東野英心の死因。息子は作曲家。養子だった?父は水戸黄門&あばれはっちゃく

庶民的な役や悪役などで活躍した、個性派俳優の東野英心(とうの えいしん)さん。

「あばれはっちゃく」シリーズでの父親役を覚えている人は多いでしょう。

今回は英心さんについて、死因、息子は作曲家という情報、養子の噂を確認します。

また父の水戸黄門俳優、「あばれはっちゃく」のエピソードもご紹介します。

東野英心のプロフィール


本名:東野英心

生年月日:1942年1月31日

死没:2000年11月14日

身長:170cm

出身地:東京都新宿区大久保

最終学歴:成蹊高等学校

東野英心の死因とは

まず英心さんの死因を確認します。

英心さんは2000年に、脳出血により58歳の若さで亡くなりました。

11月13日の夜、レストランで会食していた時、突然倒れたそうです。

荏原病院へ救急搬送された際は、まだ意識がありました。

しかし容態は悪化していき、翌日の未明に亡くなったのです。

脳出血の原因は高血圧でした。

以前から医者に、「高血圧だから飲酒を控えるように」と注意されていたそうです。

にもかかわらず飲酒を続けた結果、高血圧で脳出血を発症したのでしょう。

名優がお酒で寿命を縮めてしまったのは、大変もったいないですね。

何とか禁酒して、もっとたくさんの名演を残して欲しい俳優でした。

息子は作曲家?

英心さんの息子は、1971年生まれの作曲家でシンガーソングライターの東野克さんです。

映画『あらしのよるに』(2005年)に楽曲提供するなど、音楽家として映画界に貢献してきました。

幼少期から音楽に触れていたそうで、13歳でクラシックギター、15歳でオーボエのレッスンを受けています。

18歳からは和声法とジャズ理論に加え、ボイストレーニングも修得。

尚美音楽大学で電子音楽の作曲を学び、卒業後はミュージシャンになりました。

英心さんと親子で「クリスマスディナーショー」を開催したこともあるそうです。

俳優の道には進まなかった克さんですが、2013年に1度だけ映画出演しています。

『潜伏』という、オウム真理教信者の逃亡生活をモチーフにした作品でした。

自身でも貴重な体験ができたと感じているそうですが、プロ俳優になるつもりはないようです。

音楽の才能があるからこそ、俳優ではなく音楽家として映画作りにかかわる方が楽しいのでしょう。

俳優にならない方が、父と比べられることもなく、気楽なのかもしれませんね。

東野英心は養子だった?

ネット上には「英心さんが養子だった」という噂があります。

英心さんの父は、映画やドラマで活躍した名優・東野英治郎さんです。

2人の顔は、親子にしてはあまり似ていません。

丸顔でふくよかな英心さんに対して、父親の英治郎さんは面長で細身。

親子にもかかわらず似ていないため、英心さんが養子という噂に納得する人も多いようです。

しかし実際に英心さんが養子だったか、真相は不明。

養子だったという確証はない以上、実際の息子と考えてよさそうです。

いずれにせよ親子の容姿が似ていないため、養子の噂が流れたのでしょう。

父は水戸黄門俳優


英心さんの父である英治郎さんは、ドラマ『水戸黄門』の初代黄門様として知られています。

1969年から14年間、黄門様を演じ続けました。

「カッカッカ」と笑う声が印象的な黄門様を、今でも記憶している人は多いでしょう。

英心さんも『水戸黄門』に脇役として出演し、計4回の親子共演を果たしたそうです。

「水戸黄門の息子」として英心さんを記憶にとどめている人も、多いかもしれませんね。

東野英心とあばれはっちゃく

父の英治郎さんといえば『水戸黄門』ですが、英心さんの代表作は『あばれはっちゃく』です。

1979年から6年間、同シリーズに出演し続けました。

主人公「桜間長太郎」の父「桜間長治」を演じた英心さん。

長太郎がトラブルを起こすと、「情けなくて涙が出てくらぁ」と嘆くセリフが人気を博しました。

「東野英心」と聞いてピンと来ない人でも、「長太郎のお父さん」と聞けば、すぐに顔が思い浮かぶでしょう。


脇役ながら多くの人に印象を与えた英心さん。

再放送や配信などで、名演を見直す価値のある俳優といえるでしょう。

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