横山やすしの死因はアルコール性肝硬変。晩年と葬儀、最期の様子とは

西川きよしさんとの漫才「やすきよ漫才」で絶大な人気を誇った横山(よこやま やすし)やすしさん。

20世紀を代表する天才的な漫才師でしたが、不遇の晩年を送り、51歳の若さで亡くなりました。

今回は、死因がアルコール性肝硬変という情報、不遇な晩年の様子、葬儀の詳細を確認します。

さらに最期の様子も見ていきます。

横山やすしのプロフィール

愛称:やっさん

本名:木村雄二

生年月日:1944年3月18日

死没:1996年1月21日

身長:163cm

出身地:大阪府堺市

最終学歴:堺市立旭中学校

最終所属事務所:吉本興業

横山やすしの死因はアルコール性肝硬変

横山さんは1996年1月21日の夜、自宅で寝た状態のまま意識が戻らず、救急搬送されました。

病院に運ばれた時点で心臓と呼吸が止まっており、そのまま51年の生涯を終えます。

自宅で亡くなったと判断された結果、原因を調べるため遺体の解剖が行われました。

解剖の結果、死因はアルコール性肝硬変と判明。

アルコールを摂取し続けた結果、黄疸や吐血などの症状が出て、そのまま放置し続けると死に至る恐れがある病気です。

自宅の玄関前に大量のビールの空き缶が入ったゴミ袋があったため、最後まで大量のアルコールを摂取していたことが分かりました。

横山やすしの晩年はアルコール依存症

横山さんは亡くなるちょうど10前に、一度吐血していたそうです。

当時の診断結果は「アルコール依存症による、重い慢性肝炎」。

そのとき医師から「このまま飲み続けていれば、10年後には肝硬変で死にますよ」と言われていたそうです。

横山さんは医師の言葉を無視して飲酒を続け、1994年頃には腹水が溜まり始めるなど、症状は悪化。

医師が警告した通り、10年後に肝硬変で亡くなったのです。

西川きよしの参院選出馬や息子の暴行事件などでアルコールの量が増加

激しい毒舌が横山さんの人気の理由でしたが、私生活では寂しがり屋で、アルコールを手放せなかったといいます。

また競艇のボートに熱中した結果、借金を重ね、家財の差し押さえの憂き目にも遭いました。

一方真面目な性格だった相方の西川きよしさんは、徐々に横山さんから距離を置くようになります。

1982年に西川さんは参院選に出馬したため、横山さんは自分が見捨てられたと感じたようです。

動揺した結果、アルコールの量は日増しに増えていきました。

さらに1988年11月、息子で俳優の木村一八さんがタクシー運転手に暴行し、重傷を負わせる事件が起きます。

被害者への損害賠償は、父子が所属していた吉本興業が肩代わり弁済となりました。

吉本興業から解雇され、暴行を受けた末に漫才師生命を絶たれる

横山さんは当初は息子を擁護していたものの、被害者の状態が重いことを知り謝罪。

自ら無期限での謹慎を申し出て、4か月間の謹慎生活を送ります。

1989年3月に復帰したものの、翌月に今度は横山さん自身が飲酒運転で人身事故を起こしてしまいました。

ついに吉本興業から解雇された横山さん。

その後はVシネマに出演し、相方の行動を真似るように参院選にも出馬しましたが、いずれの活動もうまく行きませんでした。

さらに自宅で待ち伏せしていた何者かに暴行され、重傷を負います。

犯人は不明で、暴力団関係者や浮気相手の夫などと憶測されていますが、事件は迷宮入りとなりました。

事件によって横山さんは言語障害を負い、漫才師生命は完全に断たれてしまったのです。

横山やすしの葬儀での西川きよしの弔辞

1996年に横山さんが亡くなると、彼を批判していたマスコミは、突如その才能を惜しみ始めました。

吉本興業は肩代わりした弁済について、「故人に請求するわけにはいかない」と請求を取り下げ。

トラブルの多い横山さんでしたが、非凡な才能を発揮した漫才師として、死後は世間が敬意を表するようになったのです。

多くのファンが詰めかけた葬儀では、相方の西川きよしさんが弔辞を読み上げました。

疎遠になっていったとはいえ、常に相方を思い続けていたことが、涙ながらに弔辞を読み上げる姿からうかがえます。

最後に「もうゆっくり休みや。ほなな」と、漫才をしていたときと変わらない口調で遺影に語りかけました。

西川さんの思いやり深い語り口調に、多くの参列者が涙を流したのです。

横山やすしの最期

横山さんの最期の様子からは、彼の諦念が感じられます。

1996年1月20日、横山さんは自宅で飲んだビールを吐き出しました。

妻の啓子さんが病院を受診するようすすめたものの、本人は「明日でいい」と考えていたようです。

最後に妻と娘にかけた言葉は「水が欲しい」「明日病院に行くわ」でした。

水を飲んで少し休めば、今日のところは何とかなると考えていたのでしょう。

その後眠ったまま意識は戻らず、翌日病院に搬送されたときには亡くなっていました。

医師の警告を無視して飲酒を続けたことや、最後に病院へ行かなかった横山さん。

今後の人生に期待するものはなく、アルコールに溺れて過ごしていたことがうかがえます。

再起への意欲もわかず、生きる気力すら失ってしまっていたのではないでしょうか。


横山さんの漫才は文句なしの名人芸でした。

あまりにあっけない最期だったとはいえ、生き急いだ天才らしい生涯だったことは確かですね。

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