小柴昌俊の現在(2023)と家族。ファイナルファンタジー好き&長い睡眠時間。田中耕一との関係

「カミオカンデ実験」でニュートリノの観測に成功した天文学者・小柴昌俊(こしば まさとし)さん。

2002年にノーベル物理学賞を受賞した、世界的な物理学者でもありました。

今回は小柴さんの現在(2023)、家族情報を確認し、ファイナルファンタジー好きの一面、長い睡眠時間の伝説をご紹介します。

併せて同じ年にノーベル賞を受賞した、田中耕一さんとのエピソードも見ていきます。

小柴昌俊のプロフィール

本名:小柴昌俊

生年月日:1926年9月19日

死没:2020年11月12日

身長:不明

出身地:愛知県豊橋市、神奈川県横須賀市

最終学歴:東京大学大学院理学系研究科、ロチェスター大学大学院

小柴昌俊の現在

小柴さんは2020年11月12日、94歳で亡くなりました。

死因は老衰だったため、比較的穏やかに亡くなったのでしょう。

天寿を全うした小柴さんですが、旧制中学時代には「ポリオ」という小児まひを患っており、病弱だったようです。

軍人か音楽家を志していたものの、病気によって両方諦めました。


しかし入院中、担任教員からアインシュタインの『物理学はいかに創られたか』を贈られ、研究の道を志すのです。

元々は落ちこぼれだったそうですが、猛勉強の末に東京大学物理学科に合格。

東大時代も成績は悪く、自称「ビリで卒業した変人学者」とのことでした。

しかし朝永振一郎に推薦してもらい、何とかアメリカのロチェスター大学博士課程に留学。

留学生の手当ては少額だったものの、博士号を取れば給与が倍になると知り、努力を重ねます。

結果的にロチェスター大学史上最短の1年8か月で、博士号を取得しました。

「落ちこぼれ」と称しながらも、「やればできる」をモットーにしていた小柴さん。

成績が悪くても、努力し続ければ夢を実現できるということを、自らの人生で体現して見せたのです。

彼の生涯は今後も、勉学に励む努力型の人々を励まし続けることでしょう。

小柴昌俊の家族情報

小柴さんは4歳のときに母を亡くしました。

元軍人の父は戦後に公職追放されたため、小柴さんは1歳上の姉と2人で、学生時代から家計を支えていたそうです。

彼は研究の道をひた走っていた33歳のとき、5歳年下の慶子さんと結婚。

彼女は、「夫の生い立ちと夢を知り、周りの人にない魅力を感じた」と語っています。

2人は結婚直後に渡米。

慶子さんは、研究に熱中する夫を支えながら、現地で必死に子育てしたそうです。

「40歳くらいまでは、ひたすら主人を支えた」と語っています。

しかし「彼を支えたい」という一心で努力するうち、周囲の人からサポートしてもらえ、多くのすてきな出会いに恵まれたそうです。

だからこそ慶子さんは、「主人にはとても感謝しています。幸せな人生です」とも語りました。

2人の息子である小柴俊さんも、物理学の道を進みました。

香川大学工学部教授となり、「半導体工学」や「電子材料物性」の科目を担当しています。

また俊さんには長女がいて、小柴さんはよく一緒に遊んでいたそうです。

小柴さんは献身的な妻と優秀な息子、かわいい孫娘に恵まれ、幸福な人生を全うしたといえますね。

ファイナルファンタジー好きで話題

偉大な学者のイメージが強い小柴さんですが、実はゲーム好きという親しみやすい一面も持っていました。

定年退官後の趣味として始めたことがきっかけだそうです。

とくにお気に入りだったのは、世界的な人気ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズでした。

孫娘が6歳になったとき、2人で取り組んでいたといいます。

理系の学者だったため、きっとゲームも合理的に処理できる、優秀なプレイヤーだったのでしょう。

小柴昌俊の長い睡眠時間

小柴さんはロングスリーパーとして有名でした。

睡眠時間は11時間。

1日の約半分を寝て過ごしていたのです。

研究者にはロングスリーパーが多いといいますが、小柴さんの睡眠時間はとくに長かったとのこと。


夜8時には就寝し、翌朝7時に起床していたそうです。

注意すべきなのは、人それぞれ最適な睡眠時間は異なる点。

あくまで長い睡眠時間が小柴さんの体質に適していたというだけで、誰でも真似すべきというわけではありません。

生まれつきロングスリーパーの人もいれば、3時間の睡眠で事足りるショートスリーパーの人もいます。

健康のためには、自分に最適な睡眠時間を見つけ出せるよう、試行錯誤をくり返すしかなさそうです。

ただ小柴さんのように頭を使う人たちの脳内では、長い睡眠時間の中で研究成果を整える作用が働いていそうですね。

田中耕一とノーベル賞を同時受賞

小柴さんがノーベル物理学賞を受賞した2002年、化学賞に輝いたのが、田中耕一さんです。

田中さんは当時、「島津製作所」の会社員で、現役サラリーマンとしては初のノーベル賞受賞者となりました。

同年にノーベル賞受賞者となった2人は、受賞式で交流を深めたようです。

当時小柴さんは70代で、杖を突きながら歩いていました。

しかし33歳年下の田中さんよりも、歩くスピードが速かったそうです。

偉大な物理学者の力強い姿に、田中さんは感銘を受けたに違いありません。

彼は2020年、小柴さんの訃報に際して、哀悼の意を表明。


「後進の育成に励む先生のお姿に学ばせていただいた」と述べました。

多くの後輩研究者に慕われた小柴さん。

未来のノーベル賞受賞者となる研究者は、今この瞬間も、彼の遺した足跡を辿り続けているのでしょう。

田中耕一の現在(2023)。子供は?妻とはお見合い結婚。受賞後に年収が昇給。養子の生い立ち

利根川進の現在(2023)。天才の息子が自殺。前妻と再婚した妻について。性格はアメリカン

江崎玲於奈、ノーベル賞受賞と発光ダイオード。キラキラネームの名前由来。離婚の噂なぜ

仁科芳雄、子孫も研究者。生家と家系図まとめ。サイクロトロン、ノーベル賞との関係

南部陽一郎の天才エピソード。息子も学者?家族と妻、生い立ちと被災

コメント