森本太郎の現在。息子&妻との結婚。実家での練習&沢田研二をリスペクト

1967年にザ・タイガースのギタリストとしてデビューし、解散後は音楽プロデューサーとしても多くの歌手を育てた森本太郎(もりもとたろう)さん。

この記事では森本さんの2024年現在の活動を追いながら、よく検索されている息子、結婚した妻について調べます。

デビュー前に練習場になっていた実家や、元ザ・タイガースの沢田研二さんとの関係についてもみていきます。

森本太郎のプロフィール

別名:森本タロー

生年月日:1946年11月18日

出身地:京都府京都市

最終学歴:立命館高等学校

森本太郎は現在もライブ活動

森本太郎さんは、かつてザ・タイガースのギタリストとして一世を風靡した伝説的ミュージシャンです。

現在も音楽への情熱を失うことなく、様々な形で活動を続けており、グループサウンズの精神を次世代に伝える重要な役割を担っています。

「森本太郎とスーパースター」を中心とした活動

森本さんの現在の活動の中心となっているのが、「森本太郎とスーパースター」というバンドです。


このバンドは1999年に結成され、以来20年以上にわたって活動を続けています。

月に一度のペースで定期的な公演を行っており、その精力的な活動ぶりは多くの音楽ファンを魅了し続けています。

「森本太郎とスーパースター」のメンバー構成は常に流動的で、グループサウンズ関係者を中心に豪華で多彩な顔ぶれが揃っています。

このような柔軟な編成により、常に新鮮な音楽を提供し続けることができているのでしょう。

バンドの活動拠点は長らく銀座のライブハウスでしたが、近年では様々な場所でライブを行っています。

  • 1999年から「森本太郎とスーパースター」として活動
  • 月1回のペースで定期的な公演を実施
  • グループサウンズ関係者を中心とした豪華メンバー


森本さんは、オリジナル曲の制作にも力を入れています。

2008年には「森本太郎とスーパースター」として初のミニアルバムをリリースしました。

その後も2010年に2枚目のアルバム「TO MY LOVE」をリリースするなど、精力的に新しい音楽を生み出し続けています。

これらの活動は、グループサウンズの精神を受け継ぎながらも、新しい音楽の創造に挑戦し続ける森本さんの姿勢を表しているように思われます。

また、森本さんは記念すべき節目には特別なコンサートを開催しています。

例えば、2019年には「森本タローとスーパースター再結成20周年記念ライブ」を東京・六本木で開催しました。

このライブには、沢田研二さんや岸部一徳さん、瞳みのるさんといった豪華ゲストが出演し、ザ・タイガースの楽曲を演奏するなど、ファンにとって忘れられない思い出となったことでしょう。

さらに、森本さんは海外でのライブ活動にも挑戦しています。


2018年には、ハワイのホノルルにあるライブハウスで初の海外ライブを敢行しました。

この挑戦は、グループサウンズの音楽を世界に発信する新たな試みとして注目を集めました。

森本さんは、音楽活動以外にも様々な形で自身の経験や知識を次世代に伝えています。

メディアへの出演や、若手ミュージシャンへのアドバイスなど、多岐にわたる活動を通じて、音楽界全体に貢献しています。

特に、音楽制作の裏側や、アーティストとしての心構えなど、長年の経験に基づいた貴重な話題を提供しています。

このような活動は、単なる「元ザ・タイガース」のメンバーという枠を超え、日本の音楽界全体に影響を与える存在となっています。

森本さんの現在の活動は、過去の栄光に甘んじることなく、常に新しい挑戦を続ける姿勢を示しています。

その姿勢は、若い世代のミュージシャンにとっても大きな刺激となっていると考えられます。


また、森本さんは自身のウェブサイトやブログを通じて、ファンとの交流も大切にしています。

最新の活動情報や、音楽に対する思いなどを発信し、ファンとの絆を深めています。

このような直接的なコミュニケーションは、長年のキャリアを持つアーティストならではの魅力となっています。

森本さんの現在の活動は、グループサウンズの精神を守りつつ、新しい音楽の可能性を追求し続ける姿勢を示しています。

その姿は、音楽に対する真摯な態度と、常に前を向く姿勢を体現しており、多くの人々に感銘を与え続けているのです。

森本太郎の息子や結婚した妻は?

ネット上では森本太郎さんの息子について頻繁に検索されているようです。

ですが、結婚した妻を含めて家族に関する情報はまったく出ていません。

息子に関心が寄せられているのは、2015年4月の美勇士さんのツイートがきっかけでしょうか。

美勇士さんによると、森本太郎さんの息子の名前は「たかし」というそうで、画像をみると顔立ちがお父さんにそっくり。

美勇士さんも父親の桑名正博さんの面影をしのばせますね。

このツイート内容は誤情報とは考えられないので、おそらく森本太郎さんには結婚歴があり、息子が誕生したのでしょう。

ザ・タイガース前夜、練習場は森本太郎の実家だった

ザ・タイガースの母体は、1965年に京都の高校生4人組によって結成されたサリーとプレイボーイズでした。

その翌年、サンダースの沢田研二さんをボーカルに迎えてバンド名をファニーズに変え、同年の秋に上京してザ・タイガースになります。

サリーとプレイボーイズ時代、練習場としてよく使ったのが京都市内にある森本太郎さんの実家でした。

日舞の師匠の家だったために稽古場があり、舞台をステージに見立てて練習に励んだそうです。

もともとベンチャーズのコンサートを観て「俺たちにもできるかも」と思ってはじめたアマチュアバンド。


当初はベンチャーズのレパートリーばかりだったのが、ビートルズやローリング・ストーンズなどボーカル入りの曲も練習するようになっていきます。

メンバーは歌のうまいリードボーカルの必要性を感じはじめ、このタイミングで沢田研二さんが加入。

大阪のジャズ喫茶・ナンバ一番のオーディション合格を目標に猛練習をくり返す青春の日々でした。

森本太郎、沢田研二の活動をリスペクト

69歳の誕生日、来年はいよいよ古稀ということが感慨深かったと語る森本太郎さん。

ザ・タイガース現役時代には、まさか自分が70歳までステージに立つとは思ってもみなかったそう。

かつての盟友たちのなかでも、とりわけ沢田研二さんの近年の活動についてはリスペクトしかないと述べています。

2016年11月19日、川崎ラゾーナにて開かれた「My Memories in My Life」は、森本さんの70年の人生を総括した古稀祝いのライブ。

当日はオリジナルメンバーが祝福に駆けつけ、アンコールで森本さん作曲の『青い鳥』『色つきの女でいてくれよ』を披露。

2013年の復活コンサートの再現となりました。


2024年に78歳を迎える森本太郎さん。

森本タローとスーパースターのリーダーとして今後もバンド活動も続け、往年のファンを楽しませてほしいと思います。

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