明治時代に活動した社会主義者の幸徳秋水(こうとく しゅうすい)。
歴史の教科書に名前を残す人物ですが、有名芸能人とつながりがあるようです。
今回は秋水の子孫が井上陽水(いのうえ ようすい)さんという情報と、大竹しのぶさんとの関係を見ていきます。
さらに彼が処刑された大逆事件と、処刑の原因となった社会主義思想についてまとめます。
幸徳秋水のプロフィール
本名:幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)
生年月日:1871年11月5日
死没:1911年1月24日
身長:不明
出身地:高知県幡多郡中村町(現在の高知県四万十市)
最終学歴:国民英学会
幸徳秋水の子孫は井上陽水
まず秋水の子孫が井上陽水さんという情報に迫ります。
陽水さんの本名は「陽水(あきみ)」ですが、先祖代々、男子の名前に「水」という漢字をつける習慣があったようです。
父親は、福岡県の歯医者・井上若水(いのうえ わかみ)さん。
いずれも秋水の血筋だからこそ、名前に「水」がついているのかもしれません。
ただし陽水さんは秋水直系の子孫ではなく、かなり遠縁にあたるといわれています。
秋水の祖父・篤親の代に、分家した弟・篤昌の娘に、「よし」という女性がいました。
此の段々の熱血をさらで何時かは失すべき
日比谷原頭紅の革命の旗翻り
見よ北闕は炎上し灰燼散りて跡もなし
世は永久の秋にして我革命を思うかな
流星一度西に飛び秋水去りて十余年
断頭台上血のしぶき今わの様を思うとき
反逆の血はたぎるかな我は歌わん革命歌#大逆事件 #幸徳秋水 pic.twitter.com/i9q5e10PfX— Y.Syk (@SYK_is_RED) January 23, 2021
彼女は商家・平田屋から分家した山崎弁次郎と縁組。
2人の三男・半次郎は、佐賀で三宅小八重と結ばれます。
小八重の妹・小竹は、三宅家から養子に入った井上魯吉の四男・廣之助です。
この廣之助が、陽水さんの祖父にあたります。
かなりの遠縁ですが、陽水さんが秋水の子孫という情報は、デマではなく事実でした。
陽水さんが詳しく秋水について語ったことはありません。
しかし社会主義思想を原因として処刑された先祖に対し、何らかの思いを抱いている可能性は高いでしょう。
かつて秋水の墓を訪れているようですが、彼への思いを語ってはいません。
先祖の思想や生き方に賛同できないのかは不明ですが、いつかはっきりと秋水への思いを口にする日が来るかもしれませんね。
幸徳秋水と大竹しのぶの関係
次に秋水と、大竹しのぶさんの関係を確認しましょう。
大竹さんと秋水は親類ではありません。
ただ彼女の祖母が、秋水と交流を深めていたそうです。
大竹さんの母は、「江すてる」さんという女性。
旧約聖書のエステル記に登場するユダヤ人の姫・エステルが由来でした。
彼女の母で、大竹さんの祖母が、八重さんでした。
八重さんは「聖書研究会」で、社会主義者の山内権次郎と結ばれます。
彼女は、権次郎と同じ社会主義者の秋水とも交流がありました。
女子英学塾(現在の津田塾大学)を中退後、秋水、権次郎と一緒にアメリカへわたったそうです。
サンフランシスコにわたった八重さんは、現地で子供を出産。
赤ん坊を抱く彼女と秋水の写真は、今でも残っています。
幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義』。
「新訳」をした山田博雄氏インタビュー。
(内村鑑三の聖書講読の会の人々といるサンフランシスコの幸徳。子供を抱く女性は、大竹しのぶの祖母のはず)https://t.co/z5RueraGcf pic.twitter.com/5226TXouUP— 渡邉裕之 (@hirohut) December 9, 2015
「社会革命党」を結成した秋水と、仲間である八重さんは、外務省のスパイに行動を監視されていました。
渡米して2年後、夫の権次郎がチフスで死亡。
その後八重さんは、娘の敏子さんを連れて帰国したそうです。
帰国後はキリスト教伝道師・内村鑑三の講談会に参加し、クリスチャンとして平和活動に尽力しました。
大竹さんの祖母は激動の時代に、社会主義と平和主義を通して、秋水と交流を深めていたのです。
大逆事件と社会主義思想について
そもそも秋水は、なぜ大逆事件で処刑されたのでしょうか。
秋水は1910年(明治43年)6月1日、皇族暗殺の容疑、いわゆる「大逆罪」で逮捕されます。
翌年に死刑判決を受け、内縁の妻・管野スガら11人と共に処刑されました。
1911年1月24日、大逆事件で幸徳秋水ら11名の処刑が行われました。宮下太吉らによる明治天皇暗殺計画が露呈したことを奇貨とし、幸徳ら多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、証拠不十分なまま多くが処刑されました。
事件後、社会主義運動が沈滞するいわゆる「冬の時代」に入ります。 pic.twitter.com/KJOodE60io— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) January 23, 2021
刑死した12人が皇族暗殺計画を立てていた根拠はなく、容疑の大部分が捏造とされています。
しかし彼らの抱く社会主義思想は、当時の日本にとって危険な思想であり、権力側は彼らを排除するため死刑を実行したのでしょう。
社会主義とは、国が資本を平等に国民へ分配する体制です。
資本主義では、各個人が経済活動を行うことで利益を得るため、貧富の格差が生じやすくなります。
幸徳ら社会主義者たちは、一部の富裕層が利益を独占する体制に反発し、国民が平等に利益を得られるよう訴えたのです。
天皇制を信奉していた当時の日本では、彼らの主張は権力者にとって都合が悪く、危険思想でした。
とくに秋水は元祖ゴシップ誌「萬朝報」の記者として、権力者のスキャンダルを赤裸々に公表していました。
彼の活動は権力者の怒りを買い、やがて大逆事件での逮捕につながっていくのです。
社会主義活動を活発に行った末、処刑された幸徳秋水。
有名芸能人との意外なつながりも含めて、掘り下げてみるほど面白い人物かもしれませんね。
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