森鴎外の孫、子孫の今。家系図から見る家族。母について

明治期を代表する文豪で知識人の森鴎外(もり おうがい)。

『山椒大夫』や『高瀬舟』といった、日本文学史に残る名作を執筆した業績は言うまでもありません。

しかしそれだけでなく、彼は並外れた知識を備えた人物で、史上最年少で医学学校に入学してドイツへ国費留学も果たしています。

文豪と医者という2つの面を持つ、まれに見るインテリだった鴎外。

その遺伝子を継いだ孫、子孫はいるのでしょうか。

家系図から家族情報をひも解きながら、その母についても詳しく見ていきましょう。

森鴎外のプロフィール

本名:森林太郎

生年月日:1862年2月17日

死没:1922年7月9日

身長:161cm

出身地:島根県津和野町町田

最終学歴:東京医学校(現在の東京大学医学部)

森鴎外の孫、子孫の現在

まずは鴎外の孫、子孫がいるのか見ていきましょう。


鴎外の長男で医学者の森於菟(もり おと)には、鴎外の孫にあたる5人の息子がいます。

鴎外は子供たちに、国際的に通用するよう外国人名の響きを持つ名前を付けていますが、孫たちも同じでした。

孫たちの名前は、真章(まくす)、富(とむ)、礼於(れお)、樊須(はんす)、常治(じょうじ)で、今で言うキラキラネームだったことがわかります。

いずれも専門的な学問の道に進み、大学教授や技術者になりました。

医学博士となった真章の娘にはエッセイストの森美奈子さんがいますが、彼女は鴎外のひ孫と言うことになります。

動物学者である樊須の息子にあたる森千里さんは、環境生命医学を研究する医学者です。

医学と文学の両方で業績を残した鴎外の孫、子孫たちは、いずれもそのDNAを受け継いで同じ道に進んだことがわかりました。

森鴎外の家系図まとめ。家族情報

次に鴎外の家系図をまとめ、家族情報をご紹介します。

森家は代々、現在の島根県である津和野藩で大名お付きの医者でした。

鴎外の父である森静泰(静男)は婿養子として藩医を務めていましたが、廃藩置県をきっかけに10歳の息子を連れて上京。

北千住に橘井堂医院を開業しています。

鴎外は森家にとって久しぶりの嫡男だったうえ、幼少期から学識が高く、期待されて育ちました。

たださすがに、現在の東京大学医学部に12歳で進学したという事実は驚きですね。

19歳で卒業後は陸軍軍医になるまで、父の病院を手伝っています。

実質は鴎外が家業を継ぎ、弟の篤次郎(とくじろう)は医師として勤めつつも、三木竹二という名前で歌舞伎などの劇評家になってからの功績の方が大きいでしょう。

妹の小金井喜美子は、2人の兄について貴重な回想を残している文学者で、歌人でもあります。

そして喜美子の孫にあたるのが、ショートショートでおなじみのSF作家・星新一さんということでした。

森家は本来、医学を家業として修めるべき家系でしたが、それに加えて文学にも才能の幅を広げられる人材が多数いたことがわかりました。

多方面で業績を残した人々が織りなす、華麗なる家系図でしたね。

森鴎外の母はどんな人物

では、あまり話題に上らない印象のある、鴎外の母はどんな人物だったのでしょうか。

母の名前は峰子といい、鴎外は彼女に対して絶対的な信頼を置いていたそうです。

お見合いの相手も峰子が推薦していますが、本来であれば息子は反発しかねない状況の中、鴎外は母の指示に従って見合いをしました。

常に鴎外のために色々と世話を焼いていた律子は、おそらく鴎外にとって父親以上に頼もしい存在だったのでしょう。

『山椒大夫』や『最後の一句』といった鴎外作品には、自らを犠牲にして家族を救おうとする芯の強い女性が描かれています。

これらの女性像には、常に子供のためを思って行動した律子の姿が反映されているのかもしれません。

母に対する強い思いは、鴎外作品に大きな影響を与えたのでしょう。

今回は森鴎外と子孫、家族についてご紹介しました。

常識では考えられぬほどの高い知性を持ち合わせた天才的文豪の家系は、それ以前から代々、豊かな学識を備えたインテリ一族だったのでしょう。


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