森茉莉の部屋アパート。貧困で片付けられない晩年?最期は孤独死

文豪・森鴎外の長女で、エッセイストとして活躍した森茉莉(もり まり)。

独自の価値観を反映させた『贅沢貧乏』などの著作がある、今なお人気の作家ですね。

今回は茉莉の後半生に焦点を当ててみましょう。

話題の部屋とアパート、貧困生活だったという情報、モノを片付けられない晩年、孤独死を遂げた最期をチェック。

一見不遇の晩年ですが、実は茉莉は幸せに生涯を全うしたという説について考えていきます。

森茉莉のプロフィール

本名:森茉莉

生年月日:1903年1月7日

死没:1987年6月6日

身長:不明

出身地:東京都文京区千駄木

最終学歴:仏英和高等女学校(現在の白百合学園高等学校)

森茉莉の部屋はガラクタだらけ。下北沢のアパートで貧困生活

父の鴎外に溺愛され、16歳まで彼の膝に乗っていたという茉莉。

飴玉を盗んだときも鴎外から「茉莉が盗んだのなら、上等、上等」と褒められたといいます。

厳格なイメージのある鴎外ですが、かわいい娘のことは甘やかさずにはいられなかったのでしょう。

しかし茉莉は父の死、2度の離婚を経て、下北沢の木造アパート暮らしを余儀なくされたのです。

鴎外の印税を頼りに暮らしていたものの、著作権切れによりそれもなくなりました。

こうして茉莉は自ら筆を執り、エッセイや小説を執筆し始めるのです。

『父の帽子』で54歳にして日本エッセイストクラブ賞を受賞。

その後もアパートの部屋で黙々と作品を書き続けました。

彼女が暮らした「アパルトマン」の部屋は、床一面がガラクタで埋め尽くされていたといいます。

鴎外の溺愛によって何不自由なく育った彼女は、掃除や洗濯、裁縫といった家事一切ができなかったのです。


黒柳徹子さんが茉莉の部屋を訪れた際も、紙屑が山を築いており、コーラの瓶とコップを探し出すのが大変だったといいます。

しかし茉莉は、ガラクタだらけの部屋を「幻の豪華」で装飾されていると語りました。

壊れかけた安物のスタンドに彫られた天使を眺め、フィレンツェにいる空想を展開。

また色あせた壁掛けを部屋にかけ、高級なゴブラン織りを空想し、楽しいひと時を送っていたそうです。

訪問客が少しでもガラクタを動かそうとすると、茉莉はひどく怒りました。

一人暮らしの茉莉にとって、一見ガラクタに見えるもののすべてが、楽しい空想に不可欠な宝物だったのでしょう。

茉莉は、「幸福」は現実ではなく空想の中にあると考えていました。

一見惨めな貧困生活ですが、実はガラクタと空想によって、彼女は誰よりも豊かな時間を過ごしていたようですね。

森茉莉の片付けられない晩年の生活

生活能力が著しく欠如していた茉莉。

詩人の室生犀星が彼女の部屋を見て、トラウマになってしまい夜も寝られなくなったという逸話さえあります。

茉莉に言わせれば、お金が必要な贅沢に想像力は必要ないとのこと。

お金持ちには味わえない、想像力をフルに使った幸せな生活を楽しんでいたのです。

茉莉にとって木造アパートは宮殿、こたつ布団はタペストリーでした。

缶詰の肉でさえ、高級料理として味わっていたそうです。

普通は高級料理の内容を想像するだけでお腹が減ってしまい、むなしくなりそうですよね。

しかし茉莉はたくましい想像力で、貧相な料理を高級料理として味わっていたのです。

ただ彼女は唯一、料理だけは得意だったといいます。

実際にエッセイや小説でも、食べ物の魅力的な描写をいくつも楽しむことができますね。

限られた食材も工夫して、おいしい料理に仕上げる腕前があったのでしょう。

幸せな生活を送れるかどうかは、お金ではなく、自身の心次第であると感じさせるエピソードですね。

森茉莉の孤独死

1979年に茉莉は、「週刊新潮」で連載『ドッキリチャンネル』を執筆しました。

独自の観点からテレビ番組を批評する連載は好評でしたが、1985年に心臓発作により入院し、打ち切りとなります。

入院から2年後の1987年、当時暮らしていた世田谷区経堂のアパートの自室で倒れている茉莉が発見されます。

見つかったときには心不全で亡くなっており、死後2日が経っていたそうです。

倒れていた茉莉の腕は、黒電話の方へ伸ばされていました。

苦しみながらも救急車を呼ぼうとしていたことがうかがえますね。

85年の生涯は、孤独死という形で幕を閉じたのです。

自らの信念を貫き、貧しいアパート暮らしを楽しみ続けました。


彼女が最期に何を思ったかはわかりませんが、全体的に見ればあっぱれな生涯だったといえるでしょう。

今は天国で、再び鴎外から「上等、上等」と褒められているかもしれませんね。

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