赤木春恵の娘・野杁泉は事務所スタッフ。孫は俳優。夫と家族まとめ&満州での壮絶体験

昭和から平成に活躍した脇役女優の赤木春恵(あかぎ はるえ)さん。

『3年B組金八先生』で、校長役を演じてブレイク。

以降、『渡る世間は鬼ばかり』を始め、多くのドラマで活躍しました。

2013年の映画『ペコロスの母に会いに行く』では、88歳で初主演を務め、世界最高齢の主演女優としてギネス認定されました。

面倒見の良さで共演者から慕われていましたが、晩年はパーキンソン病に苦しみます。

そして2018年、94歳の時に心不全で亡くなりました。

晩年は家族に介護され、支えられていた赤木さん。

今回は彼女の娘である野杁泉(のいり いずみ)さん、孫、夫の詳細を確認し、家族についてまとめます。

加えて満州での壮絶体験に迫ります。

赤木春恵のプロフィール

本名:小田章子

生年月日:1924年3月14日

死没:2018年11月29日

身長:152cm

出身地:満州長春県(現: 中華人民共和国 吉林省長春市)

最終学歴:京都洛陽高等女学校

赤木春恵の娘・野杁泉は事務所スタッフ

野杁泉さんは元々はタレントだったそうですが、赤木さんの個人事務所「オフィスのいり」のスタッフとして、長年母を支えてきました。

パーキンソン病を患った赤木さんの介護をし、苦労もされたようです。

88歳で介護認定された赤木さんは、3年後に大腿骨を骨折。


介護施設へ入り、延命治療をせずに亡くなりました。

施設では幻覚症状にも悩まされていた赤木さん。

野杁さんは、そんな母が安心して世を去れるよう献身的に支え、見守っていたのでしょう。

親子で本を出版した過去

母娘の共著『大丈夫、なるようになるから。』は、介護生活に苦しむ人々の希望になる書籍です。

「人生はおおむねよければ、それでよい」、という赤木さんの大らかな生き方。

故・森繁久彌さんに言われた言葉だそうですが、いつしか赤木さん自身のモットーになっていました。

人生にはつらく苦しいことが多いものの、おおむねよければOKという、前向きなモットーですね。

赤木さんのモットーは、介護に限らず、さまざまな悩みを抱える人々を励ますことでしょう。

さらに野杁さんは書籍の解説を執筆し、介護する側の人が知っておくと参考になる情報も掲載。

介護する側の人が、後で苦しまないよう、役立つ情報を実体験から提供しました。

将来の介護に不安を抱えている人や、今まさに介護の悩みを抱えている人に、希望をもたらす書籍といえるでしょう。

ちなみに、介護エピソードはメディアで語ることもあり、ラジオ『東京オアシス』などでも披露しています。

本を読んだことがなくても、こうした番組で知っている人は多いかもしれませんね。

娘の夫は事務所社長

野杁泉さんの夫は、「オフィスいのり」の社長である野杁和俊さん。


ただのスタッフではなく、社長夫人なのです。

夫婦で経営する「オフィスいのり」は、赤木さんが亡くなってからも続いています。

2024年現在も、大空眞弓さんや音無美紀子さん、沢田亜矢子さんら複数の芸能人が所属し、活動している状態です。

著書で注目を集めたあと、近年の様子はよくわかっていない泉さんですが、旦那さんと一緒に変わらず事務所を経営しているのではないでしょうか。

ちなみに大空さんは、泉さんと一緒に2019年の『徹子の部屋』に出演。

赤木さんの思い出を語ったことがあります。

赤木さんが亡くなった際は報道陣の取材に対応していた泉さんですが、芸能人ではなくあくまでも一般人。

基本的には頻繁なテレビ出演はありません。

人気番組である『徹子の部屋』で、初めて泉さんを見た人もいるのかもしれませんね。

赤木春恵の孫も俳優

次に赤木さんの孫、夫について見ていき、家族について確認します。

孫は1989年生まれの俳優である、野杁俊希(のいり としき)さんです。

名門劇団である文学座の演劇研究所を卒業し、祖母と同じ俳優の道を選びました。

サスペンスドラマや、大河ドラマ『軍師官兵衛』にも出演し、地道に実績を積んでいたようです。


しかし、2023年1月に訃報が流れました。

同年1月2日、脳出血のために33歳という若さで亡くなったのです。

関係者によれば、前月の12月29日、都内の飲食店にいた俊希さんは誤って階段で転んだそうです。

その際、頭部を強打したため救急搬送。

病院で治療を続けていたそうですが、残念ながら回復は難しかったようです。

元気だった人が突然の事故で亡くなってしまうのは、やりきれないものがありますね。

赤木春恵の夫と家族まとめ

赤木さんの夫は、元東映のプロデューサー栄井賢さんです。

1947年に結婚し、娘の泉さんをもうけます。

48年には夫の勤める東映へ移籍しました。

以降、夫婦二人三脚で、仕事と家庭を両立させてきたのでしょう。

しかし1991年、栄井さんは肺がんにより亡くなります。

以降は再婚していないため、孤独な時間も多かったことでしょう。

それでもなるべく長く仕事を続けることで、悲しみを和らげようとしていたのかもしれませんね。


ちなみに、赤木さんの父親は南満州鉄道の産婦人科医でした。

しかし3歳の頃に亡くなったそうなので、一緒に過ごした時間は短かったようです。

その後、当時まだ中国にいた赤木さんは、母親と一緒に帰国しています。

母親についてはあまり語っていないようで、詳しい情報はありません。

兄弟は、2人の兄がいるのだとか。

どちらの兄かは不明ですが、松竹で助監督として働いていたそうです。

その兄が慰問劇団を設立すると、赤木さんは当時所属していた大映を辞めて劇団に参加。

満州を巡りながら活動していた時期があります。

兄が現地召集されてからは、劇団の座長を務めました。

満州での壮絶体験

赤木さんは9歳の年まで、満州に住んでいました。

父の死後、帰国してからは京都で育ちます。

女学校卒業後、女優になった赤木さん。

その後は前述のとおり兄の劇団で満州を巡っており、終戦はハルビン市で迎えています。

そして満州入りしたソ連兵が、日本人女性をレイプする事件が発生するのです。

赤木さんと仲間の女優が住んでいたアパートの部屋にも、ソ連兵がやって来ました。

そこで女優の機転を利かせます。

汚い衣裳を着け、顔はドーランで薄汚くメイクしました。

こうして汚いおばあさんたちに見える集団を作った結果、ソ連兵は何もせず去って行ったそうです。

壮絶な満州での体験を経て、帰国後はたくましく女優の道を突き進んだ赤木さん。


戦争体験に比べれば、病気やケガに苦しんだ晩年も、そこまで悪くなかったのでしょう。

「おおむねよければ」、結果オーライという彼女の生き方は、今後も多くの人に共感され続けるに違いありません。

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