フジテレビの女子アナウンサーとして絶大な人気を誇った内田恭子(うちだきょうこ)さん。
今や2人の息子を育てるママとなり、立教に通わせていると言われています。
その一方でお受験に失敗したという情報も。
実は兄も内田恭子さんに負けず劣らずの凄い人で父親もエリートのようです。
内田恭子のプロフィール
愛称:ウッチー
本名:木本恭子(きもときょうこ)
生年月日:1976年(昭和51年)6月9日
身長:163cm
出身地:ドイツ・デュッセルドルフ
最終学歴:慶應義塾大学商学部
所属事務所:有限会社Kmark(ソニー・ミュージックアーティスツ)
内田恭子の息子が通う学校は立教?
当時、浜田雅功さんのマネージャーだった木本公敏さんと2006年に結婚した内田恭子さん。
2010年に長男を出産し、2013年に次男を出産。
その後、子供が生まれたという情報はありませんので2人の息子の母親という事に。
慶應義塾大学を卒業後、フジテレビのアナウンサーとなった内田恭子さん。
一方、夫の木本公敏さんも関西圏の難関大学として知られる関西学院大学の出身。
互いに高学歴という事で学歴の大切さを実感しているのでしょう。
また、兼ねてから内田恭子さんは「子供達には立派に育って欲しい」と語っていたそうです。
そのため息子達をお受験で小学校に入学させたようです。
内田恭子さんが自ら息子達が通う学校を明らかにした事はありません。
ですが、様々な情報から長男は立教小学校、次男は青山学院初等部に通っていると言われています。
普通ならば兄弟を同じ学校に通わせそうなもの。
ですが、内田恭子さんは兄弟で別々の小学校に入学させたようです。
きっと学校名というブランドに捕らわれる事なく、本当に子供に合う学校を選び抜いて入学させたのでしょうね。
それが出来るのは両親だけでなく、息子達も優秀だから。
きっと親の力で入学したと思う人もいるでしょう。
ただ、内田恭子さんはお受験を念頭に入れて息子達を若葉会幼稚園に通わせているんです。
お受験の実績が抜群という事から社長や官僚、有名人がこぞって子供を入園させる若葉会幼稚園。
名門小学校への近道と言っても過言では無いかもしれません。
息子達が名門小学校に入学できたのも同園に通っていた事が大きかったのではないでしょうか。
立教小学校も青山学院初等部も難関大学の付属小学校。
きっと息子達は内部進学で大学まで進学するのでしょうね。
まだまだ学歴が重要視される日本社会。
難関大学の付属小学校に通う内田恭子さんの息子達は既に将来が約束されたようなもの。
また、小学校から大学まで気心の知れた友人と同じ学校に通う事が出来ます。
これは何よりも子供にとっては嬉しい事でしょう。
学歴だけでなくそういった事も考えてお受験させたのかもしれませんね。
子供がお受験に失敗していた?
日本で有数の名門小学校である立教小学校と青山学院初等部。
ただ、内田恭子さんの息子の第一志望は別の小学校だったと言われているんです。
息子の第一志望校と言われるのが慶應義塾幼稚舎。
若葉会幼稚園に通ったのも慶應義塾幼稚舎を目指していたから。
ですが、残念ながら不合格となってしまったようです。
日本で最高峰の小学校とも言われる慶應義塾幼稚舎。
そのため子供の資質はもちろん、両親の学歴や職業、家柄も合否に大きく関係するんだとか。
人気フリーアナウンサーで慶應義塾大学出身の内田恭子さん。
また、夫の木本公敏さんは2012年から吉本興業取締役を務めています。
そんな二人の子供が不合格になるなんて。
改めて慶應義塾幼稚舎のレベルの如何に高いかが分かりますよね。
幼稚舎から慶應義塾大学に通うのは本当に選び抜かれた日本有数のエリートの子息だけ。
そう言っても決して過言ではありません。
内田恭子は兄も凄い人だった
内田恭子さんには兄が一人。
名前は内田圭介さんと言い、過去にInstagramでツーショットを公開しています。
内田圭介さんは京都工芸繊維大学を卒業後、造園コンサルタントに。
その後、独立して神戸市に緑のデザインやコンサルティング、イベントを行う「ミドリカフェ」を2007年に設立。
そして2018年には丹波篠山市に「ササノワ合同会社」を設立。
2019年には(財)都市緑化機構みどりの環境プラン大賞で大賞を受賞するなど、その活躍が注目を集めています。
2023年現在も神戸市と丹波篠山市の二拠点生活。
森と暮らしを繋げ、自然が広がっていくように精力的に活躍しています。
近年、自然を求めて里山を購入する人が増えていると言われています。
きっと都会での暮らしにストレスを感じ、ゆっくり生活したいという人が多いのでしょう。
そのような人達にとっても内田圭介さんの活動は参考になるはず。
今後、内田圭介さんの活動はより重要となっていくような気がしてなりません。
内田恭子は父は商社マン
内田恭子さんが産まれたのは日本ではなくドイツ。
ただ、2歳の頃に帰国したためドイツ語を話す事は出来ないそうです。
その後、小学5年生から高校2年生まで暮らしたのはアメリカ。
内田恭子さんは英語がペラペラなのはそのためだったんです。
これだけ日本と海外を行ったり来たりしたのは父親の仕事の都合。
父親が商社マンだった事から世界を股にかけて仕事をしていたようです。
ただ、これだけ色々な国々を訪れたのも父親が優秀だったからに他なりません。
社内でも注目を集めるエリート社員だったのでしょう。
最終的にはかなりの役職についていた可能性もありそうですよね。
きっと内田恭子さんと兄が優秀なのは父親譲りなのでしょうね。
もしかするとフジテレビのアナウンサーになれたのも父親のコネがあったのかも。
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