ザ・タイガースのリードボーカル二枚看板として沢田研二さんと人気を分けた「トッポ」こと加橋かつみ(かはしかつみ)さん。
解散して50年となる2023年現在は、どのような活動をしているのでしょうか。
関心が集まっている娘をはじめ家族について、また沢田研二さんとの不仲説、荒井由実時代のユーミンとの不思議な縁についてまとめました。
加橋かつみのプロフィール
本名:高橋 克己
生年月日:1948年2月4日
血液型:B
出身地:大阪府堺市
最終学歴:京都府立山城高等学校中退
加橋かつみは現在もライブ活動
グループサウンズの頂点を極めたザ・タイガースにおいて、伸びのあるハイトーンボイスと端正なルックスで高い人気を誇った加橋かつみさん。
のちに脱退して岸部シローさんが後を埋めることになりますが、在籍時は沢田研二さんと双璧をなす存在でした。
ザ・タイガース最大のヒットとなった『花の首飾り』や、同窓会と銘打って1982年にリリースした『色つきの女でいてくれよ』はいずれも加橋さんのリードボーカルによる楽曲。
1971年1月24日の「ビューティフル・コンサート」をもって活動に幕を下ろしたザ・タイガース。
日本人アーティストによる初の日本武道館単独公演は彼らの解散コンサートでした。
脱退後はソロアルバムのリリース、ロック・ミュージカル『ヘアー』の紹介・主演、ザ・タイガースや他のGSグループのメンバーとのプロジェクトなど行ってきた加橋かつみさん。
毎月開催するソロライブでは往年のファンに加え、若い世代のファンも獲得してきましたが、ここ最近はコロナ禍の状況を鑑みて、2020年3月以降のライブを自粛中。
2021年3月4日には、アルファミュージックの創設者・村井邦彦さんの古希記念ライブが限定版としてリリースされました。
5月16日には新歌舞伎座での「THE G.S~栄光のグループサウンズ~」公演が控えています。
ザ・タイガース時代を彷彿とさせるギタープレイや澄んだ高音の歌声は健在で、グループサウンズブームを支えた実力をみせつけているようです。
加橋かつみの娘ほか家族について
加橋かつみさんの娘や家族について多くの関心が寄せられているようですが、残念ながらプライベートの情報はないに等しい状況です。
2023年に75歳を迎えますから、年齢的には孫がいても不思議ではありませんね。
加橋かつみさんの女性関係で衆目の知るところとされていたのが川添梶子さんとのロマンス。
彼女は、著名人が集ったイタリアンレストラン、キャンティのオーナー夫人で、デザイナーとしてザ・タイガースの衣装を手がけたこともある女性。
ザ・タイガース脱退後の加橋さんの活動は梶子さん、ひいては川添ファミリーのサポートがあってこそといわれています。
加橋さんはその後、別の女性と結婚して女児が誕生したようですが、それ以上の詳細は不明でした。
加橋かつみLIVE/銀座TACT
8月7日(金)/9月14日(月)
⚠️【LIVE公演延期のお知らせ】
新型コロナウイルス感染症の予防・拡散防止、安全を最優先に考慮し延期とさせて頂きます次回日程は改めてご案内致します
☘一日も早く終息に向かい、皆様と安心して音楽が楽しめる日を心待ちにしております pic.twitter.com/3UA4ySKP9p
— 加橋かつみ official (@kahashikatsumi) July 29, 2020
沢田研二と衝突したザ・タイガース時代
1967年のセカンドシングル『シーサイド・バウンド』に続いて、『君だけに愛を』『銀河のロマンス/花の首飾り』など大ヒットを連発し、またたく間にスターダムに昇りつめたザ・タイガース。
高い音楽志向をもち、繊細で芸術家肌な加橋かつみさんは、アイドル戦略を前面に打ち出す渡辺プロダクションの方針に不満を募らせてグループ脱退を考えるようになります。
とりわけ事務所の意向に従い、プロに徹して仕事を忠実にこなす沢田研二さんとは意見がぶつかることが多く、やがて不仲が報じられるように。
その背景には、渡辺プロの渡辺美佐副社長の沢田研二さんへの愛情に対する反発もあったといわれています。
美佐副社長のお気に入りはジュリーのみで、加橋さんがキャンティで挨拶をした際に「あなた誰だったかしら?」と返されたというエピソードも。
加橋さんがリードボーカルを務めた楽曲がヒット中の話といいますから強烈ですね。
#ザタイガース の中で特に高い人気を誇った #加橋かつみ(トッポ)と #沢田研二(ジュリー)。シングル「花の首飾り」「廃虚の鳩」は加橋ボーカルの名曲。 pic.twitter.com/3yENIF9Z6v
— 昭和レインボー (@ShowaRainbow) May 22, 2020
ジュリーと双璧をなす人気者だったトッポを失うことは事務所にとっても大打撃。
そんななか、1969年3月に加橋さんはザ・タイガースを脱退。
後任にはベーシストのサリーこと岸部修三(現・岸部一徳)さんの弟、シローさんが決まります。
荒井由実の処女作が加橋かつみのアルバムに
松任谷由実さんの荒井由実時代のラストシングル『翳りゆく部屋』は、彼女が14歳の時に作ったといわれる『マホガニーの部屋』が原曲になっています。
この『マホガニーの部屋』に加橋かつみさんが別の歌詞とタイトルをつけて1971年に発表したのが『愛は突然に』。
シングルカットもされていますが、同曲が収録されたセカンドアルバム『1971 花』は、荒井由実さんの処女作がおさめられた幻の名盤。
アルファミュージック創立者の村井邦彦さんの話によると、加橋さんのレコーディングに立ち会った際に録音していた曲がとてもよい曲だったため、提供者は誰かと訊ねると、「由実という女の子」という答えが返ってきたそう。
村井さんはその女の子をすぐに紹介してもらい、高校生のユーミンをスカウト。
しかし、彼女の返事は「大学生になってからお願いします」というものでした。
もともとグラフィックデザイナーを志望していたこともあり、メンバーの衣装デザインも担当するなど、ザ・タイガースには不可欠な存在だった加橋かつみさん。
沢田研二さんとはコインの裏表のような関係性でしたが、スター性のあるリードボーカルが二人いたからこそ、ザ・タイガースの魅力は突出していたのかもしれません。
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