田中角栄のエピソードと凄さ。天才の理由。秘書、睡眠時間は?人気の理由とは

54歳の若さで64代内閣総理大臣に就任した田中角栄さん。

叩き上げの今太閤とも呼ばれる角栄さんは総理として絶大な国民的支持を得ました。

政治家人生40年のなかで議員立法33本という驚異的な偉業を残したまさに「天才」としか言いようのない政治家です。

「コンピューター付きブルドーザー」の異名をとった角栄さん。

人情派として知られるエピソードについて詳しく迫ってみました。

田中角栄のプロフィール

愛称: わかったの角さん、今太閤、角さん、コンピュータ付きブルドーザー、金権政治家、巨悪、闇将軍、永田町、剛腕など

本名:田中角栄

生年月日:1918年5月4日

身長: 164cm

出身地: 新潟県柏崎市

最終学歴: 中央工学校卒業

所属事務所:自由民主党

田中角栄の有名なエピソード

豪快な生き方で数々の逸話を残している角栄さんですが、特に、「生きたお金の使い方」をする人だったというエピソードが数多く残っています。

総理総裁の座を争った「角福戦争」

好敵手として知られる福田赳夫派の議員のお見舞いに直々向かった角栄さんが、帰り際にさりげなく置いてきた封筒。

その封筒の中身をたしかめると500万円が入っていたそうです。

そのお見舞いが4回あったというのですから驚きです。

もともと気前がよいと評判だった角栄さんですが、このような人情を受けた議員はすっかり田中派になったのは言うまでもありません。

このように、スケールの大きなことをさらっとできる人間力で人びとを魅了し続けてきた角栄さん。

さらにこんなエピソードが残されています。

ルーブル美術館の最高の逸品であったモナリザ。

このモナリザは門外不出で、ただ一度、アメリカに渡ったことがあった以外はルーブル美術館の至宝でした。

角栄さんが「モナリザをお土産にしたい(日本で公開したい)」と伝えたことで、モナリザは日本で公開されることになりました。

アートの部門でも、日本に貢献した角栄さんでした。

ほかにも、角栄さんは複数の愛人を抱えていたこと、芸者衆から非常にモテた話など、基本的に悪評は少なく、周囲を巻き込んでいくダイナミックなエピソードが多いのも角栄さんの人柄ゆえでしょうか。

さらに、角栄さんは偏食家としても知られ、特に塩辛いものを好んだといいます。

東北出身の角栄さんですから、高級食材のキャビアよりもすじこを好んだり、塩辛い鮭のおにぎり、うな重の底の白米がひたひたになるほど醤油をかけて食べるのを好んだなどの話が残されています。

田中角栄の凄さは?

角栄さんは「コンピューター付きブルドーザー」の異名をとるほどの驚異的な頭脳と体力、そして人間力の持ち主でした。

数字の暗記から人名までずば抜けた記憶力の持ち主として、六法全書を丸暗記していたという噂もありました。

のちに安倍総理が記録を塗り替えるまで、最年少の内閣総理大臣就任記録をもっていた角栄さんは40年間の議員生活のなかで33本という前代未聞の議員立法を成立させた、まさに偉業を達成しています。

角栄さんが「凄い」といわれる最大の理由は立身出世といえる角栄さんの経歴にあるのではないでしょうか。

高等小学校卒業の総理誕生という偉業はあとにも先にも角栄さんのみです。

人の名前は一度聞いて覚えるというその「人間力」こそ、凄いといわれるゆえんなのではないでしょうか。

田中角栄は天才

長年のライバルだった石原慎太郎が角栄さんについて書いた『天才』という本がベストセラーになりました。

角栄さんを天才という人は非常に多いです。

数々のエピソードを見ても、「天才」としか言い様のない角栄さん。

とはいえ、天才的な頭脳や才能に甘んじることなく、とてつもない努力家だったということです。

努力の天才という言葉が角栄さんをよく表しているといえますね。

田中角栄の秘書について

角栄さんの政務秘書として23年間務めあげたのは早坂茂三(はやさか しげぞう)さんです。

早坂さんは「日本列島改造論」の名づけの親として知られ、角栄さんに関する著作などを数多く残していることで知られています。

総理大臣としての角栄さんの最期の秘書は朝賀昭さんです。

睡眠時間は短い

角栄さんは午後10時過ぎに寝て午前2時に起きてそこから勉強を始めるというエピソードは有名です。

コンピューター付きブルドーザーと呼ばれた天性の頭脳に加えて、尋常ではない努力がありました。

非常な読書家でもあった角栄さんですが、深夜2時から資料や関連書籍、データなどを頭に入れていく作業が始まったそうです。

記憶力のほか、頭の回転も速く、理解力もスバ抜けていたという角栄さん。

1934年に新潟から状況した角栄さんは工事現場で仕事をしながら夜学で学んでいた時期があったようです。

朝5時から夕方の5時までは労働、そしてその後、学問したそうです。

当然、疲労で眠気が襲いますが、鉛筆の芯で自身の親指を刺しながら目を覚ましていたというエピソードが残っています。

鉛筆の芯は親指の深くに刺さったまま残ったというほど、努力家だったようです。

田中角栄の人気の理由


天才的な頭脳に甘んじない努力と、人間を大切にする精神性、そして剛腕に結果を切りひらいていく強靭さで絶大な人気を獲得した角栄さん。

いざというとき、潔くすべてを捨てて頭を下げる、裃(かみしも)をつけて人と接しても物事は進まない、体当たりで物事に挑むなど、人の心の機微を知り尽くした角栄さんの戦略は日本の頭脳である秀才揃いの官僚たちを味方につけました。

「学歴社会」といわれる日本のなかで、「人たらし」と呼ばれた一流の人心掌握で成り上がった角栄さんの生き様に痺れる人が多いのも頷けます。

東京大学卒業が当たり前のエリート中のエリート 揃いの官僚たちの前でぶち上げた演説が残されています。

角栄さんの名を世に知らしめた非常に有名なスピーチを引用します。

1962年、第2次池田内閣の大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前にあいさつをした、そのあいさつ文が記録に残っています。

私が田中角栄であります。皆さんもご存じの通り、高等小学校卒業であります。皆さんは全国から集まった天下の秀才で、金融、財政の専門家ばかりだ。かく申す小生は素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼し合うことが大切だと思います。従って、今日ただ今から、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を取る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!

ずば抜けた記憶力と周囲を巻き込みながらの行動力で秀才たちを制した角栄さん。

剛腕政治家と呼ばれ、天才的な人心掌握で学歴ではなく、血のにじむような努力と才能で立身出世した角栄さんにドラマを感じて心をつかまれた人が多いのではないでしょうか。


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