安房直子の死因。息子と家族。どんな人&作品の特徴は?経歴まとめ

『風のローラースケート』や『花豆の煮えるまで』を発表した童話作家の安房直子(あわ なおこ)さん。

多くの人の心に残る作品を発表してきましたが、生涯や人となりを知る人は少ないのではないでしょうか。

今回は安房さんの死因、息子と家族の情報をチェックし、具体的にどんな人だったのかを確認します。

また作品の特徴と経歴をまとめます。

安房直子のプロフィール

本名:峰岸直子

生年月日:1943年1月5日

死没:1993年2月25日

身長:不明

出身地:東京都

最終学歴:日本女子大学国文科

安房直子の死因は肺炎

安房さんは西東京市の住まいで暮らしながら、晩年まで執筆活動を続けました。

しかし1993年、わずか50歳で肺炎により亡くなります。

早すぎる急逝ではありましたが、自身は数年前から死を意識し始めていたようです。

安房さんは幻想的な民話を多く発表し、子供向けの名作も残してきました。

しかし晩年の作品は死を思わせる表現が多いため、子供に読ませるのを敬遠したくなる人もいるかもしれませんね。

自身の死が近いことを感じていたからこそ、死後の世界を意識した作品を晩年に執筆するようになったのでしょう。


ただ晩年の安房作品は陰鬱なのではなく、命の尊さを感じられ、心にしみわたるような作品が多いといえます。

『花豆の煮えるまで』などが入った晩年の「小夜の物語」シリーズは、寂しい冬の描写が多数登場します。

特徴的なのは、木枯らしをはじめとした「風」というモチーフ。

しかし決して悪い「風」ではなく、誰かを誘う春風や死者の魂を思わせる風が登場するのです。

死を意識させる作品が多いとはいえ、子供たちに命の尊さを教えるうえで、安房作品は大きな役割を果たしてくれるでしょう。

子供たちが安房作品に触れ、また作者が早くに亡くなったことにも思いを馳せれば、一歩成長できるのではないでしょうか。

安房直子の一人息子。家族は夫で国文学者の峰岸明

安房さんは31歳で長男に恵まれます。

一般人のため詳細はわかりませんが、ほかに子供の情報がないため、一人息子だったのではないでしょうか。

息子を喜ばせたいという想いも抱きながら、優しい作風の童話を書き続けたのかもしれませんね。

安房さんの家族は息子さんと、夫の国文学者・峰岸明さんでした。

東洋大学の助教授を経て、横浜国立大学教授となり、のちに名誉教授となっています。

『平安時代古記録の国語学的研究』で新村出賞と角川源義賞を受賞しました。

一流の学者だった峰岸さんと、優れた童話作家の安房さんは、釣り合いの取れた夫婦といえますね。

息子さんもきっと秀才に育ったのでしょう。

安房さんは亡くなる4~5年前からは重い病気を患っていました。

峰岸さんだけが医師から真実を伝えられていたものの、最後まで妻に打ち明けられなかったそうです。

秘密を抱えながら妻に寄り添い続けた数年は、苦しい期間だったことでしょう。

病名を知ることのなかった安房さんですが、夫の様子がおかしいことには気付いていたのではないでしょうか。

感受性の優れた童話作家ですから、薄々自分の運命を悟り、死を意識させる表現を作品に盛り込むようになったのでしょう。

身体の調子が優れないこと以上に、夫の様子から死期が近いことを感じ取っていたに違いありません。

峰岸さんは妻を看取ったのち、約20年後の2012年に亡くなりました。

天国で再会した2人は、存分に愛を育んでいるのでしょう。

あるいは風に乗って、世界を旅しているのかもしれませんね。

安房直子はどんな人?作品の特徴は社会批判

安房さんはどんな人で、作風にはどのような特徴があるのでしょうか。

教科書に載っている『きつねの窓』の作者というイメージを抱く人はいるかもしれませんね。

ただ彼女の性格や作風を説明できる人は少ないでしょう。

筆者は彼女の性格を推測し、社会批判を声高にではなく、作品に落とし込んで行う人だったと考えました。

安房さんが生きた高度経済成長期の日本では「大企業に就職して画一的な労働者になるのが善」という風潮があったはず。

しかし安房さんが作品で好意的に描くのは、労働者ではなく職人たちです。

郵便局員といった労働者については、作品内でやや批判的に描いていました。

安房さんは大量消費社会の限界を察知していたのでしょう。

そこで社会批判を作品に落とし込み、手仕事の尊さを訴えようとしたのではないでしょうか。

また作品の特徴として、多くのファンタジーのように子供が主人公なのではなく、大人を主人公に据えている点があります。


大人が純粋な気持ちに戻り、日常生活の中で冒険を楽しめるような童話を作りたかったのかもしれません。

大量消費社会の中で生きる大人が「本当に大切なもの」について考える機会を作りたい。

安房さんはそんな気持ちで、優しい作品の中に、厳しい社会批判を盛り込み続けていたのでしょう。

安房直子の経歴まとめ

安房さんは日本女子大学附属高校を卒業後、日本女子大学国文科に進学し、在学中から童話を書き始めました。

文芸部で作品を書くだけでなく、詩人・山室静さんの指導を受け、本格的な児童文学を創作。

処女作は「目白児童文学」に掲載された『月夜のオルガン』でした。

同人誌「海賊」を創刊し作品を発表し続け、1971年に『さんしょっ子』で日本児童文学者協会の新人賞を受賞。

畑に立つ山椒の精霊「さんしょっ子」の切ない物語です。

その後は『北風のわすれたハンカチ』『風と木の歌』『遠い野ばらの村』などを次々と発表し、数々の賞に輝きました。

安房さんはゆとりのない時代の人々に、少し立ち止まり、本当に大切なものについて考える時間を作ってもらいたかったのでしょう。


晩年まで続いた旺盛な創作意欲。

単に童話を書きたかっただけでなく、人々に大切なことを訴え続けたい使命感に燃えていたのかもしれませんね。

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