東野英治郎の息子&孫も芸能人。結婚について。水戸黄門・西村晃との違いと共通点

TBSの時代劇『水戸黄門』で、14年にわたって黄門様を演じた東野英治郎(とうの えいじろう)さん。

元々は舞台役者で、戦後は黒澤明作品を始め数々の映画で悪役を演じる、個性派でした。

今回は東野さんについて息子と孫の情報、結婚の詳細を見ていきます。

また『水戸黄門』で演じた黄門様の演技について、後任の西村晃さんとの違いを確認しましょう。

東野英治郎のプロフィール


本名:東野英治郎

生年月日:1907年9月17日

死没:1994年9月8日

身長:159cm

出身地:群馬県富岡市

最終学歴:明治大学商学部

東野英治郎、息子も俳優

『水戸黄門』により、お茶の間に広く知られていた東野さん。

息子は、同じく俳優の東野英心(えいしん)さんです。

父は面長、息子は丸顔のため、2人を親子だと思っていなかった人も多いでしょう。

1942年生まれの英心さんは、数々のテレビドラマに出演し、とくに父親役や教師役で知られました。

残念ながら2000年、脳出血により、58歳の若さで急死しています。

俳優になったのは高校卒業後で、かつて父が結成した劇団俳優座の養成所に入所しました。

1962年に『青べか物語』で映画へ初出演。

以降、『ウルトラマンタロウ』の荒垣修平副隊長、『花神』の井上馨などを好演し、人気を博しました。

とくに人気だったのが、『あばれはっちゃく』シリーズで演じた、主人公の父親役。

主人公の長太郎がトラブルを起こす度に、「情けなくて涙が出てくらぁ」と叱るセリフが定番でした。

また『中学生日記』で演じた東教諭も人気キャラクターです。

教師役の経験をもとに、青少年育成団体で講演することもあったといいます。

講演の際には靴を脱ぎ、素足で会場を歩き回りながら話すというパフォーマンスを行いました。

個性的な愛されキャラを多く演じたものの、若くして亡くなったのは残念ですね。

東野英治郎の孫はシンガーソングライター

東野さんの孫は、1971年生まれのシンガーソングライター東野克(かつ)さん。

英心さんの息子として生まれ、歌手活動や映画音楽の作曲を行ってきました。

武蔵野美術学園メディア表現科の教員だった時期があるため、CGやデザインにも造詣が深いようです。

あえて役者の道に進まなかったようですが、映画音楽を担当していた際、映画出演のオファーを受けました。

オファーを引き受けた結果、2013年の映画『潜伏』で役者デビューしています。

オウム真理教の菊地直子被告の逃亡を題材にした映画で、克さんは新興宗教の信者を演じました。

やはり役者の血筋ですから、いざ演技してみると面白かったのか、「オファーがあれば、またやりたい」と語っています。

ただ、積極的に役者として活動する意欲はないようです。

「音楽」という夢中になれる仕事があるのですから、あえて祖父と父とは異なる道を突き進んでいるのでしょう。

結婚相手は下宿のおかみ

東野さんが初めて結婚したのは、1940年のこと。

相手は12歳年上の英乃さんという女性で、彼の下宿のおかみさんでした。


東野さんはまだ大学に在学中で、売れない劇団員としても活動していました。

当然お金はありませんから、英乃さんが懸命に働き、彼を支えてくれたそうです。

2年後に英心さんが生まれたのち、徐々に俳優として売れ始めた東野さん。

しかし1951年、突如妻子を捨て、19歳の女子学生と同居を開始。

相手はテニスを通して交際を始めた、禮子さんという女性でした。

離婚調停が行われたものの、英乃さんは拒否。

献身的に支えた夫が、身勝手にも年下の女性と入籍したがっているのですから、思い通りにさせたくなかったはず。

しかも売れ始めた途端、幼い息子の世話も放棄したことが、許せなかったでしょう。

結局、東野さんは離婚不履行のまま、禮子さんと本格的に同棲してしまいます。

幼い英心さんは、父に反発しながらも、毎月20万円の仕送りをしてくれる父の姿は印象に残っていたそうです。

仕送りを届けに来た父と手をつなぎ、駅まで歩くのが習慣化していました。

手をつないで歩きながら父は、「すべて俺が悪いんだ」と呟いていたそうです。

内縁の妻となった禮子さんは、同時にマネージャーとして、東野さんの俳優活動を支えています。

世間は俳優座の名優だった彼の私生活を長らく黙認していましたが、1981年に英乃さんが亡くなると、マスコミが騒ぎ始めます。

告別式で東野さんが亡き妻について語ると、「2人の妻」問題が明るみに出て、マスコミは大々的に報道。

そして一周忌後の1982年、息子にも知らせず、東野さんと禮子さんは秘かに入籍しました。

74歳にして、内縁の妻と正式に結ばれたのです。


同時期に、長年務めた水戸黄門役を降板。

「色々しんどいことがあり、自分を見つめ直したいので」と降板理由について語っています。

自分のわがままにより妻子に苦労をかけた分、償いのつもりで黄門という大役から身を引いたのかもしれません。

スキャンダルにより周囲の圧力で降板させられることを避けた東野さん。

自分から身を引いた方が、自らに罰を与えることになり、結果的に亡き妻への償いになると考えたのかもしれません。

水戸黄門、西村晃との違いと共通点

東野さんの後任として水戸黄門を演じたのは、怪優として知られた西村晃さん。

2人には、面長な風貌と、若い頃は悪役が多かったという共通点があります。

ただし2人の水戸黄門での演技は、まったく異なるものでした。

東野さんは「カッカッカ」という独特な笑い方で、庶民的な魅力を発揮し、お茶の間の人気者となります。

いかにも「親しみやすいお爺さん」らしい印象なのが、東野版の黄門様です。

西村さんはあえて真逆の雰囲気を目指し、若々しく毅然とした雰囲気を重視しました。

結果的に「シティーボーイ黄門」と呼ばれる、気品に満ちた黄門様が完成したのです。

しかし西村さんは1992年、妻の則子さんが亡くなったショックによって黄門役を降板。

合計9年間、大役を務め続けました。


2人の黄門様は、長い『水戸黄門』の歴史の中でも、とくに個性的かつ魅力的だったといえます。

今は亡き名優2人の演技を見比べて、違いを楽しんでみる人が増えることで、彼らの演技は語り継がれていくでしょう。

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