1959年映画『無言の乱斗』で主演デビューし、男臭い役柄を数多く演じた和田浩治(わだ こうじ)さん。
俳優・歌手として活躍しながら、わずか42歳で亡くなりました。
今回は和田さんの死因と、再婚相手の田村順子さんの現在に迫ります。
また梓みちよさんとの結婚と、兄弟の情報を確認します。
和田浩治のプロフィール
愛称:ヒデ坊
本名:和田愷夫(わだ ひでお)
生年月日:1944年1月28日
死没:1986年7月6日
身長:173cm ※デビュー当時
出身地:茨城県水戸市
最終学歴:東洋音楽学校声楽科(現在の東京音楽大学)
最終所属事務所:ホリプロ
和田浩治の死因
まず和田さんの死因を確認します。
1986年7月6日、和田さんは妻に看取られ、42年の生涯を終えました。
死因は胃がんでした。
1984年12月、初めて「胃が痛い」と訴えましたが、当時は痛みを薬でごまかしていたそうです。
昭和38年 平凡2月号『ニューホームはいいなア』より/笹森礼子さんが東京のご自宅に素敵なお部屋を増築したと聞いて、さっそく親友の和田浩治さんと松尾嘉代さんが訪問。名酒の並ぶ素敵なホームバーで乾杯したのち、和田さんがご自慢の喉を披露しました♪♪ pic.twitter.com/DfRtQqq7O7
— 島倉千代菊 (@wataridori333) June 28, 2019
しかし翌年の6月、とうとう痛みに耐えられず緊急入院します。
その後、一時退院し、レギュラー出演していた『大岡越前』に復帰。
しかし1986年には再び体調が悪化します。
一時入院を経て退院、最後の代表曲『なぐさめ』をレコーディング後に再入院し、二度と復帰することはありませんでした。
彼はがん宣告後もステーキを食べ、ゴルフに興じるなどタフガイらしく過ごしたそうです。
しかし徐々に衰弱していき、亡くなる1週間前に昏睡状態となります。
一時的に意識が戻った際、妻にかけた「元気でいてくれ」が、最期の言葉でした。
太く短い、見事な生涯だったといえますね。
再婚相手の田村順子、現在は?
和田さんは歌手で女優の梓みちよさんと結婚し、直後に離婚しました。
その後1974年に、クラブ経営者の田村順子さんと再婚しています。
子供はいなかったものの、夫婦は生涯連れ添いました。
田村さんは24歳だった1966年、銀座6丁目の数寄屋通りに、クラブ「順子」を開業。
銀座最年少のママとして、以降は半世紀以上にわたって、お客たちに寄り添い続けるのです。
13坪の小さな店だったものの、立川談志さんはじめ有名人に愛される一流店となります。
2023年現在も営業中のため、彼女は生涯、店を続けるつもりなのでしょう。
1969年には映画『夜の牝 花と蝶』に出演しており、芸能人としても高い知名度を誇っていた田村さん。
『夜の牝 花と蝶』@神保町シアター。大ブレイク中の森進一のヒット曲をフィーチャーした69年の銀座ホステス物語なんて最高に決まってる(私の世代にとっては)。山口洋子や田村順子ママが本人役で登場。ホステスの当時の「立ち位置」もわかる。 pic.twitter.com/gVcjkIMuGg
— 篠崎真紀 (@shinozakimaki) June 23, 2015
大スターの和田さんとは、釣り合いの取れた夫婦だったといえます。
夫ががんになった際は、力強く励まし、支え続けました。
和田さんにとって彼女は、頼もしく心強い存在だったことでしょう。
梓みちよとの結婚
和田さんは1971年に梓みちよさんと結婚し、翌年にスピード離婚しました。
梓さんは1963年、『夢であいましょう』で発表した、『こんにちは赤ちゃん』で一躍スター歌手となります。
同曲は日本レコード大賞の大賞を受賞し、彼女はNHK紅白歌合戦にも出場を果たしました。
彼女が2020年に亡くなった今も、根強いファンの多い人気曲ですね。
和田さんと梓さんが出会ったのは1970年4月で、3か月後には和田さんがプロポーズ。
翌年の3月に東京大神宮で挙式。
都内のホテルで開かれた盛大な披露宴には、400人が招待されました。
集まった人々は『こんにちは赤ちゃん』を大合唱し、2人の門出を祝います。
翌日に夫婦はハワイとアメリカへの新婚旅行に出発しました。
多くの人々に祝福された2人ですが、間もなく不仲説が流れます。
和田さんは主に関西で仕事をするようになり、梓さんは地方公演で家を空けがちになるのです。
やがて梓さんは、和田さんの知人が事業に失敗し、借金取りが自宅に来るようになったという理由で外泊を開始。
一方和田さんは、「借金の件はたいしたことじゃない」と主張し、「半年以上セックスレス」と語りました。
結果的に1972年の10月4日、2人は別々に離婚会見を行います。
離婚後もそれぞれの主張に反論を続けた2人。
冷え切った関係に胸を痛めたファンも多かったことでしょう。
和田浩治の兄弟
ジャズピアニスト・和田肇さんの次男として生まれた和田さん。
彼の兄は一般男性で、2012年に心不全により69歳で亡くなっています。
また姉の金澤二美代さんは、かつて「和田悦子」名義で、弟と同じく日活の映画俳優として活動していました。
#青年の樹
石原裕次郎さん主演の1960年映画。和久組の跡取の武馬は大学に入学、やくざ稼業に疑問を持ち、組を解散。だが、組員の苦労と敵対した組の不正を見せつけられ、組を再興を。
原作は石原慎太郎氏。和田浩治さんの姉の和田悦子さんが新人で出演、2002年に逝去。武藤章生さんが好演。— マヤの暦・人生の自由研究 (@syowa40stvdrama) October 5, 2017
赤木圭一郎さん主演の『打倒(ノックダウン)』でデビューし、脇役をメインに数本の映画に出演しています。
共演はほとんどなく、1966年の『河内カルメン』には姉弟で出演していますが、2人が共演した作品はほとんどありません。
悦子さんは女優業に情熱を注げなかったようで、大部屋俳優扱いとなり、次第にスクリーンから遠ざかりました。
彼女は2002年に亡くなっているため、和田家の兄弟はあまり長生きの家系ではなさそうです。
しかし和田さんが残した名演と歌声は、今後もコアなファンの心をつかみ続けることでしょう。
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