坂口良子の夫たち。尾崎建夫とは再婚。元夫・田山恒彦との離婚理由とは

坂口良子(さかぐちりょうこ)さんは、若い頃はお嫁さんにしたい女優ナンバーワンに選ばれたこともあったほど人気がありました。

57歳で早逝された坂口良子さんの、実際の結婚生活はどのようなものだったのかを見ていきましょう。

坂口良子のプロフィール

本名:尾崎良子

生年月日:1955年(昭和30年)10月23日

死亡年月日:2013年(平成25年)3月27日

身長:163cm

出身地:北海道余市市

最終学歴:堀越学園高校

所属事務所:アージエス

坂口良子と夫・尾崎健夫は再婚だった

坂口良子さんと尾崎健夫さんの結婚は、長年の交際を経て実現した感動的な物語です。

二人の出会いから結婚、そして最後の日々まで、多くの人々の心を打つ愛の軌跡を辿りました。

プロゴルファーとの運命的な出会いと15年の歩み

坂口さんと尾崎さんの出会いは、1998年にさかのぼります。


知人の紹介で二人は出会い、すぐに意気投合したと言われています。

尾崎さんは、プロゴルファーとして「ジェット」の愛称で親しまれる存在でした。

坂口さんにとって、尾崎さんとの出会いは人生の転機となったようです。

二人は出会ってから10年以上、事実婚の関係を続けていました。

この長い交際期間中、二人は互いを支え合い、絆を深めていったと考えられます。

坂口さんは、前夫との離婚後、多額の借金を抱えていましたが、尾崎さんはそんな彼女を温かく支えたと言われています。

二人の関係は、互いの苦難を乗り越える中で、より強固なものになっていったのでしょう。

尾崎さんは、坂口さんの子供たちとも良好な関係を築いていたようです。


特に、坂口さんの娘である坂口杏里さんとは、家族のような絆で結ばれていたと言われています。

2011年、坂口さんは体調を崩し始めます。

この頃から、二人は正式な結婚を考え始めたのではないかと推測されます。

2012年8月、坂口さんと尾崎さんは正式に結婚しました。

二人の結婚は、多くの人々に祝福されました。

結婚式は、尾崎さんの故郷である徳島県海陽町で行われました。

地元での結婚式は、尾崎さんの故郷への思いと、坂口さんへの愛情が表れた選択だったのでしょう。

結婚後、二人は幸せな新婚生活を送っていたと言われています。


坂口さんは、テレビ番組で「最後は一緒のお墓に入りたい」と語っていたそうです。

しかし、幸せな日々は長くは続きませんでした。

坂口さんの体調は徐々に悪化し、結婚からわずか7ヶ月後、彼女は57歳で亡くなりました。

尾崎さんは、最後まで献身的に坂口さんを看病したと言われています。

二人の短い夫婦生活は、互いへの深い愛情に満ちたものだったと考えられます。

坂口さんの死後、尾崎さんは深い悲しみに暮れながらも、妻の遺志を継ぐ形で生きていくことを決意したそうです。

二人の愛は、短くも濃密な時間の中で、多くの人々の心に刻まれることとなりました。

坂口さんと尾崎さんの物語は、年齢や境遇を超えた真の愛の形を示すものとして、今も多くの人々に語り継がれています。

坂口良子の元夫とは

坂口良子さんの元夫は、本州開発の常務だった田山恒彦(たやまつねひこ)さんでした。

1984年に旅行先で2人は知人を通して知り合いましたが、田山さんは坂口さんよりかなり年上だったので、既婚者だと当初は思っていたようです。

しかし、田山さんは離婚などを経て独身でしたので、何度か会ううちに結婚を意識するようになり、1986年5月24日に婚約会見。

そして、1986年11月7日にシンガポールで華やかに海外挙式をされました。

坂口良子さんの新婚生活は、2人だけの生活ではなく、当時84歳の義父と19歳の義理の娘、さらに実母も同居してのスタートでした。


それから間も無く長男が誕生し、幸せな生活が続くかに見えましたが、バブル崩壊の影とともに、影を落としていきました。

田山さんが常務をしていた本州開発は地上げ屋で、1987年に税務調査で9億円の申告漏れが発覚したのです。

田山さんは事情聴取を受けた後退職し、独立してヤシマ産業という不動産会社を立ち上げました。

マスコミは当時不動産王で地上げの神様と呼ばれていた、田山恒彦さんの奥さんだった坂口良子さんのことを、「地上げ屋の女房」と皮肉っぽく書き立てたのです。

1991年には娘の坂口杏里さんが生まれましたが、その年にバブルが崩壊し、不動産会社も大打撃を受けたとのこと。

翌年の1992年には田山さんのビルが仮差し押さえになり、坂口良子さんも3億円の借金を背負わされたと噂されたのです。

ついに1994年4月にはヤシマ産業は倒産状態に陥ってしまいました。

坂口良子と田山恒彦の離婚理由

坂口良子さんが田山恒彦さんと離婚したきっかけは、田山さんが経営する不動産会社が経営難に陥ったことがきっかけでした。

経営難がマスコミに知られても、当初、坂口さんは、自分には借金などなく、夫婦でなんとか乗り越えていきたいと語っていました。

ところが、田山さんは勝手に坂口さんのマンションを担保に借金して、さらに実印まで勝手に持ち出していたことがわかりました。

坂口良子さんは田山さんのことが信じられなくなるのも当然で、1994年に離婚したのです。

離婚時も潔く、慰謝料は請求しなかったそうです。

しかし、田山さんが勝手に坂口さんを連帯保証人にしており、40億円もの借金を背負わされての再スタートを余儀なくされたのです。

坂口さんは子供を引き取り、必死で働いてその借金をたったの10年で完済したのでした。

笑顔の裏にこんな苦労があったとは、思いもしませんでした。


尾崎建夫さんと再婚してからすぐに病気になられましたが、もしかして、こんな苦労で病気になってしまったのかもしれませんね。

最期は優しい旦那さんに恵まれて短いながらも幸せな日々を過ごされたのがせめてもの救いでした。

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