かつて熱狂的なファンを獲得した「ザ・タイガース」の元ドラマー・瞳みのる(ひとみ みのる)さん。
バンド解散後は、中国語と漢文の高校教員となり、63歳で退職しました。
今回は瞳さんが、現在どのように過ごしているのか確認しましょう。
また中国語の参考書の出版や中国文学研究など、中国語学者としての活動に迫ります。
さらにタイガース解散後の病気、コンサートの実施情報を見ていきます。
瞳みのるのプロフィール
愛称:ピー
本名:人見豊(ひとみ みのる)
生年月日:1946年9月22日
身長:不明
出身地:京都府京都市上京区
最終学歴:慶應義塾大学大学院修士課程修了、北京大学留学
瞳みのるの現在
瞳みのるさんは、かつてザ・タイガースのメンバーとして一世を風靡した音楽家ですが、近年はその多彩な才能を活かし、様々な分野で精力的に活動を続けています。
音楽活動はもちろん、教育者としての顔も持つ瞳さんの現在の姿は、多くの人々に新たな刺激を与えています。
音楽と学問の融合:瞳みのるの新たな挑戦
瞳さんは、音楽活動を再開し、精力的に新曲のリリースを行っています。
76歳を迎えた現在も、毎年欠かさず新曲を発表し続けている姿勢は、多くの人々に感銘を与えているようです。
特に注目すべきは、その歌詞の内容でしょう。
近年の世界情勢を反映させた反戦歌「花は何処へ」は、現代社会に対する瞳さんの深い洞察を示しています。
この曲は、ロシアのウクライナ侵攻を背景に作られたもので、戦争に巻き込まれた人々へのエールが込められています。
瞳さんの反戦・平和への思いは、若い頃から変わらず強く持ち続けられているようです。
- 76歳でも毎年新曲をリリース
- 現代の世界情勢を反映した反戦歌を発表
- 若い頃から変わらぬ平和への思いを表現
音楽活動だけでなく、瞳さんは教育者としての顔も持っています。
慶應義塾高等学校の教諭として、中国語・漢文を担当していた経験を活かし、現在も中国文学・中国語研究を続けています。
この経験は、瞳さんの音楽活動にも大きな影響を与えているようです。
特に、日中近代音楽の交流史の研究は、瞳さんならではのユニークな視点を提供しています。
欧米音楽の東アジアへの導入過程について、歴史的な観点から研究を行っているのです。
この研究は、瞳さんのザ・タイガース時代からの音楽的知識と、教師としての中国語・中国文学研究の成果を融合させたものと言えるでしょう。
瞳さんは、この独自の経験を活かし、音楽、文学、言語を超えた新しい分野を開拓しようと努力しています。
このような多角的なアプローチは、瞳さんの創作活動にも反映されています。
作詞、作曲、訳詩、戯曲の原作、脚本など、多岐にわたる創作活動を展開しているのです。
特に、中国の京劇と日本の舞踊を融合させた公演は、瞳さんの日中文化交流への熱意を示すものとして注目されています。
近年では、日本公演だけでなく中国公演も企画するなど、その活動範囲はますます広がっています。
このような活動は、瞳さんの豊かな経験と知識が結実したものと言えるでしょう。
瞳さんの現在の活動は、音楽と学問の融合という新しい可能性を示しています。
ポップカルチャーの象徴的存在だった元タイガースメンバーが、学術的な深みを持った活動を展開しているのです。
この姿勢は、芸術と学問の境界を超えた新しい文化の創造につながる可能性を秘めています。
瞳さんの多彩な才能と豊かな経験は、現代社会に新たな視点と価値観をもたらしているのかもしれません。
今後も、瞳みのるさんの活動から目が離せないことでしょう。
中国語の参考書を出版
1971年、タイガースが解散すると、瞳さんは学業に専念。
猛勉強の末、翌年に慶應義塾大学文学部中国文学科に合格します。
中国語に情熱を注ぐようになったきっかけは、小説家・中国文学者の柴田錬三郎さんとの出会いでした。
タイガース時代、六本木のレストラン「キャンティ」のオーナーから紹介されたそうです。
優しい柴田さんの人柄を慕い、交流を深めた結果、彼の専門である中国文学の面白さに目覚めたのです。
瞳さんは大学卒業後、教授を志して修士課程にまで進学します。
しかし大学に教授のポストがなかったため、1977年から慶應義塾高等学校で漢文と中国語の教員を務めます。
一方で博士課程に進学し、中国文学の研究を継続。
1981年には北京大学へ2年間の留学を果たします。
帰国後は、再び慶應義塾高等学校で教員を務めました。
教鞭を取る傍ら、金星堂「中国語中級テキスト」をはじめ、中国語の参考書を監修し出版します。
慶應義塾女子高等学校や駿台予備校の漢文講師も務め、カリスマ教員となりました。
ドラマーから人気の中国語講師へと、華麗なる転身を遂げたといえますね。
タイガース解散後は病気?
瞳さんはタイガース解散後、芸能界から姿を消しました。
突然の引退に、彼が病気になったと考えた人もいるようです。
しかし瞳さんはこれまで、大きな病気をしていないとのこと。
先述の通り、解散後は中国文学の研究にのめり込み、2010年まで33年間の教員生活を送っていました。
そして退職後の2011年、沢田研二さんのコンサートツアーへゲスト参加し、40年ぶりにミュージシャンとして復帰するのです。
今でもコンサートを実施
タイガースが解散した1971年1月24日から、ちょうど41年後の2012年1月24日。
沢田研二さんのライブツアー最終日、タイガースのメンバーが全員集まり、ファンを喚起させました。
21年1月には「瞳みのる&二十二世紀バンド」がコンサートを実施。
新型コロナウイルス流行に収束が見えない中でのコンサートでしたが、無事に全公演を終えています。
「瞳みのる&二十二世紀バンド」全公演何とか無事に終えることが出来ました。https://t.co/jARTgw75EM
— 瞳みのる official (@HitomiMinoru) January 14, 2021
2024年現在、ドラマーとして若々しく活躍している瞳さん。
誰もが不安を抱える時代だからこそ、人々へ希望をもたらすため、ステージに立ち続けてきたのでしょう。
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