宮澤 喜一(みやざわ きいち)さんは首相や初代・財務大臣として日本の政界に名を遺しました。
頂点に上り詰めただけあって家柄も素晴らしく、家系には政治家や著名人が多くいるそうです。
今回は宮澤さんの家系図や孫、子供や妻といった家庭環境についてチェックしていきましょう。
宮澤喜一のプロフィール
第78代内閣総理大臣 宮澤喜一 (49人目)
自由民主党 広島県 72歳
1991年11月5日-1993年8月9日(644日) https://t.co/eIYmf7T3SH pic.twitter.com/CZVMbRutJ0— 歴代内閣総理大臣BOT (@pmoJ_bot) February 27, 2022
本名:宮澤 喜一(みやざわ きいち)
出身地:東京府東京市
生年月日:1919年10月8日
没年月日:2007年6月28日(87歳没)
最終学歴:東京帝国大学(法学部)政治学科卒
主な役職:第78代内閣総理大臣
宮澤喜一の家系図チェック
まずは宮澤喜一さんを取り巻く一族の家系図を見ていきます。
総理大臣を輩出した宮澤家は正解の中でも屈指の名家として有名ですが、文字だけで説明しても分かりにくいので当サイトが作成した家系図をご覧ください。
宮澤喜一 家系図
父親の裕(ゆたか)さんは国会議員を6期務め、商工省参与などを歴任した中堅政治家でした。
国会議員を6期務めただけでも国家へ十分に貢献したと言える経歴ですが、何よりも大きな業績は同郷だった池田勇人さんと喜一さんを引き合わせたことでしょう。
池田さんは裕さんに結婚の面倒を見てもらった恩義もあり、参議院議員2期目だった喜一さんを経済企画庁長官として初入閣させるといった”恩返し”をしていました。
もっとも、この人事は情緒的なものでは無く喜一さんの実力を評価したという見方が強いです。
また、母方の祖父・小川平吉さんは司法大臣や鉄道大臣を歴任した権力者なので、喜一さんは両家の政治的権力を受け継ぐことができた幸運児と言うこともできるでしょう。
広島県知事などを歴任した弟の弘さんは岸田文雄さんの叔母・玲子さんと結婚し、のちに経済産業大臣などを務める衆議院議員の洋一さんを授かっています。
末弟の泰さんは外務省で大臣官房審議官やドイツ連邦共和国の大使を歴任。
さらに、喜一さんの息子の裕夫さんの妻は石橋正二郎さん(ブリジストンの創業者)の孫にあたるので、宮澤家は日本屈指の名家「鳩山家」とも連なる家系となりました。
ここまで華やかな家系図を見ると、まさに「類は友を呼ぶ」と言ったところでしょうか。
この項目では家系図全体を見てきたので、次は喜一さんの家族を個別に取り上げていきます。
宮澤喜一の孫は宮澤エマ&娘は宝石商
この項目では宮澤喜一さんの孫や娘について見ていきましょう。
芸能界で活躍する政治家一族と言えば小泉孝太郎さんや「DAIGO」さんが有名ですが、俳優やタレントとして活動をしている「宮澤エマ」さんも忘れてはいけない存在でしょう。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条政子の妹役、北条実衣役の宮澤エマどんの母方のおじいちゃんは「第78代内閣総理大臣宮澤喜一」さんじゃねえ。つまりエマどんは孫じゃねえ。
(NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」より) pic.twitter.com/C3QbwBGkBf— ©︎鹿児島ゆるキャラ「ニャンどん・猫殿」(公式) (@nyandon3) January 10, 2022
エマさんはアメリカ人とのハーフ(ダブル)なので喜一さんの孫と思わない方も多いそうです。
もっとも、幼少期や大学時代をアメリカやイギリスで過ごすなど直接的な繋がりやエピソードは薄いので、総理の孫という肩書が定着しないのは無理もないことでしょう。
エマさんの母(喜一さんの娘)は啓子さんといい、東京都内でトラベルジュエリーを販売するクラブサーの代表を務める実業家という顔を持っているそうです。
啓子さんの経歴も素晴らしく、慶應大学法学部からコロンビア大学に進んでMBAを取得し、フランスに留学を経てルフトハンザ航空のキャビンアテンダントに就職しています。
また、エマさんの父親・クリストファー・ラフルアーさんはアメリカの駐日代理大使を務めたという経歴を持っており、宮澤家の威光は国内にとどまらず海外にも及んでいました。
昔ながらの家柄にあぐらをかかず、新しい環境で多くを吸収するという貪欲さも見事です。
その点を踏まえると、伝統と格式、さらに海外のエリートや文化・ファッションの結晶であるエマさんは「選ばれた人間」といっても過言ではないでしょうね。
宮澤喜一の息子は政治家ではなく建築家
孫や娘の次は宮澤喜一さんの跡継ぎである息子について見ていきます。
喜一さんには1949年に授かった裕夫(ひろお?)さんという建築家の息子がいますが、政治家やタレント、経営者などが並ぶ一族の中ではかなり地味な存在でした。
ただ、建築家も際立った才能がなければなれない特別な仕事ということは間違いありません。
総理大臣まで務めた政治家の長男であれば跡継ぎとして担がれることが多いですが、裕夫さんは周囲の押し付けではなく自分のやりたい道を突き進んだと言えるでしょう。
それにしても、喜一さんの後継者であれば選挙も楽勝して「国会議員の先生」になれたにもかかわらず、己の信念を貫いたのは極めて珍しいタイプと言えるかもしれません。
もっとも、そのぐらいの変わり者でなければ芸術系の建築家は務まらないのでしょうね。
宮澤喜一の妻は大学教授の娘
最後に宮澤喜一さんを支え続けた妻について見ておきましょう。
妻の名前は伊地知 庸子(いじち ようこ)さんといい、年齢は生年月日が1920年2月18日と公表されているので宮澤さんと同い年(早生まれ)ということになります。
庸子さんの父親は英語学者で早稲田大学の名誉教授を務めた伊地知 純正(すみまさ)さんで、自身も東京女子大学に進んだという当時でも特筆に値する家柄のエリート。
ふたりが知り合ったのも飲み会ではなく「日米学生会議」という男女の交際には縁遠い場所だったものの、意気投合をして大学卒業後の1943年11月30日に結婚をしています。
宮澤さんの総理就任に伴ってファーストレディーを務めましたが、あまり前に出るタイプではなかったので多くの国民に知られることはありませんでした。
もっとも、日本の首相夫人は一部の人を除くとほとんど知られることがないので、庸子さんの能力や発信力が不足していたという見方は適切ではないでしょう。
宮澤さんと同い年なので「もう・・」と思ってしまう方も多いでしょうが、103歳を迎えた2023年現在も健やかに過ごされているとのことでした。
これから先も宮澤家のゴッドマザーとして一族を良き方向に導いていって欲しいですね。
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