54歳の若さで64代内閣総理大臣に就任した田中角栄さん。
叩き上げの今太閤とも呼ばれる角栄さんは総理として絶大な国民的支持を得ました。
政治家人生40年のなかで議員立法33本という驚異的な偉業を残したまさに「天才」としか言いようのない政治家です。
「コンピューター付きブルドーザー」の異名をとった角栄さん。
人情派として知られるエピソードについて詳しく迫ってみました。
田中角栄のプロフィール
愛称: わかったの角さん、今太閤、角さん、コンピュータ付きブルドーザー、金権政治家、巨悪、闇将軍、永田町、剛腕など
本名:田中角栄
生年月日:1918年5月4日
身長: 164cm
出身地: 新潟県柏崎市
最終学歴: 中央工学校卒業
所属事務所:自由民主党
田中角栄の有名なエピソード
豪快な生き方で数々の逸話を残している角栄さんですが、特に、「生きたお金の使い方」をする人だったというエピソードが数多く残っています。
総理総裁の座を争った「角福戦争」
61代/62代/63代 佐藤栄作(山口)
【退陣】7年8カ月の長期政権を維持したが、政権末期は後継争いが激化、兄岸信介の支持する福田赳夫と、自派の田中角栄による「角福戦争」が行われた。福田に禅譲して影響力を残そうとしたが、すでに求心力は低下していて果たせず、総裁選では田中が勝利。— 歴代首相bot (@PMofjapan) May 7, 2021
好敵手として知られる福田赳夫派の議員のお見舞いに直々向かった角栄さんが、帰り際にさりげなく置いてきた封筒。
その封筒の中身をたしかめると500万円が入っていたそうです。
そのお見舞いが4回あったというのですから驚きです。
田中角栄元首相のエピソードだが、「拘置所に入ったやつに見舞いで花なんか送ってなんになる。拘置所で必要なのは美味いメシだ。」と言って栄養の行き届いた弁当を差し入れさせた。建て前や綺麗事などを捨て去り、本当に必要な現金をすぐに渡せない政府は気がきかないと言われても仕方ない。
— 早見雄二郎(株式評論家) (@hayamiy) April 14, 2020
もともと気前がよいと評判だった角栄さんですが、このような人情を受けた議員はすっかり田中派になったのは言うまでもありません。
このように、スケールの大きなことをさらっとできる人間力で人びとを魅了し続けてきた角栄さん。
田中角栄は、お中元とお歳暮と陣中見舞いの名人だったそうです。
きっと見習ってます。 https://t.co/4nXNSbB0NT— Kagaya (@Kagaya13007313) May 14, 2019
さらにこんなエピソードが残されています。
ルーブル美術館の最高の逸品であったモナリザ。
おはようございます。
燃えるゴミ出した後、畑にぬか撒いてたら汗だら。26℃まで上がる予報ですね。
1974年の今日から東京国立博物館でモナリザ展が開催された。ルーブル美術館が、貸し出しを行ったのはアメリカ、ロシアに引き続き日本。当時の総理田中角栄の外交手腕らしい。なんて知らなんだ。
— 下野ブルーベリーファーム (@SimotukeBbFarm) April 19, 2021
このモナリザは門外不出で、ただ一度、アメリカに渡ったことがあった以外はルーブル美術館の至宝でした。
角栄さんが「モナリザをお土産にしたい(日本で公開したい)」と伝えたことで、モナリザは日本で公開されることになりました。
モナリザとパンダを持ってきた田中角栄。 #Bura_bi
— まみ (@pechka_bear) November 17, 2020
アートの部門でも、日本に貢献した角栄さんでした。
ほかにも、角栄さんは複数の愛人を抱えていたこと、芸者衆から非常にモテた話など、基本的に悪評は少なく、周囲を巻き込んでいくダイナミックなエピソードが多いのも角栄さんの人柄ゆえでしょうか。
さらに、角栄さんは偏食家としても知られ、特に塩辛いものを好んだといいます。
元公設秘書と後援会の方の監修により再現
「角栄おにぎり」
ソフトボール大(米1合分)のおにぎりに海苔が全面に巻いてあって、具はしょっぱい塩鮭
一緒にいただくお漬物は大根の味噌漬け
だそうです
さっきテレビでやってました。塩分摂り過ぎ!— 骨ケーキ (@HONE_ycake) March 26, 2018
東北出身の角栄さんですから、高級食材のキャビアよりもすじこを好んだり、塩辛い鮭のおにぎり、うな重の底の白米がひたひたになるほど醤油をかけて食べるのを好んだなどの話が残されています。
しかし、田中角栄はうな重に醤油をかけて食ってたのかあ。そりゃあ脳梗塞にもなるよなあ。知らんけど。
— たけのこ(あび一味) (@k3125ctj) January 10, 2021
田中角栄の凄さは?
角栄さんは「コンピューター付きブルドーザー」の異名をとるほどの驚異的な頭脳と体力、そして人間力の持ち主でした。
【昭和史に学べ!】田中角栄は六法全書を丸暗記していた……田原総一朗85歳が振り返る“怪物”との5時間
「自分は法律そのもの。全て説明し、論破できる」 #田中角栄 #文藝春秋 https://t.co/3unIKC1DGD— 田原総一朗 (@namatahara) July 30, 2019
数字の暗記から人名までずば抜けた記憶力の持ち主として、六法全書を丸暗記していたという噂もありました。
のちに安倍総理が記録を塗り替えるまで、最年少の内閣総理大臣就任記録をもっていた角栄さんは40年間の議員生活のなかで33本という前代未聞の議員立法を成立させた、まさに偉業を達成しています。
大臣は午前2時から猛勉強 「努力の天才」田中角栄 https://t.co/zoR6eKHaz1
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) August 22, 2019
角栄さんが「凄い」といわれる最大の理由は立身出世といえる角栄さんの経歴にあるのではないでしょうか。
田中角栄もまっさらな善人ではなかったかもしれないが、小卒で苦労して頑張って、
安倍晋三のおよそ1000倍くらいは努力、才能、人間力あったはずだけど、
最後きちんと失脚したんですよ…安倍さんチート過ぎ。
何やっても死なない木の実をかじったんでしょう。??
— 七尾旅人 (@tavito_net) May 9, 2020
高等小学校卒業の総理誕生という偉業はあとにも先にも角栄さんのみです。
「勉強なんて必要無い!田中角栄は小卒じゃないか!」と言う人がいるが
あの人はとにかく勉強家で最終学歴こそ小卒だが
高等科に進み卒業式では総代だったし
勉強して現場監督になったり
海軍兵学校の試験を優秀な成績で突破したりしてる
総理大臣の時も日々勉強してた
だから勉強はした方がいい pic.twitter.com/cORjosTBEY
— 話聞き屋 桜井?? (@sakurai7715) March 6, 2020
人の名前は一度聞いて覚えるというその「人間力」こそ、凄いといわれるゆえんなのではないでしょうか。
田中角栄は天才
長年のライバルだった石原慎太郎が角栄さんについて書いた『天才』という本がベストセラーになりました。
角栄に矢を放った石原慎太郎が天才というのですから角栄が偉大な政治家であるのは間違いありません?? https://t.co/r2sWQuHrN1
— ちくわ (@wIvi9Y7NfjLFnyv) July 25, 2019
角栄さんを天才という人は非常に多いです。
最近読んだ石原慎太郎の「天才」はめちゃ良かった。
田中角栄ってなんかロッキード事件で悪いっていうイメージだったけど超かっこいいし天才やなって思いました。
超おすすめ!#読書#天才https://t.co/56JIFHk4zN— もりみち (@morimichi_t) December 26, 2019
数々のエピソードを見ても、「天才」としか言い様のない角栄さん。
そう。米国に無理に逆らわなくてもやって行けたのでなく、そう思う馬鹿が溢れていただけの話。田中角栄と小室直樹は「やっていけない」と主張。RT @ledline: 理由は簡単だろ、あの当時は米国に無理に逆らわなくてもやって行けた時代であり本気で逆らうだけの準備も出来ていなかった。
— 宮台真司 (@miyadai) January 9, 2011
とはいえ、天才的な頭脳や才能に甘んじることなく、とてつもない努力家だったということです。
努力の天才という言葉が角栄さんをよく表しているといえますね。
田中角栄の秘書について
角栄さんの政務秘書として23年間務めあげたのは早坂茂三(はやさか しげぞう)さんです。
親友を作る鉄則!
平時の親友を作るには、約束を守り、些細なこともキチンと処理して、嘘をつかないことだ。
田中角栄の元秘書早坂茂三著書「男たちの履歴書」より引用。— 成田イサオ (@narinari0103) May 26, 2021
早坂さんは「日本列島改造論」の名づけの親として知られ、角栄さんに関する著作などを数多く残していることで知られています。
田中角栄氏の奥の院が垣間見れる。 『角栄のお庭番 朝賀昭/中澤雄大/Array』 https://t.co/pEiWEm70NC #本が好き
— 書評でつながる読書コミュニティ本が好き! (@honzuki_jp) May 8, 2021
総理大臣としての角栄さんの最期の秘書は朝賀昭さんです。
睡眠時間は短い
角栄さんは午後10時過ぎに寝て午前2時に起きてそこから勉強を始めるというエピソードは有名です。
「私の伯父の村上孝太郎(71年死去)は旧大蔵省の事務次官でしたが、田中角栄さんについて「学歴はないが、スズメの涙ほどの睡眠時間で、寸暇を惜しんで懸命に勉強していた」とよく話していましたよ」
https://t.co/vtx6DKwMBe— Hideo Seki (@seki33) October 15, 2020
コンピューター付きブルドーザーと呼ばれた天性の頭脳に加えて、尋常ではない努力がありました。
角栄先生を天才と呼ぶなら、中曽根元総理は秀才と呼ばれる(私的にはどちらも秀才のイメージだけど)。
角栄先生の睡眠削って勉強した逸話も有名だけど、移動時間に読書したというのは文字では伝わらない苦労がある。20代の学生の話を録音してメモをする話も中曽根元総理の知識欲を物語っている。
— 池田 和也 (@kazuyazaka) September 26, 2020
非常な読書家でもあった角栄さんですが、深夜2時から資料や関連書籍、データなどを頭に入れていく作業が始まったそうです。
記憶力のほか、頭の回転も速く、理解力もスバ抜けていたという角栄さん。
田中角栄は毎日「22時就寝2時起床」で必要な資料に目を通し、不可欠な知識の吸収に努めていた、とどこかの記事で目にした。
やってみようと思ったが、4時間睡眠で何とかなる体じゃない。
ショートスリーパーなのか、そんなこと気持ちでカバーできたのか。
いずれにしてもとんでもない男だ。— アッパマーダ (@koukakuwoagero) November 27, 2019
1934年に新潟から状況した角栄さんは工事現場で仕事をしながら夜学で学んでいた時期があったようです。
田中角栄は夜学の学校に通い工学系ではすごいと聞いた。
本人の謙虚さもあるのだろう。学歴しか自慢できない輩が多すぎる日本。それに左右される日本人も多すぎる https://t.co/yjGCsH8XGM— アッチ (@zxcvbn7531) May 24, 2021
朝5時から夕方の5時までは労働、そしてその後、学問したそうです。
当然、疲労で眠気が襲いますが、鉛筆の芯で自身の親指を刺しながら目を覚ましていたというエピソードが残っています。
田中角栄 1972年 街頭演説 https://t.co/AM4LFRoG43 via @chotokugi #受験 #勉強 #教育 #塾 #メンタル #モチベーション #やる気 #国語 #田中角栄 小学校しか出ておりませんでしたが、肉体労働をしながら、夜学で1級建築士の資格を取り、国民の圧倒的な支持とすさまじい実行力のある総理でした。
— ひろぽん先生 (@hiropon_sensei) April 28, 2021
鉛筆の芯は親指の深くに刺さったまま残ったというほど、努力家だったようです。
一次試験まであと105日。学歴のなかった昭和の偉人田中角栄さんはとにかく寝る間を惜しんで勉強したという。眠くなると鉛筆の芯が刺さるようにして、もうそこまでやらんとな。。。長く生きることだけが人生の目的ではない!今、この瞬間を大切に太く短く生きたい。まあ、あと19年は生きたい!
— 讃和やまと屋@内海克一 (@yamatoya0211n) May 7, 2021
田中角栄の人気の理由
天才的な頭脳に甘んじない努力と、人間を大切にする精神性、そして剛腕に結果を切りひらいていく強靭さで絶大な人気を獲得した角栄さん。
田中角栄は、自分の支持者でない人間の前でわざと社会の窓を全開にしておいて、それをその人に指摘させたという。
角栄は「『総理大臣のミスを指摘してやった俺』の逸話を人に語り続けるために、今後この人は自分が総理大臣であり続けられるよう支援を惜しまなくなる」
と考えたのだとか。
— 佐々木鏡石@『がんばれ農協聖女』書籍化決定 (@sukari931931) May 26, 2021
いざというとき、潔くすべてを捨てて頭を下げる、裃(かみしも)をつけて人と接しても物事は進まない、体当たりで物事に挑むなど、人の心の機微を知り尽くした角栄さんの戦略は日本の頭脳である秀才揃いの官僚たちを味方につけました。
国政に携わる人には最低限早慶は出ておいて欲しいかなと切に願う。
本当にそこが最低ラインかなと思うよ。
そもそも難しいんだからさ。角栄ぐらい後伸びで学ぶなら別だけどさ。
— 山本 昌 (@ix5Ois8NHOEnWQa) May 24, 2021
「学歴社会」といわれる日本のなかで、「人たらし」と呼ばれた一流の人心掌握で成り上がった角栄さんの生き様に痺れる人が多いのも頷けます。
私が田中角栄だ。
ご承知の通り小学校高等科卒だ。54歳で首相になった。田中角栄さん。
コンピューターブルドーザーとも言われるほどの行動力と知力を兼ね備えて、学歴の壁を壊した。今の世界には彼のような存在が必要??
何より彼が長けていたのが、人心掌握。人の心を掴むこと。— kisso@千葉に秘密基地を作ってます (@orangeloveyuma) February 20, 2021
東京大学卒業が当たり前のエリート中のエリート 揃いの官僚たちの前でぶち上げた演説が残されています。
角栄さんの名を世に知らしめた非常に有名なスピーチを引用します。
1962年、第2次池田内閣の大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前にあいさつをした、そのあいさつ文が記録に残っています。
私が田中角栄であります。皆さんもご存じの通り、高等小学校卒業であります。皆さんは全国から集まった天下の秀才で、金融、財政の専門家ばかりだ。かく申す小生は素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼し合うことが大切だと思います。従って、今日ただ今から、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を取る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!
ずば抜けた記憶力と周囲を巻き込みながらの行動力で秀才たちを制した角栄さん。
剛腕政治家と呼ばれ、天才的な人心掌握で学歴ではなく、血のにじむような努力と才能で立身出世した角栄さんにドラマを感じて心をつかまれた人が多いのではないでしょうか。
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