田中角栄、目白台の家など資産は100億円?新潟の生家が公開、神楽坂ルールの真相は

田中 角栄(たなか かくえい)さんは生涯で巨額の資産を築いたことでも知られています。

その中でも特に有名な不動産といえば「目白御殿」といわれた目白台にある家でしょう。

今回は田中角栄さんの資産や生家を公開した話題、神楽坂の噂をチェックして行きます。

田中角栄のプロフィール

本名:田中 角榮 (たなか かくえい)

出身地:新潟県刈羽郡二田村(現:柏崎市)

生年月日:1918年5月4日

没年月日:1993年12月16日(75歳没)

主な学歴:二田高等小学校

主な役職:内閣総理大臣(第64・65)

目白台の家など、資産は100億円を超えていた

まずは田中角栄さんが過ごした目白台の家など資産について見て行きましょう。

総理大臣時代に「目白の御殿」を完成させたと思ってしまいがちですが、実は国会議員に初当選した昭和22年(1947年)には目白で土地と建物を入手していたそうです。


もちろん全盛期に比べると小さな土地だったものの、郵政大臣や大蔵大臣など政界での出世に伴って土地は拡大して行き、同じように建物も豪華さを増して行きました。

いわゆる目白御殿が完成したのは昭和40年代前半といわれているので、田中角栄さんが総理大臣に就任する4~5年前には代名詞にもなった「目白」が誕生していたのです。

また、保有資産は東京都文京区にある目白御殿(約8,000平方メートル)だけでなく、新潟県の土地や軽井沢の別荘、越後交通の株式などかなりの財産を所有していました。

具体的な金額は長らく明らかにされていませんでしたが、田中角栄さんが亡くなった際に遺族が相続財産として申告した額が119億4,000万円だったことが判明。

しかしながら、税務調査によってファミリー企業の株式など約78億円の申告漏れが指摘されているので、田中角栄さんの最終的な保有資産は約197億円ということになりました。

加えて自身の派閥の議員に配ったモチ代(現金)も相当な額にのぼるので、ピーク時には現金を含めて200億円以上の資産を運用していた可能性はかなり高いでしょう。

不正はあったかもしれませんが、一代で約200億円の資産を築いた才能はさすがと言えますね。

目白台の家は公園になっていた

前項で紹介したように田中角栄さんの相続財産は197億円にものぼりましたが、残された田中真紀子さんら遺族は約65億円という相続税の支払いに苦しんだそうです。

それでも何とか35億円を現金で納付したものの、万策尽きた遺族は目白御殿の庭(約5,000平方メートル)の半分以上を物納する形で相続税の支払いを済ませていました。

物納された土地は「文京区立 目白台運動公園」になり、2009年2月には国家公務員共済組合の運動場と合併して新たな「文京区立 目白台運動公園」に生まれ変わっています。

ちなみに、田中角栄さんが築き上げた目白御殿は田中真紀子さんに引き継がれていました。

さすがに建物自体は公園に含まれていませんが、昭和の政界を彩った目白御殿が市民に親しまれる公園に生まれ変わったのは非常に感慨深いものがありますね。

田中角栄の生家が期間限定で公開された

次は新潟県にある田中角栄さんの生家が公開された件を見て行きましょう。

生家は新潟県柏崎市西山町にあり、近くには田中角榮記念館も建設されています。

普段は非公開であった田中角栄さんの生家ですが、観覧を望む多くの声もあって生誕100年記念を名目に2018年5月から11月までの期間限定で一般に公開されることになりました。

見学できるのは生家の外観や庭、敷地内にある田中角栄さんのお墓のみとなっています。

生誕100年まで生家が公開されていなかったことの方が意外に思えますが、地元の住民や田中角栄さんの熱心やファンからすると待ちに待った開放と言えるでしょう。

ちなみに、目白の御殿から生家まで「3回曲がるだけで着く」というエピソードがありますが、個人やメディアの検証で事実だったことが証明されて話題になっていました。

もっとも、田中角栄さんが東京と新潟を繋ぐ道路建設に指導を入れたのは間違いないでしょう。

神楽坂の交通ルールを変えた伝説

最後に田中角栄さんと神楽坂の交通ルールについて見ておきましょう。

日本には時間帯によって一方通行の方向が変わる「逆転式一方通行」がありますが、非常に珍しい交通ルールなので全国でも片手に納まるほどしか無いそうです。

東京の神楽坂では「逆転式一方通行」が取り入れられており、このルールに変わった背景に田中角栄さんの存在があったとまことしやかに囁(ささや)かれていました。

文京区目白台にあった自宅から国会議事堂や自民党本部(千代田区)までのルートを考えると、午前中は神楽坂の下り、午後は上りの一方通行にするルールは便利に違いありません。

このルールが取り入れられたのは1961年(昭和36)頃と言われており、当時の田中角栄さんは郵政大臣や自民党の政調会長を務めていた全盛期一歩手前の時期と重なります。

田中角栄さんであればルールを変えたとしても不思議ではありませんが、実際には全体の交通量や歩道が狭かったので安全面を考慮して採り入れたと公表されていました。

ここで触れた神楽坂の「逆転式一方通行」は田中角栄さんの権力がいかに大きかったかを表した都市伝説と言われていますが、本当のところは謎のままとなっています。

仮に違ったとしても、田中角栄さんなら「ガハハ、ワシだよ」と笑ってくれるでしょうね。


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