スタジオジブリのプロデューサーとして、多くの名作を手がけてきた鈴木敏夫(すずき としお)さん。
2024年現在も、ジブリの代表取締役として活躍し続けています。
「仕事人間」のイメージが強い鈴木さんは、プライベートではどのような生活を送ってきたのでしょう。
鈴木さんの娘、恵比寿の自宅、出身地の名古屋、勝負服の作務衣についてご紹介します。
併せて結婚、年収情報に迫ります。
鈴木敏夫のプロフィール
本名:鈴木敏夫
生年月日:1948年8月19日
身長:約160cm
出身地:愛知県名古屋市
最終学歴:慶應義塾大学文学部
鈴木敏夫の娘、鈴木麻実子の活躍
鈴木敏夫さんは、日本の映画プロデューサーとして広く知られています。
彼の娘である鈴木麻実子さんについて、彼女の活動や背景を詳しく見ていきましょう。
鈴木麻実子さんの活動と背景
鈴木敏夫さんの娘、鈴木麻実子さんは、カントリーロードの作詞家として知られています。
彼女は1976年に東京で生まれ、様々なアルバイト経験を経て、美容サロンのマネジメント業にも携わりました。
麻実子さんは、父親である鈴木敏夫さんの影響を受けながらも、自身の道を切り開いてきました。
彼女の活動は多岐にわたり、エッセイ執筆やオンラインサロンの運営なども行っています。
- 麻実子さんは、カントリーロードの作詞家として知られています。
- 美容サロンのマネジメント業にも携わっています。
- エッセイ執筆やオンラインサロンの運営など、多岐にわたる活動を行っています。
鈴木麻実子さんは、父親の影響を受けつつも、自身の個性を発揮しています。
彼女のエッセイは、読者に親しみやすいと評判で、多くの人々に支持されています。
また、オンラインサロン「鈴木Pファミリー」では、家族や友人との交流を楽しむ場を提供しています。
麻実子さんは、父親である鈴木敏夫さんについても多く語っています。
彼女は、父親が孫に対してどのように接しているかについても触れ、家族の温かい絆を感じさせるエピソードを紹介しています。
特に、父親が息子に対して「死んだおじいちゃん」と紹介される場面は、微笑ましいと感じられます。
鈴木敏夫さんと麻実子さんの関係は、単なる親子関係を超えた深い絆で結ばれています。
麻実子さんが父親の影響を受けつつも、自身の道を歩んでいる姿は、多くの人々にとって励みとなるでしょう。
鈴木麻実子さんの活動は、今後も多くの人々に影響を与え続けると思われます。
彼女の多彩な才能と情熱は、多くの人々に感動を与えることでしょう。
鈴木敏夫さんの娘としてだけでなく、一人のクリエイターとしての麻実子さんの活躍に今後も注目が集まることが期待されます。
鈴木麻実子さんの活動や背景についての情報を通じて、彼女の魅力と才能を再確認することができました。
彼女の今後の活躍にも大いに期待が寄せられます。
鈴木敏夫の自宅は恵比寿
鈴木さんは40年以上、東京の恵比寿に暮らしてきました。
学生時代からよく恵比寿へ出かけていたといいます。
華やかな渋谷と目黒に挟まれた、静かな雰囲気に惹かれたそうです。
長年同じマンションに暮らしているそうで、最初は4階に住み、途中で8階の空き室も職場として購入。
「アニメージュ」の編集長時代には、60人ほどのスタッフを出入りさせていたそうです。
思い入れのある恵比寿のマンションに暮らし続けながら、必要に応じて同じマンションの空き室を購入してきました。
結果的に病気の両親用をはじめ、次々と部屋を増幅させたそうです。
「仕事は公私混同した方がいい」と語る鈴木さん。
生活と仕事の拠点を恵比寿に定めることで、作業を捗らせていたのでしょう。
鈴木敏夫は名古屋出身
鈴木さんは愛知県名古屋市の出身です。
小学校から高校までは名古屋市に暮らし、慶応義塾大学入学と同時に上京しています。
鈴木さんが名古屋出身ということで、「ジブリは名古屋から始まった」というキャッチコピーすらありました。
2018年には名古屋で、「スタジオジブリ鈴木敏夫 言葉の魔法展」も開催されています。
⚫ジブリは名古屋から始まった!
プロデューサーの鈴木敏夫さんは名古屋出身※その生い立ちを知ることができ、作品の世界観を伝えるため本質を読み取り「言葉」にして伝えてきた。
耳に残る!心に残るフレーズが生み出されるそのこだわりを感じる事ができます。#ジブリ #トトロ #美術館 #名古屋 pic.twitter.com/OIryrldxWV— ローズりーな (@roseyukarina) July 10, 2018
鈴木さんの筆による文字を通して、ジブリ作品の名言や名場面を味わえる展覧会でした。
ジブリと名古屋を関連づける人は少ないでしょう。
しかし本当の「ジブリマニア」なら、ジブリの重役と名古屋とのつながりまで、知り尽くしているかもしれませんね。
鈴木敏夫の作務衣
鈴木さんはいつも、藍色の渋い作務衣を身にまとっています。
アメリカのアカデミー賞授賞式にさえ、作務衣姿で登場しました。
おっさんの発するメタメッセージとしての作務衣は非常に意義深いと思いますが、最近ジブリ鈴木敏夫プロデューサーがメディアに出る時に作務衣を着ているのが物凄く気になってます。米アカデミー受賞式など「そこは紋付き袴だろう」という場でも作務衣。 pic.twitter.com/zwIJgxC751
— いのじゅんAM (@inojun1001) September 23, 2014
職人らしい雰囲気を醸していますが、いつも着用するのはなぜでしょう。
ネットの情報では、「着るものを選ばずに済む」ため、いつも作務衣を着ているとのこと。
ジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏はいつも作務衣らしい。海外の映画祭でもどこに行くも作務衣。着る物を選ばないのが楽と話していたが日本的なモノに日本を代表するクリエイターとしての矜恃も込められているのではないかと感じます。私もどこかのタイミングで作務衣を取り入れたいなと。
— KAZ@デジタル×音楽×ホテルを考察する (@digitaltechsys) November 29, 2020
作務衣を通し、「アニメの職人」というプライドを常に感じることで、仕事へのモチベーションを保っているのでしょう。
彼にとってもっとも着心地のいい、「勝負服」といえそうですね。
鈴木敏夫の結婚
鈴木さんの妻は一般人のため情報はありません。
ただ結婚後、夫婦で1年ほど青物横丁に暮らしたといいます。
その後、先述した恵比寿のマンションへ引っ越したそうです。
仕事と生活を同じマンションでこなしていた鈴木さん。
ストイックな彼を、奥さんは長年支えてきたのでしょう。
鈴木敏夫の年収は?
鈴木さんの年収は公開されておらず、あくまで推測するしかありません。
2024年現在もジブリの代表取締役のため、高額な役員報酬を受け取っているはず。
個人でイベントやテレビ出演もこなしているため、年収は数千万円ではないでしょうか。
ただし収益のほとんどを映画製作費にあてている可能性があるため、手取りは海外セレブには及ばないでしょう。
ジブリ作品のヒットに全力を注いできた鈴木さん。
感染症拡大の危機にもめげず、引き続き活動し続けて欲しいですね。
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