佐野洋子の息子は絵本作家&元夫は谷川俊太郎。最初の夫との離婚、母の晩年

名作絵本『100万回生きたねこ』の作者として世界的に有名な佐野洋子(さの ようこ)さん。

息子もまた絵本作家として活躍しているようですね。

さらに元夫は「詩の神様」と呼ばれる谷川俊太郎さんですが、彼とは別に最初の夫がいたそうです。

気になる佐野さんの家族情報と、母と過ごした晩年について見ていきましょう。

佐野洋子のプロフィール

本名:佐野洋子

生年月日:1938年6月28日

死没:2010年11月5日

身長:不明

出身地:北京市、山梨県、静岡県

最終学歴:武蔵野美術大学デザイン科

佐野洋子の息子は絵本作家の広瀬弦

佐野さんの息子は1968年に生まれた広瀬弦さんです。

絵本作家や挿絵画家として個性的な作品の数々を生み出してきました。

魅力的なキャラクター作りの名人で、代表作には『空へつづく神話』や『サメのサメザメ』などがあります。


母子の共作絵本『ぼくの鳥あげる』では、優しくも美しい色合いのイラストを担当しました。

母の才能を受け継いだ一流アーティストですが、実は親子関係は決して良くなかったそうです。

2010年に72歳で亡くなった母について、「一緒に過ごすのは3日が限度だった」と語っています。

最期までバイタリティに満ちていたそうで、病院でも親子喧嘩ばかりしていたそうです。

わがままで感情的な母のことを「ずっと嫌いだった」とも語っています。

周囲からは「佐野洋子に溺愛された息子」と扱われてきたそうですが、自身としては尋常ではない愛情に戸惑っていました。

「息子というより、面白いおもちゃとして扱われた」「母は息子を溺愛している自分に酔っていた」などと感じていたそうです。

一度は両親から別々に呼び出され、「もしお父さんとお母さんが溺れたら、どちらを助ける?」と訊ねられました。

まだ幼い広瀬さんは「どちらも助ける」と答えて切り抜けようとしますが、佐野さんはとことん追及。

息子を困らせるのが好きだったようですね。

確かにあまり優しいお母さんではなかったのかもしれません。

それでも広瀬さんは、12歳で両親が離婚した際は母についていきました。

男として「母を守ってあげよう」と考えたそうです。

佐野さんは嬉し泣きしたそうですが、実はウソ泣きだったとのこと。

なかなか一筋縄ではいかない親子関係だったといえますね。

佐野洋子の元夫は谷川俊太郎

佐野さんは最初の夫で広瀬さんの父にあたる男性と、1980年に離婚しています。

1990年、詩人の谷川俊太郎さんと再婚。

プレイボーイの谷川さんにとっては3度目の結婚でした。

馴れ初めは免許更新で、突然交際が始まったそうです。

一緒にギリシャ旅行も楽しんだそうですが、結局この結婚生活も6年で終了。

わがまま同士のため、関係がこじれてしまったのかもしれませんね。

広瀬さんは最初の夫との息子ですが、谷川さんとも交流を深めてきました。

実は中学生の段階で、すでに母から谷川さんを紹介されていたそうです。

2人は仕事で共作することもあったため、ある日突然、恋愛関係に発展するのは簡単だったのでしょう。

広瀬さんは2人の離婚後も、谷川さんと交流を続けます。

2003年には共作『まり』を発表。

谷川さんとの仕事は自由で面白いため、積極的に共作してきたようですね。

また趣味の車の話で盛り上がるなど、公私共に長く交流を続けてきたといいます。

佐野さんもなぜか谷川さんの存在をずっと気にしていたそうです。

「ちょっと彼の様子を見てきて」と広瀬さんに頼むこともありました。

芸術家の元夫婦らしく、非常に個性的な関係を築いていたようですね。

佐野洋子は出産後に最初の夫と離婚

実は広瀬さんの父も、谷川さんと一緒に仕事をしたことがありました。

ピーター・メイル作の絵本『ぼくどこからきたの?』で、谷川さんは翻訳を担当。

同作のブックデザインを手がけたのが、広瀬さんの父でした。

佐野さんは白木屋宣伝部のデザイナー時代に結婚しているため、彼もまた同社のデザイナーだったのでしょう。

彼は『ぼくどこからきたの?』を担当した際、書体も自ら作るほど張り切っていたといいます。

まさか自分が手がけた絵本の翻訳家が、別れた妻とのちに結ばれるとは考えていなかったに違いありませんね。

佐野洋子は母を介護。北軽井沢での晩年

佐野さんは谷川さんと離婚後、北軽井沢で晩年を過ごしました。

谷川さんも軽井沢に別荘を構えているため、遠目から彼を見守ろうとしたのでしょう。

愛しているものの一緒に過ごしているとこじれてしまう、複雑な関係性ですね。


佐野さんは北軽井沢で母のシズさんを引き取り、2006年に死別するまで介護に明け暮れました。

小林秀雄賞受賞エッセイ『神も仏もありませぬ』や自伝『シズコさん』などに、母の詳細が描かれています。

長年母を愛せなかった佐野さんですが、母の老いに触れて憎しみの感情がなくなったそうです。

幼少期は母から拒絶されたものの、老いた母は素直に佐野さんの愛情を受け入れてくれたのでしょう。

母を看取った同年、68歳の佐野さん自身も、がんで余命2年の宣告を受けました。

余命宣告後、「老後のためにお金を貯める必要がない」と考え、ジャガーを買ったそうです。

愛煙家の佐野さんにとって、ジャガーは晩年を楽しく過ごすのに必須のアイテムだったのでしょう。

抗がん剤で髪の毛が抜け落ちた際も落ち込まず、自分の頭の形が美しいことを喜んでいました。

最後の作品となった闘病エッセイ『死ぬ気まんまん』は、人生を謳歌した佐野さんを象徴するかのようなタイトルですね。

まるで、死を迎える日が来るのを楽しみにしているかのような彼女の生き方。

ある日広瀬さんが「おふくろは死ぬ気まんまん」と漏らしたため、そのままタイトルに使ったようです。


最期までひたすら人生を楽しんだ佐野さんは、2010年に乳がんで72年の生涯を終えました。

なかなか彼女のように生きられそうにありませんが、佐野作品に触れるだけでも、明日を生き抜く力が湧いてくるかもしれませんね。

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