満州国総務庁の次長や内閣総理大臣を歴任した岸信介(きし のぶすけ)。
「天才政治家」と呼ばれることもあるようですが、今回は岸の功績から、彼が本当に天才だったのか確認しましょう。
また戦犯にもかかわらず不起訴になった理由、岸自身が満州時代の活動について述べた動画を見ていきます。
さらに安保改定の詳細も見ていき、「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家の実体をまとめます。
岸信介のプロフィール
本名:岸信介
生年月日:1896年11月13日
死没:1987年8月7日
身長:不明
出身地:山口県山口市
最終学歴:東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部)
岸信介は天才?功績まとめ
岸を天才政治家と考える人は多いようですが、彼は具体的にどのような功績を残したのでしょうか。
2018年、岸の高い外交手腕がうかがえる記録が公開されました。
日本は敗戦後、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約でアメリカからの独立を実現。
しかし旧安保条約のために、米軍基地は依然として日本に残っていたため、各地で反基地運動が展開されていました。
そんな中、岸は安保改定に着手しようと動き始めます。
1957年に総理大臣となった彼は、訪米を実現させようと、マッカーサー駐日大使と予備会談を実施。
マッカーサー駐日大使は、日本統治を指揮したダグラス・マッカーサー連合国最高司令官の甥にあたる人物でした。
岸はその目的において「理想」主義者である。そして、岸はその方法において「現実」主義者である。理想を追いかけるその道程で編み出される岸の戦略と戦術は恐ろしく多彩であり怜悧であり、ときには悪徳の光を放つ。理想が執念を生み、現実が機略を掻き立てる。(原彬久)
— 岸信介Bot (@kishi_bot) June 2, 2021
日本を占領するアメリカ側の重要人物に対して、岸は堂々と、「アメリカを支持していない」という国民たちの感情を伝えました。
そして「安保条約は、日本がアメリカに従属していることの象徴」と述べ、多数の国民が安保反対を訴えていることに言及。
岸は、「このままでは日本人はアメリカを嫌悪し、ソビエトを支持するようになる」と示唆したのです。
マッカーサーは彼の率直な言葉に理解を見せ、アメリカ側の要人たちは彼を評価するようになります。
問題の核心に触れ、大胆不敵な発言で相手の心をつかむ手腕は、まさに大物政治家らしいやり方ですね。
岸はアメリカの支持を得ながら、安保改定や沖縄返還の合意を進め、日米の相互防衛体制を目指すのです。
彼は日本がアメリカ同様に防衛力を持つことで、「独立国家」になるという、明確なビジョンを持っていました。
結果的に構想は実現せず、孫の安倍晋三元首相に受け継がれました。
しかし大胆な構想を立案する力と、アメリカの要人相手に物おじしない姿勢は、天才政治家らしい素質だったといえます。
実際には国民の支持を得られなかった点で、彼のことを「天才政治家だった」とは断言できません。
しかし彼の斬新な発想や高い外交手腕は、確かに「天才的」と呼ぶにふさわしかったかもしれませんね。
岸信介は戦犯だったが不起訴に
岸は太平洋戦争開戦時、東条英機内閣の閣僚だったため、戦後はA級戦犯として逮捕されます。
しかし3年半の拘留後、不起訴となり釈放され、政界に復帰しました。
東条らが処刑されたのに対し、なぜ岸は罪に問われなかったのでしょうか。
彼はどうやら、自分の身を守るためには、どんな手腕もいとわない人物だったようです。
一説では東条たちが処刑された翌日、日本の機密情報をアメリカへ提供したため、解放されたということでした。
また判事を買収したという情報もあります。
東條英機内閣、東京裁判。八田・嶋田以外はA級戦犯。商工大臣岸信介は麻薬収益金で判事を買収し不起訴を勝ち取った。安倍晋三はこの教訓から金で買収すれば地位を手に入れられる考えるに至った。総裁選前に1億の現金が必要となり、2015.9.4の大阪日帰り出張となった。 pic.twitter.com/H1vyhLZGPJ
— 片山徹 (@_9105294027642) August 15, 2020
いずれにせよ公職追放は逃れられませんでしたが、アメリカの方針が変わり、サンフランシスコ講和条約締結後に復帰。
岸は戦時中、商工大臣や軍需次官として、東条を補佐していたはずです。
にもかかわらず、彼だけが不起訴になったのは不公平に感じられますね。
彼は保身のためにあらゆる手を尽くしつつ、罪悪感すら抱かない点で、図太く野心的な人物だったのかもしれません。
満州での活動について述べる動画
岸は建国直後の満州国で、国務院の高官に就任し、現地での産業開発に着手しました。
1936年に渡満し、国務院の実業部総務司長に就任。
3年後には総務庁次長となり、「産業開発5ヶ年計画」を実施します。
軍閥や財政界で人脈を築いた彼は、満州国の大物5人を表す「弐キ参スケ」の1人となりました。
岸があらゆる世界から政治資金を手に入れるようになったのは、満州国で活動していた時期からだったそうです。
満州を去る際には、「ろ過機を通った清潔な政治資金を受け取るべき」と発言。
資金がらみの問題が生じたとしても、「受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるため罪はない」と主張しました。
汚職事件の際は、「政治家ではなく、ろ過機を責めるべき」という都合のいい考え方ですね。
おそらく岸はこの時期から、あらゆる物事を都合よく解釈するようになっていったのでしょう。
満州での日本軍の活動について、岸自身が「侵略」と認めた動画も注目されています。
彼は「都合のいい解釈」と「罪悪感の否定」をくり返すことで、戦後も政界に返り咲けたのかもしれませんね。
安保改定。妖怪政治家の実体
岸は安保条約を改定することで、日本も防衛力を持ち、アメリカと共同で日本を守ろうと考えていました。
先述の通り、総理就任後はアメリカへ巧みに働きかけ、改定段階に到達。
しかし日本が武力を持つことで戦争が起こると懸念した人々が、安保反対運動を展開しました。
結果的に岸は、デモ隊に囲まれる国会内で、強行採決に踏み切ったのです。
しかし彼は混乱の責任を取り、総理を辞任しました。
退陣後も影響力を持ち、沖縄返還や日韓国交回復の際には、裏で協力したともいわれています。
不敵な面構えと強大な影響力、謎の多い実体から、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸。
三島由紀夫は彼を、「小さな小さなニヒリスト」と呼びました。
岸のように小規模なニヒリストが登場した日本では、いずれヒトラーのように大きなニヒリストが出てくる危険性を指摘。
同時に「岸を選んだ国民にも責任がある」と述べた三島は、日本の暗い未来を案じていたに違いありません。
岸を巡る癒着問題や汚職問題は、明かされていない点が多いのも事実。
実体の明かされない妖怪政治家を巡る議論は、月日が流れるごとに、より活発化していくかもしれませんね。
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