宮崎駿の家は所沢。年収と遺産がすごい?保育園を開園した理由とは

『となりのトトロ』や『もののけ姫』など、世代を超えて愛されるジブリ映画を手掛けてきた、宮崎駿(みやざき はやお)さん。

『千と千尋の神隠し』ではアカデミー賞長編アニメ賞に輝き、日本アニメ映画のすばらしさを世界に知らしめました。

杉並出身の駿さんですが、1970年に引っ越して以来、家は所沢にあります。

実は「トトロ」で描かれたのは、1950年代の所沢だそうです。

今回は駿さんの家がある所沢について見ていきます。

さらに年収と遺産額、保育園を開園していたという情報も確認しましょう。

宮崎駿のプロフィール

本名:宮崎駿

生年月日:1941年1月5日

身長:164cm

出身地:東京都

最終学歴:学習院大学政経学部

宮崎駿の家は所沢

埼玉県所沢市に転居したのは、アニメーターとして働いていた29歳の時。

以来、2021年現在も、所沢市に暮らしています。


「トトロ」の語源も「所沢」だといわれているため、思い入れのある土地なのでしょう。

自宅近くには、通称「トトロの森」と呼ばれる森林があり、駿さんはそこの自然を気に入っているようです。

さらに「クロスケの家」を始め、さまざまなトトロ関連の観光スポットがあり、聖地巡礼におすすめの市といえます。

駿さんの日課は、一市民として、毎朝1時間のごみ拾いに励むこと。

ごみ拾いする姿は、これまでメディアでも取り上げられています。

しかしごみを拾っている間は、あくまで「監督」ではなく「所沢市民」。

普段、部下たちに恐れられる鬼の形相ではなく、まじめな市民の表情でごみを拾っています。

それにしても、2021年に80歳を迎えてなお背筋は真っ直ぐ、足取りも軽やかなのはすごいですね。

健康に気を遣い、運動もかねてごみを拾っているのでしょう。

所沢の自然を愛し、長年住み続けている駿さん。

元々はかつて勤務していた東映動画を始め、アニメ会社が西武線沿線に集まっていたというだけの理由で、住み始めたそうです。

しかし東京の吉祥寺にスタジオジブリを創設してもなお、所沢に住み続けています。

若い頃は東京に住めず不満だったかもしれませんが、今となっては自然豊かな所沢を気に入っているのでしょう。

実際、『となりのトトロ』に登場する自然の風景は、所沢の自然をもとに描きました。

自然が薄れゆく東京の風景を、駿さんは嘆きつつ、眺めているに違いありません。

所沢に暮らし続け、自然を守ることで、自然の大切さを若い世代にも伝えようとしているのでしょう。

宮崎駿の年収と遺産額を調査

次に駿さんの年収と遺産額に迫ります。

数多くの名作アニメを手掛けてきた大御所監督ですから、「年収はかなり高額」と考える人も多いはず。

しかしアニメ業界において、原作者および監督は、それぞれ全体の約1.8%しか印税を受け取れません。

グッズ販売による収益も、監督が受け取る分はわずかだそうです。

1998年に発売された『もののけ姫』VHSは、400万本を売り上げました。

しかし6億円の印税は事務所の利益となり、駿さんの年収は1億5,400万円。

億単位ではあるものの、数億をコンスタントに稼いできたわけではないようです。

さらに制作会社としては小規模なスタジオジブリでは、後進の育成にかける費用と、製作費が膨れ上がっていたとのこと。

駿さんは年収のほとんどを会社の運営に回していた可能性が高いです。

あまり贅沢な暮らしをしている印象がないのはそのためでしょう。

先述の1億円を稼いだ年以降は、自分の利益は8,000万円程度に抑えてきたそうです。


アニメ業界の厳しい懐事情がうかがえますね。

また遺産についてですが、2010年時点で駿さんの総資産が53億7,800万円というデータがありました。

2013年の『風立ちぬ』以降、作品を手掛けていないため、2021年現在の総資産額は10数億プラスされた程度かもしれません。

印税やグッズ売り上げも含め、60~70億程度の総資産があるのではないでしょうか。

だとすれば、遺産額はそこから税金を引かれた分になるため、さらに低いはず。

息子の監督吾朗さんと、次男の木版画家の敬介さんが手にする遺産は、数億程度かもしれません。

スピルバーグ始め、ハリウッドの大物監督には数百億の資産があります。

それに比べると駿さんは、決してセレブとはいえない印象です。

日本の映画界が抱える厳しい財政状況が浮き彫りになりましたね。

宮崎駿が開園した保育園

最後に駿さんが開園した保育園についてです。

2008年に開園した「3匹の熊の家」という施設は、駿さんがジブリスタッフのために作った企業保育園です。

スタジオから徒歩3分ですから、スタッフが安心して仕事と子育てを両立できる施設ですね。

自ら初代園長を務めた駿さんは、開園理由について、「子供は希望の塊」と語っています。

つらいことがたくさんある世界の中で、子供たちは希望。

希望の光を絶やさないために、働く人が子育てに励む一助になるよう、開園したのでしょう。

駿さん自身は、保育園と老人ホームが一体となった、「幼老施設」ができることを望んでいます。


「病院で蛍光灯を眺め、管をつけられたまま死ぬのは嫌だ」と語り、老人と子供が一緒に過ごす施設で最期を迎えたいとのこと。

文明があまりに発展したため、自然が減り、無機質な建物ばかり増えてきた現代。

駿さんは、自然と人間が共存し合える世界を創り上げようと、今なお奮闘しているのでしょう。

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