姜尚中、娘の詳細は非公開。妻と離婚の噂も軽井沢移住で夫婦生活&母は在日コリアン1世

大ベストセラーの『悩む力』をはじめ、『母 オモニ』などの小説作品でも知られる政治学者の姜尚中(カン サンジュン)さん。

私生活では日本人女性と結婚して一男一女をもうけています。

今回は娘に注目しながら、気になる妻との離婚の噂について真相を探っていきたいと思います。

また移住した軽井沢、今もかけがえのない存在である亡き母についてまとめます。

姜尚中のプロフィール

本名:姜尚中(日本人名:永野鉄男)

生年月日:1950年8月12日

身長:不明

出身地:熊本県熊本市春日町

最終学歴:早稲田大学政治経済学部、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程

姜尚中、娘の情報は公表していない

姜さんは、奥さんとの間に一男一女を授かりました。

1984年に生まれた息子の尚大さんはすでに他界しています。

娘に関する情報はまったくないため、おそらく一般人なのでしょう。

娘について語ることはない

亡くなった息子さんについては、悲しいエピソードを語っている姜さん。


こうした情報から、息子さんのことは聞いたことがある人も多いでしょう。

ですが、姜さんが語る子供の話は、基本的に息子さんだけ。

娘さんについては語ることがなく、これまでに父娘のエピソードなどが話題になったことはないようです。

なぜ娘さんの話をしないのかは不明ですが、やはり一般人であることが関係しているのかもしれません。

娘さんが本当に一般人であれば、情報を表に出さないことにした可能性はあるでしょう。

一般人の家族について、有名人が詳しく公表しないことはよくありますよね。

その理由は人によって違うものと思われますが、例えば、安全な暮らしを守る意図などがありそうです。

有名人の家族の情報が世間に知れ渡れば、一般人でも注目が集まることになるでしょう。

そうなった場合、平穏な生活が脅かされる危険もあります。

姜さんの場合はどうかわかりませんが、そんな事情から伏せているとも考えられますよね。

どんな娘さんなのか気になりますが、今後も表には出さない方がいいのかもしれません。

現在(2023)は同居していない?

娘さんについてわかっていることは非常に少ないのですが、姜さんが語らないことで、想像できる部分もあります。

詳しくは後述しますが、2023年現在の姜さんは軽井沢在住。


一緒に移住したのは、奥さんだけという情報があります。

「それまで姜さんは千葉の一戸建てに15年以上住んでいたのですが、東日本大震災を機に考え方が変わり、奥さんと2人で軽井沢に移り住んだのです」

この情報を明かしたのは、ある不動産関係者と紹介されており、本当かどうかは不明です。

もし事実であれば、娘さんとはすでに同居していないということでしょう。

生年月日は公表されていませんが、帰国後に埼玉県で生まれたとすれば80年代。

娘さんはすっかり大人になっているはずなので、家を出たのではないでしょうか。

となると既婚者の可能性もあるわけですが、実際のところは不明。

姜さんはそうした情報も語らないようで、よくわかっていないのです。

そのため、姜さんの孫の存在も明らかになっていません。

姜尚中、妻・万里子との離婚説に証拠なし

姜尚中さんは1979年に早稲田大学大学院政治学研究科博士課程を修了したあと、西ドイツに2年間留学しました。

帰国後に日本人の一般女性である万里子さんと結婚し、埼玉県上尾市で結婚生活を送ります。

早稲田大学時代によく通った喫茶店でアルバイトをしていたのが万里子さんで、姜さんの一目惚れでした。

万里子さんはソウル大学に留学経験のある女性で、結婚にあたっては妻の両親にはすんなり許しを得たものの、自分の母親が反対。

根気よく母を説得して認めてもらえたようですね。


妻の万里子さんについては、一部で離婚の噂もささやかれているようです。

最愛の息子の死という悲劇に見舞われ、心身ともに疲弊した万里子さんは新興宗教に入信。

宗教問題で夫婦の間に溝ができたこともあったそうですから、これが噂の原因かもしれません。

また尚大さんの死の4年後、姜さんが軽井沢に転居したことも離婚を勘繰られる要因なのでしょう。

ですが、前述のとおり、軽井沢には夫婦そろって移住しています。

過去のインタビューでは自然に囲まれた夫婦の暮らしを語ったこともあるのだとか。

そうした夫婦のエピソードはあっても、離婚の確かな情報はないことから、噂はデマの可能性が高そうです。

息子の死や東日本大震災を経て軽井沢に移住

尚大さんを失った翌年に還暦を迎え、また東日本大震災も重なって、自分の人生が音を立てて崩れていくような感覚に陥ったという姜尚中さん。

妻と二人、何かに吸い寄せられるように訪れたのが夏の軽井沢でした。

自身の年齢や残りの人生を考えながら、終の棲家を探しはじめた時期であり、精神的な面から環境を変えたいという思いもあったそうです。

軽井沢の自然や空気に触れた時、郷里の熊本に似ていると感じたという姜尚中さん。

この地で季節を感じながら暮らすのもいいかなと妻に言ったら、土いじりができるならいいわという返答。

この一言が決め手になったそうです。


それまで住んでいた千葉の一戸建てから、夫婦で長野県の高原に移り住んだのは2013年でした。

今では万里子さんと一緒に菜園の土を耕し、季節の野菜を育てる毎日。

雄大な山々や四季の美しさに心を癒やされ、生きる力が湧いてくるのを感じるとともに、自然がもつ偉大なる力を実感しているそうです。

大学進学のために上京してから引っ越しを繰り返してきた自分が、一か所に5年以上も腰を落ち着けているのは長いほうで、今では軽井沢以外の土地に住むことは考えられないと述べています。

姜尚中の母は10代で渡日した在日コリアン1世

姜尚中さんは1950年、熊本県熊本市で在日韓国人2世として生まれました。

父は朝鮮南部に生まれ、10代半ばで仕事を求めて日本へ。

母は許嫁の父と結婚するために18歳で日本へ渡った女性です。

夫妻は各地を転々としたのち熊本に落ち着き、廃品回収業を営みながら必死に生きてきました。

母は学業の機会を与えられず、母国語を含めて読み書きが不自由。

それでも在日韓国人1世として戦中・戦後の困難な時代を生き抜き、その中で得た知恵を息子に懸命に伝えようとしたのです。

古希を迎えた今、母の言葉が自身の血肉になっていることを改めて感じるという姜尚中さん。

若い頃は時代遅れに思えた母の教えが、書物以上に自分を支えてくれていることを強く意識するそうです。

尚大さんに先立たれ、生ける屍のようになっていた時も、まるで耳元でささやいているかのように母の言葉がよみがえってきたといいます。

人間はどんな時でもしっかり食べなければいけないと、語ってくれたことがあるのだとか。


自身をマザコンと認め、心惹かれる人はどこか母に似ているとも明かしている姜尚中さん。

家族の不幸や東日本大震災を経てたどり着いた穏やかな暮らしの中で、これまでとは違ったまなざしで世界を見つめるようになるのかもしれません。

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