ブルーリボン賞を受賞しました。

以降は名だたる名匠の作品に次々と起用され、名優としての地位を確立するのです。

さらに1952年、「現代ぷろだくしょん」を設立し、翌年に『蟹工船』を監督。

他にも『黒い潮』(1954年)や『沙羅の花の峠』(1955年)など、監督としても多くの作品を手がけました。

知性と風格を備えた稀有な俳優として長年活躍する一方、晩年には「笑っていいとも!」や「徹子の部屋」にも出演。

映画を観ない世代の人々にも、親しまれました。

趣味は釣りで、1974年に著書『釣りひとり』を発表。


銀座の釣道具店「ポイント」の経営者としても活動しました。

俳優、監督、作家、果ては釣り道具店のオーナーまで、マルチな才能に恵まれていた山村さん。

エリートとして身につけた教養と堂々たる貫録で、あらゆる分野で活躍した生涯でした。

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