荒木由美子の現在(2023)。がんの発症と壮絶な介護。夫と同じ事務所、アリババ創業者も魅了

日本だけでなく中国でも高い人気を誇った荒木由美子(あらきゆみこ)さん。

2023年現在、芸能活動だけでなく講演活動でも大忙しのようです。

壮絶な介護体験もたびたび話題となっています。

自分の命よりも介護を優先したというまさに聖人君子のような存在。

若い頃のアリババ創業者の憧れの存在としても知られています。

荒木由美子は現在(2023)、全国各地で講演を行っている

1976年の「第1回ホリプロスカウトキャラバン」で審査員特別賞に輝き芸能界入りした荒木由美子さん。

翌年、アイドル歌手としてデビューを果たすと数々の音楽賞で新人賞を受賞。

その後、歌手だけでなく女優やタレントとしても活躍。

そして1979年に主演したドラマ「燃えろアタック」で大ブレイク。

同年のブロマイド売り上げで5位になるなど国民的な人気者となりました。

また、同ドラマは日本だけでなく中国でも大人気。


中国での最高視聴率は80%を超えるとも言われています。

その後の更なる飛躍が期待されていた荒木由美子さん。

ですが、1983年に13歳年上の歌手でタレントの湯原昌幸さんと結婚。

そして主婦業に専念するため芸能界から一時引退してしまいます。

きっとこの時は夫との穏やかで幸せな日々を思い描いていたはず。

ところが待っていたのは義母の介護。

結婚してから僅か2週間後に義母が入院。

それから約20年に渡って義母を介護し続けたんです。

20年間の介護経験を基に2004年「覚悟の介護」を出版した事をきっかけに芸能活動を再開。

2007年には夫の湯原昌幸さんとデュエット曲を発表し歌手活動も再開しました。

そして2017年にはソロ歌手として実に37年ぶりとなる「私はブランコ」をリリース。

これを機に本格的にソロ歌手としても活動するようになりました。

荒木由美子さんは2023年現在も歌手やタレントとして活躍中。

湯原昌幸さんとCMや旅番組などで共演する事も少なくありません。

また、介護や家族についての講演活動も積極的に行っています。

荒木由美子さんの言葉で「心が軽くなった」という人もきっと多い事でしょう。

荒木由美子はがんを発症していた

1983年から約20年に渡って義母の介護を行っていた荒木由美子さん。

実はその間、自らも大病を患っていたんです。

その大病とは皮膚がんの1種である黒色腫。

荒木由美子さんが黒色腫を発症したのは2001年。

末期の場合だと5年生存率は約10%。

つまり死亡率が約90%という非常に恐ろしい病なんです。

早急に入院して手術を受ける必要があった事は間違いないでしょう。

ところが荒木由美子さんは「義母の介護が出来なくなる」という理由で手術をせず。

するといつしか黒色腫は消えていたそうです。

自然に癌が消えるなんて聞いた事がありませんよね。

もし真実であれば本当に奇跡としか言いようがありません。

自分の命よりも義母の介護を選択した荒木由美子さん。

だからこそこのような奇跡が起こったのでしょう。

ただ、再度がんになるような事があれば今度こそは手術を受けて欲しいものです。

荒木由美子の介護が壮絶だった

結婚から2週間後に入院した荒木由美子さんの義母。

この時はまさか約20年間も介護が続くとは思ってもいなかったそうです。

義母が入院したのは糖尿病や高血圧、心臓肥大などの生活習慣病のため。

なかなか改善せずに3か月に1度のペースで入院していたそうです。

入院中に1日でも病院に顔を出さないと心配して寂しがる義母。

そのため荒木由美子さんは妊娠中も毎日のように病院に足を運んだそうです。

そして退院した後は自宅での介護に加えて日常の家事。

こんな日々を過ごしていたら健康な人でも心身共に疲れ果ててしまいますよね。

ましてや妊婦には非常に酷な環境である事は間違いありません。

そのため荒木由美子さんは妊娠5か月の頃に流産の恐れがある事から入院。

また、妊娠9か月の頃には切迫流産しそうになったそうです。

それでも「自分がやらなければ」という責任感から子供を出産後は家事と育児、そして介護に非常に多忙な日々を過ごす事に。

さらに不幸な事に結婚から3年目の頃に義母が認知症を発症。


その後の義母は不機嫌になる事が多くなり、お金遣いも荒くなってしまったそうです。

また、夜中に家の中を徘徊し窓やドアの鍵を全て壊してしまった事も。

心身共に追い詰められた荒木由美子さんは自律神経失調症を発症。

夫の湯原昌幸さんも心身ともに限界に来ていたのか母の首に手をかけてしまったんだとか。

それを必死に止めながら「これ以上、自宅での介護は無理だ」と感じた荒木由美子さん。

自分で介護出来ない無念な気持ちを抑え、設備の整った施設で義母を看てもらう事を決意。

そして施設介護になった義母はそれから8年後に他界しています。

なお、荒木由美子さんは施設介護となってからも頻繁に義母の元を訪れていたそうです。

これだけ甲斐甲斐しく介護して貰えて義母も幸せだった事でしょうね。

荒木由美子と夫は同じ事務所に所属している

荒木由美子さんが所属するのは株式会社ハブマーシー。

設立は1991年2月と芸能事務所としては比較的新しい会社のようです。

なお、同事務所には夫の湯原昌幸さんも所属しています。

そのため荒木由美子さんも芸能活動を再開するにあたって同事務所の所属となったのでしょう。

世間的な認知度が高いとは言えない株式会社ハブマーシー。

また、所属タレントも決して多いとは言えません。

ですが、事務所があるのは世田谷区の奥沢。


屈指の高級住宅地と言われる奥沢に事務所があるなんて相当儲けている事は間違いありません。

きっと社長が相当の敏腕なのでしょうね。

若い頃のアリババ創業者も魅了されていた

前述の通り中国でも非常に高い人気を誇った「燃えろアタック」。

主演を務めた荒木由美子さんの人気も凄かったそうです。

アリババ・グループCEOの馬雲さんも荒木由美子さんに魅了された一人。

大学受験に失敗し浪人中だった馬雲さん。

何もやる気が起きずに毎日、自転車を乗り回す日々。

そんな時に偶然、目にしたのが「燃えろアタック」。

すると瞬く間に荒木由美子さん演じる小鹿ジュンの虜となってしまったそうです。

そして小鹿ジュンから挫けない心や周囲との団結など仕事と人生に関する様々な事を学んだ馬雲さん。

その後、企業したアリババで大成功を収め世界でも有数の大富豪となりました。

こうして誰もが羨む企業家となった馬雲さん。

それでも小鹿ジュンが頭を離れる事はありません。

その後、ビジネスで日本を訪れた際、知人に「小鹿ジュンは誰が演じたのか」、「今どうしているのか調べて欲しい」と依頼。

そして荒木由美子さんに辿り着くと中国に招待し、念願の対面を果たす事となりました。

これ以降も日本を訪れた時に何度か対面し記念写真を撮影しているそうです。

ここまでするなんて本当に凄い事ですよね。


馬雲さんにとって小鹿ジュンがどれだけ大切な存在なのかが良く分かります。

もし荒木由美子さんがいなければ馬雲さんが企業する事はなかったかも。

そう考えると荒木由美子さんは現代社会に多大な影響を与えたと言っても過言では無いかもしれません。

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