芦川いづみの今。藤竜也との結婚を名優が後押し。息子は一般人&性格は俳優の妻に相応しい?

日活のトップ女優として大活躍だった芦川(あしかわ)いづみさん。

可愛いだけでなく品を感じさせる芦川さんには世の男性が虜となっていました。

芦川いづみのプロフィール

本名: 伊藤幸子(旧姓: 芦川)

生年月日: 1935年10月6日

出身地: 東京市滝野川区田端町(現: 北区田端)

最終学歴: 松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校

所属: 日活(最終所属)

芦川いづみの今

芦川いづみさんは1968年に俳優の藤竜也さんと結婚し芸能界を引退。

トップ女優の結婚と引退は当時、大きな話題となりました。

結婚後はスッパリと芸能界から身を引き、その後も芸能界に復帰することはありません。


唯一姿を見せたのが2007年に「俳優倶楽部」と「旧友会」の合同パーティーでのこと。

芦川いづみさんが公の場に姿を現した事は大きく報じられました。

芸能界では結婚、出産を機に「ママタレ」として活動するタレントが少なくありません。

それだけに綺麗に身を引いた芦川いづみさんは素晴らしいと思わずにはいられません。

現在(2023)残っている一番新しい声

大勢の前に姿を見せたのは2007年が最後ですが、芦川さんはその後も仕事をしたことがあります。

2018年は、芦川さんのデビュー65周年であり、さまざまな企画が展開されました。

その中で、出演した映画10本のDVDが新たにリリースされています。

当時の芦川さんは、そのDVDに収録する音声得点を収録しました。

商品を購入したファンは、芦川さん本人による作品解説をとても喜んだみたいですね。

また、当時は作品の特集上映も行われており、上映前には芦川さんからのメッセージが流れました。

これも新たに収録されたものであり、劇場に足を運んだファンは感動したようです。

上映前のメッセージについては、急な話だったこともあり、一度は断っているという芦川さん。


しかし、あとから思い直し、宅録の音声をスタッフに送ったそうです。

これらのアニバーサリー企画以降、芦川さんの最新の声は表に出ていません。

芦川さん本人も、最後のつもりで収録に臨んだようです。

「私がいただく、最後のお仕事ですね」

つまり、2023年現在のファンができるだけ新しい声を聴くなら、65周年のDVDが最適というわけです。

ファンの中には、10作品すべてを集め、音声を繰り返し聴いている人もいるかもしれませんね。

ちなみに、芦川さんが出演した作品には、近年新たにカラー復元されたものもあります。

表舞台から去った芦川さんですが、出演した映画は、こうしてずっと語り継がれていくことでしょう。

夫婦仲は相変わらず良好

夫である藤竜也さんは、寝る前に妻と握手を交わしていることを以前から話しています。

2022年、『徹子の部屋』にゲスト出演した際の藤さんも、握手について語っていました。


おそらく、2023年現在もずっと続けているものと思われます。

若いときみたいにねハグしたりとか、それはちょっとやりにくいですよね。するとやっぱり1日に1回ぐらいはそのくらい触らせてもらった方が。

番組の中では、出かけるときに手をつなぐ話も出ていました。

2人とも高齢で、足元に注意が必要なこともあり、支え合うようにして外出しているみたいですね。

近年のこうしたエピソードからは、おしどり夫婦であることが伝わってきます。

芸能界を引退した芦川さんは、一般人として幸せな生活を送っているようです。

芦川いづみと藤竜也が結婚できたのはあの名優

1968年に俳優の藤竜也さんと結婚し芸能界を引退した芦川いづみさん。

当時の芦川さんは日活の大スターでした。

ですが藤竜也さんはまだまだ駆け出しの俳優。

今でいう格差婚だったのです。

そのため二人の所属会社でもあった日活は二人の結婚に反対しました。

会社に反対された状態で結婚するのは至難の事。

下手をすればそのまま芸能界から干されてしまう危険すらあります。

そんな芦川いづみさんと藤竜也さんが結婚できるように尽力してくれたのが石原裕次郎さん。


石原さんは二人の結婚を認めるように会社に口利きしてくれたそうです。

また、お金がなかった藤竜也さんのためにタキシードを用意してくれたんだとか。

後輩の結婚のためにここまでしてくれる人は決して多くはありません。

石原裕次郎さんが今もなお、多くの人達に慕われている理由が分かりますね。

藤竜也さんが「石原裕次郎さんがいなければ結婚できなかった」と語るのも納得です。

石原さんのおかげで芦川さんと結婚する事が出来た藤さん。

結婚から8年後の1976年に出演した映画「愛のコリーダ」で俳優としての知名度が向上。

その後も多くの映画やドラマ、CMに出演し日本を代表する名優となりました。

自分と結婚した事で芦川いづみさんが悪く言われないように、と常に思っていた藤竜也さん。

きっと藤さんのそんな真面目な所に芦川さんは惹かれたのでしょうね。

芦川いづみには息子がいるの?

1968年に結婚した芦川いづみさんと藤竜也さん。

その後、二人の間には息子が一人誕生しているようです。

息子について積極的に語る事はない藤竜也さん。

ですが息子の話題がNGという事ではなく聞かれたら答える、というスタンス。


とはいえ藤竜也さんは息子が特定されるような情報を明かす事はありません。

そのため名前は疎か生年月日も非公表となっています。

父が藤竜也さんで母が芦川いづみさんとなると息子も芸能界に興味を持ちそうなもの。

ですが息子は芸能界には進まずに一般人のようです。

芦川いづみさんが結婚した時期を考えると2023年時点で息子は40〜50代でしょうか。

きっと結婚して子供がいるかもしれません。

孫にとって藤竜也さんと芦川いづみさんは自慢の祖父母のはず。

学校で友達に自慢している姿が目に浮かびますね。

芦川いづみは俳優の妻に相応しい性格?

「こうと決めたら譲らない」性格の芦川いづみさん。

進学高を退学して松竹音楽舞踊学校へ入学したり無名の俳優と結婚したり。

芦川いづみさんの行動に振り回された人は少なくない事でしょう。

ただ、芦川さんには日活トップ女優という地位を捨て家庭に入る決断をするなど自分よりも他人を優先する一面も。

多くの人が望んでも手に入れられないトップ女優の座。

その座を芦川いづみさんのようにあっさり捨てられる人がどれだけいる事でしょう。

芦川さんこの決断は藤竜也さんにとって少なからずプレッシャーになっていたはず。


ですが妻に恥をかかせる訳にはいかないと奮起するきっかけにもなった事でしょう。

夫の才能を後押しするために地位も名誉も捨てた芦川いづみさん。

これほど俳優の妻に相応しい性格の持ち主はいないと言っても過言ではないかもしれません。

芦川いずみの経歴まとめ

1952年に松竹音楽舞踊学校に入学した芦川いづみさん。

入学当時は16歳でした。

年齢から分かるように松竹音楽舞踊学校に入学前は別の高校に通っています。

その高校が神奈川県でも有数の名門校である法政大学潤光女子高校。

容姿端麗で頭脳明晰な芦川いづみさん。

「才色兼備」とは彼女のためにある言葉なのかもしれません。

淡路恵子さんや草笛光子さんなど多くの著名人を輩出した松竹音楽舞踊学校。

集まるのはダイヤの原石と呼べる生徒ばかり。

そんな中でも目立つ存在だった芦川いづみさん。

1953年に出演したファッションショーで当時、松竹の映画監督だった川島雄三さんの目に留まると映画「東京マダムと大阪夫人」でデビュー。

それから2年後の1955年に川島雄三さんは日活へ移籍。

川島雄三さんから推薦を受けた芦川いづみさんも松竹歌劇団を退団し日活入り。


日活入社後は多くの作品に出演し、瞬く間に日活を代表する女優の1人として知られるようになりました。

その人気を不動のものとしたのが1956年の映画「乳母車」。

この作品で石原裕次郎さんと初共演を果たした芦川いづみさん。

長きにわたって石原裕次郎さんの相手役を務め、日活トップ女優の地位を確固たるものとしました。

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