原節子ハーフ説。出川哲朗と親戚?兄の死と家族、ドイツ映画に出演

謎の引退後は半世紀にわたる沈黙を貫き、95歳でひっそりとこの世を去った原節子(はらせつこ)さん。

日本人離れしたエキゾチックな美貌からハーフやクォーター疑惑が浮上していますが、家族に外国人はいたのでしょうか。

また、よく検索される出川哲朗さんとはどんな関係があるのでしょう。

引退の背景にあったともいわれる兄の事故死、ナチス・ドイツが製作に関与した日独合作映画『新しき土』についても取り上げます。

原節子ハーフ説、出川哲朗との関係は?

戦前から戦後の復興期にかけて映画ファンを魅了し、何も語らず静かに映画界を去ってしまった原節子さん。

引退後は表舞台に登場せず、美しいまま姿を消したことで、その存在はさらに伝説となりました。

28年の女優人生で出演した映画は100本以上、昭和の銀幕に燦然と輝いた大スターの一人です。


彫りの深い西洋風の顔立ちから、いまだハーフ疑惑がささやかれている原節子さん。

目や口など個々のパーツも大きめでエキゾチックな印象を与えます。

ことに目頭から目尻までが約5㎝あるという大きな目は、少女時代から「5㎝眼(まなこ)」と呼ばれたほど。

ハーフのように見えるのは顔立ちだけではなく、身長も165㎝と当時の女性にしてはめずらしく、体格も大柄でした。

小柄で庶民的なかわいらしさというよりは、スクリーン映えするタイプですね。

出演作のなかで、もっとも多くメガホンをとった山本薩夫監督いわく、原さんは骨格が外人で、3代くらい前に外国の血が入っているのではないかとのこと。

ですが、ご本人は藤之助さんという父とナミさんという母の間に神奈川県横浜市にて誕生しています。

一部ではハーフではなくクォーターではないかと思う人もいるようですが、両親のいずれかがハーフという情報はみつかりませんでした。

父・藤之助さんは4代続く日本橋の生糸問屋の息子でしたが、外国人のような美男子だったとのこと。

母・ナミさんも横浜育ちの美人だったそうです。

原節子さんが純血の日本人なのか、外国の血が流れているのかはミステリアスな謎のままになりそうです。

ネット上には、「ヤバイよヤバイよ」の出川哲朗さんと原節子さんは親戚関係という噂もありますね。

過去に『さんまのスーパーからくりTV』でこの噂が検証されたことがありました。

関係が少しややこしいのですが、出川さんの母方の曽祖父・石井佐助さんには精造さんという弟がおり、この精造さんの妻が原節子さんの姉ではないかというもの。

当人である「精造さんの妻」は石井緑園さんという女性で、華道の草月流を仙台に広めた方とのこと。

番組で草月流の本部を取材したところ、この方が原さんの姉という確証は得られず、いまだ真相は明らかになっていません。

女優業は家族のため、兄は事故死

原節子さんは2男5女の末っ子でした。

7人のきょうだいは上から長姉・喜久さん、長兄・武雄さん、次姉・光代さん、三姉・喜代子さん、次兄・吉男さん、四姉・律子さん、そして昌江こと原さんです。

実家は裕福だったものの、1929年にはじまった世界恐慌で暮らし向きは徐々に悪化。

姉・光代さんの夫で映画監督の熊谷久虎さんのすすめで女学校を中退して映画界に入ります。

この決断は家の経済的困窮を救うためで、この時原さんは14歳でした。

原節子さんの女優人生は家族によってスタートし、家族に守られて終わりを迎えたともいえるでしょう。

引退後、メディアの執拗な追跡から身を挺して守り続けたのは甥夫婦でした。

二人の兄のうち、長兄・武雄さんは戦争で帰らぬ人に。

もう一人の兄・吉男さんは東宝の撮影技師。


ところが、映画の撮影中に吉男さんが眼前で轢死(れきし)するという悲劇が原さんをおそいます。

それは1953年7月10日、義兄の熊谷久虎監督がメガホンをとった『白魚』の御殿場駅ロケのこと。

アングルをセッティングしていた吉男さんに、手前で停止するはずだった列車が突っ込み、撮影助手とともに轢(ひ)かれてしまいます。

原因は連絡ミス。

代表作のひとつである『東京物語』がクランクインしたのは、この10日後のことでした。

突然の引退にはさまざまな憶測が流れましたが、兄が眼前で事故死した悲劇が背景にあるという見方もありますね。

原節子が出演した日本&ドイツ合作映画

話は戦前にさかのぼりますが、1936年、撮影の見学にきたドイツのアーノルド・ファンク監督が原節子さんをいたく気に入り、日独合作映画『新しき土』(1937年)のヒロインに抜擢。

当時、日本との関係強化を図っていたナチスが、日本のイメージアップを目的にドイツ主導で製作した映画です。

日本のことをよく知らない外国人がつくった奇妙な作品なのですが、映画は各国でヒットし、原さんは美しい大和撫子として脚光を浴びることに。

プロモーションのためベルリンほかドイツ各地、パリ、ニューヨークなど4か月にわたるツアーを経験することになりました。

ドイツではゲッベルス宣伝相に歓待を受け、ハリウッドではマレーネ・ディートリッヒと会食をしたそうです。


晩年は鎌倉市の自宅で徹底した隠棲生活を送り、生涯独身を通した原節子さん。

その引退理由も永遠の謎となり、伝説の女優として今日に至っています。

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