鶴見俊輔の名言。天才?漫画寄生獣との関係とは。母と息子について

哲学者、評論家として知られ、多くの著作を残した鶴見俊輔(つるみ しゅんすけ)さん。

雑誌『思想の科学』を創刊し、左派のいわゆる進歩的文化人として活動。

しかし関心の幅は広く、生活に根差したモノや素人が作ったアート作品を「限界芸術」と定義するなど、大衆芸術分野に対する著作も多くあります。

庶民にもわかりやすい言葉で知られる知識人ですが、具体的にどのような名言を残しているのでしょうか。

また本当に天才なのか、漫画寄生獣との関係、母と息子の情報についても見ていきましょう。

鶴見俊輔のプロフィール


本名:鶴見俊輔

生年月日:1922年6月25日

死没:2015年7月20日

身長:不明

出身地:東京市麻布区(現在の東京都港区)

最終学歴:ハーバード大学

鶴見俊輔の名言

まずは鶴見さんの名言についてご紹介します。

哲学者というだけでも、人々の胸に響く言葉を多く残している印象がありますよね。

筆者が最も好きな名言は、その著作『悼詞』で、老人を批判することについて述べた一文です。

「批判は、生きることによってなされるべき」という言葉で、老人に対して若輩者はとやかく言うのではなく、まずは自分の生き方を確立することが大切だと感じさせられます。

自分の生き方によって、年配者への異議を体現することの重要性。

熱い生き方で知られた哲学者らしい名言ではないでしょうか。

鶴見俊輔は天才?

次に鶴見さんは本当に天才なのか、エピソードから考えてみましょう。

ハーバード大学出身という学歴や、哲学者という響きだけで天才だと感じる人もいるかもしれませんね。

ただいわゆる「知識がある」、「勉強ができる」というだけでは天才ではなく、秀才ということになります。

鶴見さんの場合、日本の学校教育にはなじめなかったようで、小学校時代から素行不良でしたから「秀才」と呼ぶのは当たらないようです。

10代のときには万引きや歓楽街での女遊びをして、高校も中退しています。

自身曰く「劣等生」だったため、優等生へのコンプレックス、反抗心は生涯抱き続けていました。

アメリカに渡ってからは別人のように勉学へ専念し、途中FBIから無政府主義の容疑で逮捕されるものの、優秀な成績でハーバード大学を卒業しています。

ただエリートへの反骨精神は変わらず、強い正義感で真っ直ぐに行動し、何者へもへつらわずに言葉を話すのが彼の特徴でした。

生前交流のあった心理学者の河合隼雄さんは、フランス文学者の桑原武夫が鶴見さんのことを、「秀才」ではなく「天才」と呼んでいたことを明かしています。

桑原曰く、「天才は面白いことなら、自分に不利な内容でもしゃべる」のに対して、「秀才は不利な内容はうまく隠す」ということでした。

鶴見さんはその点、瞳を爛々と光らせ、どんな内容であっても語っていたそうです。


ここからうかがえる天才と秀才の最大の違いは、その器の大きさでしょう。

姑息な手段で損得ばかり考えるような器の小さい人間は、どんなに努力しても秀才止まり。

しかし天才は、些細なことには怖じ気づかず、社会に対して自分の意見を堂々と述べるのでしょう。

その点で、やはり鶴見さんは天才なのかもしれません。

そもそも「不良」、「劣等生」を売りにしていた以上、「秀才」という響きは自身も好まなかったでしょう。

鶴見俊輔と漫画寄生獣との関係

次に鶴見さんと、漫画寄生獣との関係を見ていきましょう。

岩明均さんによる人気漫画である『寄生獣』は、謎の寄生生物と高校生の共生生活を描いた作品です。

この漫画のファンは多くいますが、実は鶴見さんもこの作品を高く評価していました。

「文学を含めた戦後名作ベスト10位に入る」とさえ発言しています。

戦後文化史を研究する加藤典洋さんにこの漫画を紹介され、徹夜で読みふけるほど夢中になったそうです。

2014年には映画化され話題を呼びましたが、鶴見さんはこの作品のどこを評価していたのでしょうか。

鶴見さんが書いた、『寄生獣 完全版8』の作品解説によると、主人公の葛藤が描かれている点が印象深かったようです。

寄生生物には何の罪もないのに、主人公は大切な人を守るために寄生生物を殺します。

「長編作品は終わりが良いと、長い間心に残る」ということで、この漫画も終わり方が素晴らしかったと評価していました。

漫画を文学と同等に扱い評価している点も、鶴見さんが従来のエリート知識人と一線を画す点かもしれませんね。

鶴見俊輔の母と息子

ここからは鶴見さんの家族について、母と息子の情報をメインに見ていきましょう。

まず母についてですが、満州鉄道初代総裁としても知られた政治家・後藤新平の娘でした。


名前は愛子で、政治家の鶴見祐輔と1912年に結婚。

10年後に生まれた鶴見さんは、愛子の次男でした。

お嬢様育ちで作法に厳しい母に、事あるごとに反抗していたそうです。

ご飯の食べ方も母のやり方が「正義」だと思うと、どうしても反抗して「悪」の道に行きたくなるような子供だったそうです。

愛子はかなり真面目な性格だったようで、鶴見さんが高級お菓子のゴーフルを盗み食いしようとすると、涙ぐみながら「この子と一緒に死にます」と発言。

誠実で徳の高い女性だったことがうかがえますが、鶴見さんとしては神経質な母がいるだけで気が休まらなかったようです。

その死後、「お袋がいないから、ご飯がおいしい」と語っています。

しかし戦後、強い正義感を抱いて安保条約やベトナム戦争反対活動に邁進したことを考えると、母の熱い正義感は受け継いでいると言えるでしょう。

次に鶴見さんの息子について見ていきます。

翻訳家の横山貞子さんと結婚し、1965年に息子・鶴見太郎さんをもうけました。

太郎さんは明治学院大学から京都大学大学院へ進み、2023年現在は早稲田大学の教授です。

日本近現代史を専攻、民俗学研究の第一人者として知られ、柳田国男の評伝を発表しています。

庶民の文化に関心があった鶴見さんの息子らしく、無名の人々や土着信仰などに惹かれていることがうかがえますね。

劣等生であることを自認し、堂々とした発言と行動で知られた鶴見さんは、天才の名にふさわしく器の大きい人だったのでしょう。


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