横山やすしの莫大な年収&庶民的な自宅。嫁と娘たち、競艇好きでセスナ無免許操縦

名人芸とうたわれた「やすきよ漫才」で一世を風靡し、「やっさん」の愛称で親しまれた横山やすし(よこやまやすし)さん。

漫才界の頂点をきわめた全盛期の年収はどれくらいだったのでしょうか。

また意外にも庶民的な自宅に住んでいたことや、二人の嫁や娘たちについてもみていきます。

仕事そっちのけでのめり込んだ競艇や、セスナ操縦の無免許疑惑にも迫ります。

横山やすしのプロフィール

愛称:やっさん

本名:木村雄二

生年月日:1944年3月18日

死没:1996年1月21日

身長:163cm

出身地:大阪府堺市

最終学歴:堺市立旭中学校

最終所属事務所:吉本興業

横山やすし、人気絶頂期の年収は5億円超え

伝説の漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」が結成されたのは1966年のことでした。

彼らは一躍人気者となり、さらに80年代になると漫才ブームの追い風もあって、名実ともに日本一の漫才師に。

「やすし・きよし」の第2次ピーク期ですね。

横山やすしさんの当時の年収は5億円を超えており、月収に関しては7000万円の月があったと証言した内弟子も。

さすがは吉本興業のドル箱スターという感じです。

相方だった西川きよしさんは当時を振り返って、4億円ほどあった年収が、国会議員になったことで3000万円そこそこに激減したと明かしたことがありました。

とはいえ、5億円の年収の使い方も破天荒なのがやすし流。

ボートやセスナ機の購入などで借金がふくらんで、差し押さえを受けたこともある一方で、家に入れるのは月に30万円だったといいます。

破天荒なことさえしなければ、天才芸人として息の長い活躍ができたのに、といわれるほど破滅型芸人でもあったやすしさん。

1989年、積もり積もったイエローカード履歴に業を煮やした吉本興業は契約解除を通告。

解雇にともない、やすきよコンビは事実上解散。

収入源を絶たれたやすしさんを、妻の啓子さんはパートタイマーの仕事をして支えました。

やすしさんが大村崑さんの自宅を訪れて、「嫁を相方に漫才をやりますから、仕事をください」と頭を下げたこともあったそう。

よほど切実だったのだろう、と大村さんは回顧しています。

横山やすしの自宅は一般的な建売住宅

横山やすしさんの自宅は、大阪の中心地から離れた摂津市一津屋の一軒家。

一時期は数億円の年収があった人気スターでありながら、暮らしていたのはこじんまりした2階建ての建売住宅でした。

西川きよしさんの豪邸とは対照的ですね。

自宅の裏手には川があり、競艇用ボートを係留していたそうです。

2008年になると、次女で漫才師の木村ひかりさんが自宅でエステサロン「さろん光」をオープン。

父が人を楽しませて癒したように、人を癒す仕事がしたくなり、一からエステティシャンの勉強をはじめて資格を取得したそうです。

「癒すで、しかし!」という意気込みが伝わってきますね。

本業に支障がでないように、完全予約制でスタートしたエステサロン。

昔から人がよく集まる家だったそうですから、横山やすしさんも喜んでいたのではないでしょうか。

横山やすしの二人の嫁と娘たち

横山やすしさんには二度の結婚歴があります。

最初の嫁との間にもうけたのが長男の木村 一八さんと長女の木村雅美さん。

雅美さんは一般人とのことです。

やすしさんは1970年12月、イエローカード履歴の幕開けとなるタクシー運転手への暴行事件を起こしますが、これによる長期謹慎が明けた1973年に離婚。

二人目の嫁・啓子さんと再婚したのは1975年3月でした。

後妻ということになりますが、啓子さんも再婚者です。

この再婚で誕生したのが次女のひかり(本名・光)さん。

啓子さんは公の場にはほとんど姿を見せませんでしたが、ご本人と思われる画像を河内家菊水丸さんのブログで見つけることができました。

2021年3月9日に投稿された、「 横山やすし師匠のご自宅で…」と題された記事です。

晩年はアルコールに依存して体を壊し、弱気になったやすしさんを献身的に支えていた啓子さん。

夫を見送った年に、『ひとつ星のように―夫横山やすしとの忘れられない日々』を発表しています。

心筋梗塞で急逝したのは、夫の十三回忌にあたる2008年。

その日、自宅で十三回忌の打ち合わせをしていた時に突然苦しみだし、搬送先の病院で息をひきとったということです。


61歳でした。

ひかりさんは、吉本興業所属の漫才コンビ「さゆみ・ひかり」として活動中。

相方のさゆみさんは宮川大助・花子夫妻の一人娘です。

ひかりさんの芸能活動休業のため、一時期はコンビ活動を休止していましたが、十三回忌を機に再開したようです。

母・啓子さんの死からちょうど1年たった2009年6月には、真宗大谷派の僧侶との結婚を発表。

翌2010年には長男が、2012年には長女が誕生しました。

ひかりさんは芸能界を引退したわけではありませんが、将来的には夫とともに滋賀県にあるお寺を継ぐ予定とのことです。

仕事そっちのけでのめり込んだ競艇

横山やすしさんといえば、やはり競艇。

競艇選手をめざしてプロテストを受験した過去があります。

しかし視力が合格基準に満たず、不合格。

ネット上には「やっさんはライセンスもってないのに、なんでレースに出てたの?」という声もちらほら。

出場していたのはアマチュアのレースで、笹川良一氏からアマチュアボートレーサーのライセンスを交付されていたのです。

漫才師というよりは競艇選手のような生活をしていたと証言するのは、漫才ブームの火付け役である澤田隆治さん。

「病気療養中」と公表したにもかかわらず、レースで優勝してしまい、それが大々的に報じられてひんしゅくを買ったこともありました。


『競艇で家を建てよう』という本を出版したり、「横山レーシング・チーム」を立ち上げたり、娘のひかりさんにも競艇選手になることを勧めたりするほど、競艇にのめりこんでいたやすしさん。

以下は筆者の推測ですが、減量による不摂生も体調悪化の遠因になったのではないかと思います。

セスナ無免許酔っ払い操縦の破天荒

娘の本名である「光」にちなみ、「月光号」と命名したセスナを所有していたやすしさん。

後年、じつは操縦免許をもっていなかったことが友人たちによって明らかになりました。

まずは島田洋七さんの証言。

明日の予定をやすしさんに訊ねられ、「特にないです」と答えると、「ならセスナ乗りにこい」と言われて大阪の八尾空港へ。

機内で「忙しいのに、よく免許とりましたね」とねぎらうと、「そんなもんあるかいな!」。

元マネージャーの木村政雄さんも、やすしさんが無免許であることを知人のプロデューサーから聞いてひっくり返りそうになったといいます。

「酔っ払ってセスナ機から降りてきたんだよ」と話すのは大村崑さん。

ここまでくると、事故に至らなくてラッキーだったとしか思えません。


晩年には、「もう横山やすしを演じるのは疲れた」ともらしていたという横山やすしさん。

51歳の短い生涯に、生き急いだ印象は否めませんが、あの破天荒さが横山やすしであり、愛される理由でもあったのでしょう。

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