日本列島の姿を明らかにした、江戸時代の測量家である伊能忠敬(いのう ただたか)。
忠敬の家系図をチェックしたところ、子孫は意外な分野で活躍していました。
今回は伊能家の子孫が、キャディーとカフェ経営者であるという情報を確認。
併せて忠敬の生家と旧宅を紹介します。
伊能忠敬のプロフィール
本名:神保三治郎
生年月日:1745年2月11日(延享2年1月11日)
死没:1818年5月17日(文化15年4月13日)
身長:160cm前後
出身地:上総国山辺郡小関村(現在の千葉県山武郡九十九里町小関)
伊能忠敬の家系図:子孫はキャディーの伊能恵子
忠敬の家系図を確認し、子孫がキャディーという情報に迫りましょう。
確認したところ、忠敬の子孫はプロキャディーの伊能恵子さんでした。
2016年の東海クラシックで優勝したプロゴルファーの片岡大育さんを担当したことで有名です。
伊能忠敬の末裔 伊能恵子さんがゴルフで正確な距離を歩測してる話好き pic.twitter.com/93l83sJUtn
— すずりんご🍎 (@herium_golf) April 14, 2018
お顔を確認したところ、高い鼻と凛々しい目元が、驚くほど先祖に似ていますね。
伊能忠敬さんの肖像画と、子孫の伊能恵子さん。ソックリ!ちなみに、伊能恵子さんの職業は、ゴルフのキャディー。距離感などの才能は遺伝! pic.twitter.com/VhYn2prlkX
— いたがき歯科クリニック (@itagakishika) April 18, 2019
伊能忠敬の末裔女子(伊能恵子さん)は、図面好きのプロキャディ。御先祖譲りの地形を測る能力で活躍中。#sawara pic.twitter.com/W4ETZh5TIL
— アッキー (@akimoon) May 22, 2015
1969年生まれの千葉県出身で、元々は幼稚園教諭を志望していました。
資格を取るべく専門学校進学を目指し、学費を稼ぐためにいったんゴルフ場のハウスキャディーに就職。
23歳でプロゴルファーの夢を見出し、練習と研修会への参加に励む日々を送ります。
しかし30代に入ってもプロにはなれず、夢を諦めました。
それでもゴルフで食べていく道は諦めず、ツアーキャディーになったのです。
2003年、「新潟オープン」で念願の初優勝。
一時は難聴で休業しましたが、2016年に片岡大育さんから、直接帯同を依頼されました。
こうしてツアーに復帰し、3年間で彼を2勝に導いたのです。
片岡さんは恵子さんについて、「歩測勘はすごい。伊能忠敬の子孫だから」と語っています。
面影はもちろん、歩幅で地形を読む正確な能力をも、偉大な先祖からしっかり受け継いだのですね。
伊能忠敬の家系図:子孫はカフェ「いのう」経営者
忠敬直系の子孫で17代目にあたる人が、カフェの経営者となっていました。
カフェは千葉県の佐原にある伊能忠敬記念館の向かいに店を構える「珈琲遅歩庵いのう」です。
伊能家17代目がオーナーの遅歩庵いのう☕
コーヒーと梅ジュースをいただきました🙏
お店の入り口① pic.twitter.com/YSJeU1ZQIn— EkN【しば漬け×ブリ】 (@eiji63065) June 22, 2020
江戸時代の風情が残る建物で、入り口横には伊能家の家系図が掛けられており、歴史マニアが楽しめそうですね。
ドラマ『東京バンドワゴン』のロケ地になった歴史的な建物を眺めるだけでも、十分に非日常を味わえるはず。
メニューは挽きたてコーヒーのほか、イチゴセーキや大納言アイスを用意しています。
名物は江戸時代の漆器に入った田舎しるこ。
歴史を感じながら田舎しるこを口にすると、心がほっと落ち着くに違いありませんね。
伊能忠敬ゆかりのお店「遅歩庵 いのう」にて名物の田舎しるこをいただきました。なんとこの器、江戸時代の漆器なんだぜ・・・! pic.twitter.com/mtTQvW8FNT
— Altria(アルトリア/A.J) (@Altria_Jackson) April 28, 2019
伊能忠敬記念館を訪れた観光客が、休憩がてら立ち寄るのにちょうど良いお店です。
ただこじんまりした店内のため、混雑する時間帯だと長居はできない様子。
また口コミを見ると、店員さんが忙しそうにしている様子がわかったため、子孫とゆっくり話すことは難しそうですね。
なるべく空いていそうな時間帯を事前にチェックしておいた方が良いでしょう。
伊能忠敬の生家跡に銅像
忠敬の生家は現存しておらず、出生の地「千葉県山武郡九十九里町小関」に石碑が建っています。
石碑は1937年、地元の人々が努力した結果、郷里が生んだ偉人のために建てられることとなりました。
石碑には、言論人として知られた徳富蘇峰による「伊能忠敬先生出生之地」の文字が刻まれています。
最後の立ち寄り地。伊能忠敬出生地。 pic.twitter.com/UmALna37qU
— yamatanuki (@yamatanuki) November 19, 2020
また忠敬誕生250周年の際、小関の生家跡へ彼の銅像が建てられました。
この地は公園として整備され、現在に至っています。
伊能忠敬出生地 九十九里町
久しぶりに「伊能忠敬記念公園」に立ち寄りました。
しだれ桜🌸が咲き始めました。 pic.twitter.com/Zw33ARM2FW
— ぜんとう道代 (@michiyo0426) March 26, 2018
華やかな観光地とは言えないかもしれませんが、忠敬ファンであれば足を運んでおきたいスポットですね。
伊能忠敬の旧宅は記念館の向かい側
江戸時代の風情が残る街、千葉県香取市佐原にある伊能忠敬記念館。
小野川を挟んだ向かい側に、忠敬の旧宅があります。
伊能忠敬旧宅
🏚️
伊能忠敬が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家。醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が遺る。土蔵は古い様式を残し、また店舗と正門は忠敬が婿養子に入る以前の建物。
🏠
第二幕での偉業は、全50歳以上に勇気をくれる。#おうちで建築巡り pic.twitter.com/TAcPgyWDOg— 小口善左衛門📷地姿の記憶✒️或は流文 (@13zenzaemon) October 2, 2020
伊能忠敬旧宅へ、小江戸佐原の小野川沿いを散策。50歳を過ぎ、年下の師匠に弟子入り。そこから、徒歩で日本地図を作る。個人的には、もっと評価されてもいい人物だと思います。🚣♀️ pic.twitter.com/7ujRb6rE6f
— 大竹達哉 (@billken6) August 5, 2021
商家作りの平屋で、忠敬が伊能家へ婿入りしてから50歳まで暮らした家です。
伊能家は醸造業などを営んでいたため、土蔵や炊事場、書院なども残っています。
さらに店舗と正門は、忠敬が婿に入る前、すでに建てられていたそうです。
歴史ある街並みが残る佐原の中でも、とくに古い時代の建物ですね。
旧宅の正面には荷揚げ場「だし」があり、現在は観光船の乗り場として使われています。
記念館と旧宅をつなぐのは、小野川にかかる樋橋、通称「じゃあじゃあ橋」です。
通称の由来は橋から流れ落ちる水の音で、「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
小野川 樋橋(じゃあじゃあ橋)復活
10/23再開されました. pic.twitter.com/uSGXQYvCyH— Taya (@mtwinningrun) October 26, 2018
忠敬ファンもそうでない人も楽しめる、歴史的な街・佐原。
なぁみんな……千葉に江戸時代の町があるんだぜ……嘘みてぇにエモいだろ…
マジで200年前の建物とか現存してて、そのまま商売続いてる店もあるんだぜ…
都心から1時間ちょいでタイムスリップできるの控えめに言ってもエモの極みオブ極みだろ……
いま宝掘り当てた気持ちだよ…▼香取市佐原の町並み pic.twitter.com/3pfrMdDlY2
— あんちゃ/執筆屋 (@annin_book) June 24, 2019
ぜひ一度足を運んで、歴史的風景を楽しみながら、忠敬に思いを馳せてみたいものですね。
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