森類の子供と妻、再婚相手の家系図まとめ。『鴎外の子供たち』による姉との絶縁

文豪・森鴎外の三男で随筆家の森類(もり るい)。

元々は絵の道を志しながら文筆業に転向し、書店の経営にも携わりました。

父のような文豪にはなれなかったものの、その生涯は極めてドラマチックで小説にもなったほど。

今回は類の子供、妻、再婚相手を家系図からチェックします。

併せて著作『鴎外の子供たち』が原因で、姉と絶縁したエピソードをご紹介します。

森類のプロフィール

本名:森類

生年月日:1911年2月11日

死没:1991年3月7日

身長:不明

出身地:東京都文京区千駄木

最終学歴:川端画学校

森類の子供は4人

類には4人の子供たちがいました。

長女の山口五百(いお)さん、次女の菊地佐代さん、三女の森りよさん、長男の森哲太郎さんです。

哲太郎さんは樹木医として活動しつつ、類の資料保存や公開にも貢献してきました。


類は広大な屋敷で何不自由なく育ちましたが、父・鴎外の死後は経済的に苦しい時期も過ごしています。

元々は画家を目指して、のちに随筆家となる姉・小堀杏奴と共にパリへ遊学。

しかし帰国後は徐々に困窮し、出版社社員や美術講師として働きます。

やがて小説家を志して絵筆を断ちましたが、目立った活躍はできませんでした。

結局、自宅の一角で書店「千朶書房」を営み、自転車で雑誌を配るなどして生計を立てていたそうです。

パリから帰国後に結婚した妻と、生まれた4人の子供を育てるために必死だったのでしょう。

文豪の息子でありながら生活が苦しいことへの腹立たしさや、父のような文豪になれないことへの苛立ちもあったはず。

やがて権力に対する反感を抱くようになり、共産主義思想を支持し始めたようです。

ただ何とかアパート経営などで苦境は乗り切っており、決して本当の意味で貧困生活は送らずに済んでいます。

4人の子供たちも立派に進学し、成長しました。

だからこそ哲太郎さんも大学を卒業し、樹木医として活動できたのでしょう。

森類の妻は美穂。再婚相手は小屋恵子

類は1941年3月に、画家・安宅安五郎の長女である美穂と結婚しました。

戦時中は一家で福島県喜多方町へ疎開。

戦後は東京へ戻り、書店を切り盛りしながら生活しています。

類を支えてくれた美穂ですが、1976年に亡くなってしまいました。

彼は生活力がなく、誰かに頼らずには生きられなかったそうです。

そのため妻との死別から3年後には、小屋恵子さんという女性と再婚しています。

甘えん坊の彼が暮らしていくには、頼りがいのある女性の存在が不可欠だったのですね。

森類の家系図まとめ。鴎外の5人の子供たち

類は父・鴎外と母・志げの間に、5人兄弟の末っ子として生まれました。

兄と姉は長兄・於菟(おと)、長姉・茉莉(まり)、次兄・不律(ふりつ)、次姉・杏奴(あんぬ)です。

現代風に表現すると「キラキラネーム」と呼ばれそうな、変わった名前ばかりですね。

鴎外が外国人にも名前を読んでもらいやすいよう、変わった響きの名前を付けたのです。

類はフランス王の名前「ルイ」にちなんで命名されたとのこと。

当時としては革新的でハイカラな名前だったはずですね。

次男の不律は残念ながら夭折し、4人の兄弟が成人しました。

於菟は医者・随筆家、茉莉と杏奴も随筆家として活動。

文才に恵まれたインテリ兄弟でしたが、これが仇となって、のちに関係が悪化してしまうのです。

森類は著作『鴎外の子供たち』が原因で姉2人と絶縁

類は1956年に著作『鴎外の子供たち あとに残されたものの記録』を発表。

自身を含む森家の子供たちについて赤裸々につづりました。

結果的に姉2人が、自分たちの描かれ方に対して激怒します。

彼女たちは類を一方的に絶縁してしまったのです。

とくにかつて類とパリへ美術留学した杏奴は、元々仲良しだったからこそ「裏切られた」という気持ちが強かったはず。

彼女は生涯、類を許しませんでした。

茉莉と類はのちに和解したものの、杏奴との関係を修復できなかったのは残念ですね。


類はきっと純粋な性格のため、嘘を付けない人だったのでしょう。

本来は隠すべき内容まで赤裸々につづってしまい、姉たちを傷付け、怒らせてしまったのです。

彼の不器用ながらも優しい人柄がうかがえる評伝小説が、朝井まかてさんの『類』。

鴎外の子供たちが辿った道をチェックし、彼らの人間ドラマを知りたい人におすすめの作品です。

類自身の著作と併せて読むことで、より細かく彼らの気持ちを理解できるはず。

文豪の子供たちならではの個性的な人生をひも解きつつ楽しんでみてください。

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