武満徹の娘と死因について。音楽は独学&ビートルズのファン。オリンピックの曲が話題

NHK大河ドラマ『源義経』の音楽や、映画音楽、合唱曲など数々の名曲を生み出した武満徹(たけみつ とおる)さん。

2020年には生誕90年、2023年には没後27年を迎えてもなお、注目を集めている音楽家です。

現代ではその娘さんも活躍していますので、詳細を確認しましょう。

さらに死因、独学で作曲家になったという情報をチェック。

ビートルズファンの一面とオリンピックの際に使われた曲についても紹介します。

武満徹のプロフィール

本名:武満徹

生年月日:1930年10月8日

死没:1996年2月20日

身長:推定167cm

出身地:東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)

最終学歴:京華中学校

武満徹の娘は武満真樹

武満さんの娘さんは、1961年生まれの音楽プロデューサー・武満真樹さんです。

父の曲が演奏されるコンサートやイベントなどに参加し、偉大な作曲家の素顔も明かしてきました。

武満さんは難解な音楽だけでなく、ポップスの要素もある親しみやすい曲を残しました。

そのため近年も国内外のコンサートで代表曲が演奏されており、高い人気を誇る作曲家なのです。

娘の真樹さんは、元々は音楽とは無関係の業界で活動していました。

武満真樹は翻訳家として映画の字幕を制作

真樹さんは上智大学外国語学部比較文化学科を卒業後、映画に字幕を付ける映像字幕作家として活動。

『天井桟敷のみだらな人々』(99年)や『スパイ・ゾルゲ』(03年)などの字幕を手がけています。


2005年にクラシック音楽専門チャンネル「クラシカ・ジャパン」で副社長に就任。

音楽プロデューサーに転身し、父と同じ音楽業界で働き始めるのです。

父の没後20周年だった2016年の前後には、各種イベントに参加して、父の素顔を語りました。

かつて父親からは「音楽家とは付き合うな。どうしても付き合いたければ、クラシック以外の音楽家を選べ」と言われたとのこと。

クラシックの音楽家は、「クラシックこそ正統派」と考える権威主義的な人が多かったのかもしれません。

武満さんはクラシックだけでなく、ポップスやロックも分け隔てなく愛した人でした。

きっとクラシックの音楽家から高圧的な態度を取られ、不快な思いをした経験があったのかもしれませんね。

武満さんは、真樹さんが大ファンだったプリンスさんの曲も聴いていたそうです。

武満さんはポップスやロックを愛し、同時にクラシックの要素も融合させることができた、稀有な作曲家でした。

独自の境地に至ることができたのは、どんなジャンルも愛せる心の広さがあったからこそかもしれませんね。

武満徹の死因は間質性肺炎

武満さんは1996年2月20日、65歳の若さで亡くなりました。

前年に膀胱と首のリンパ腺に、がんが見つかっていたそうです。

さらに間質性肺炎も患っていたため、数か月間の長期入院生活を余儀なくされます。

少し容態が改善したため退院し、最後の作品『森のなかで』『エア』を作曲。

その後再び肺炎が悪化し、1996年2月20日に虎の門病院で亡くなりました。

死後に未完の譜面『ミロの彫刻のように』が仕事場で発見されます。

まだまだ多くの曲を作る意欲があったことを思うと、早世が惜しまれる作曲家ですね。

武満徹はほとんど独学で作曲家になる

15歳で終戦を経験した武満さんは、蓄音機で耳にしたシャンソンに大きな影響を受けました。

戦争で疲弊していた心を、ピアノと歌声が癒してくれたそうです。

苦しい時期に支えてくれた音楽を極めるため、作曲家を目指し始めました。

しかし貧しい生活を送っていたため、職を転々としつつ、ラジオや楽譜、職場にあったピアノを使って独学で音楽を勉強。

一時期は音楽大学を目指したものの、教育を信用していなかった武満さんは、結果的に独学での勉強を続けました。

学校教育が終戦と同時に180度方向転換したことで、教育に対する不信感が募っていたのでしょう。

独学の作曲家である彼の音楽は、音楽大学で学ぶ正統派のクラシックと異なり、多くの人にとって難解なものでした。

一般大衆からはなかなか受け入れられなかったものの、情熱を認めてくれた作曲家たちが支援してくれるようになります。

作曲家の黛敏郎(まゆずみ としろう)さんは、武満さんにピアノをプレゼントしてくれました。

さらに映画『七人の侍』をはじめ、黒澤明作品の音楽を担当した早坂文雄さんも、サポートを惜しまなかったそうです。


武満さんは恩師の早坂さんが亡くなったとき、『弦楽のためのレクイエム』を作曲。

この曲を、来日していたロシアの大作曲家であるイーゴリ・ストラヴィンスキーが聴いて絶賛しました。

こうして独学の作曲家だった武満さんは、一気に名声を高めます。

努力と情熱で才能を磨き、多くの作曲家から評価されたことで、大きく飛躍できたのです。

武満徹はビートルズのファン

音楽教育を受けていないからこそ、武満さんはクラシックの権威に固執しませんでした。

だからこそロックを深く愛していたそうです。

特にビートルズをこよなく愛し、ポール・マッカートニーさんにファンレターを書くほどのファンだったといいます。

アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は毎晩聴いていたそうです。

さらにマッカートニーさんの名曲『イエスタデイ』の編曲作品も発表しています。

エピソードからも武満さんのビートルズ愛が伝わってきますね。

ビートルズもまたロックに捉われず、クラシックやインド音楽の要素を含む曲を発表していました。

自由な発想で純粋に音楽を楽しむアーティストを、武満さんは高く評価していたのです。

同時に自身も、常に自由な発想で、あらゆる音楽ジャンルを融合させた曲を作り続けました。

YMOに参加したジャズ・ギタリストである渡辺香津美さんのコンサートには、娘の真樹さんと足を運んだそうです。


後に親友として交流したという香津美さんは、「武満さんの曲はメロディーの懐が深い」と語っています。

「クラシック」「ロック」という枠組みを取り払い、どんなジャンルをも受け入れた懐の深さがしのばれます。

武満徹のオリンピック関連作品

武満さんは1964年の東京オリンピックの際、NHK交響楽団からの委嘱作品『テクスチュアズ』を作曲。

同作で日本人として初めてユネスコ国際作曲家会議のグランプリを受賞しました。

1971年の札幌オリンピックでは、IOCからの委嘱でオーケストラ曲『冬』を作曲します。

世界的なスポーツの祭典で音楽を担当したことから、いかに偉大な作曲家だったかがうかがえますね。

東京オリンピック閉会式でも武満徹作品が使用

実は2022年に行われた東京オリンピックでも、武満作品が使用されました。

8月8日に新国立競技場で行われた閉会式でのこと。

出演ダンサーのアオイヤマダさんの使用曲が、1983年のスペシャルドラマ『波の盆』のテーマ曲でした。

この曲を作ったのが武満さんだったのです。

ドラマ『波の盆』は、笠智衆さん演じる日系移民1世の波乱万丈の人生を描いたドラマです。

脚本を倉本聰さん、演出を巨匠・実相寺昭雄さん、音楽を武満さんが手がけるという豪華な作品でした。

38年も前の武満作品が時を超えて使用されたことを考えると、感慨深いものがあります。


閉会式では曲の詳細が解説されず残念でした。

曲を気に入った若い世代が、作品の背景や武満さんについて調べてくれることを期待したいですね。

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