東京大学在学中に注目のデビューを果たして以来、常に現代文学の最前線に位置してきた大江健三郎(おおえけんざぶろう)さん。
2018年にようやく全集の刊行が開始されましたが、このさき新しい小説は届くのでしょうか。
この記事では2022年現在の状況を追いながら、経歴、愛媛の生家、英語の発音をみていきます。
たびたび「伊丹十三との関係」で検索されていることから、二人の関係を知らない人も意外と多いようです。
大江健三郎の現在
1994年、日本人二人目となるノーベル文学賞に輝いた大江健三郎さん。
これまで戦後民主主義の支持者として、世界におけるさまざまな問題への発言も行ってきました。
ノーベル賞受賞のあと、天皇陛下から親授される文化勲章の授与が内定した折には、これを辞退しています。
民主主義と天皇制に矛盾を感じる作家であることがここにもはっきりと表れていますね。
トレードマークになっている丸眼鏡はこだわりの一品。
辞書を片手に本を読むのに適した眼鏡を探して、同じものをまとめて購入したそうです。
そして意外にも大酒豪。
お酒が好きすぎて痛風になり、禁酒したこともあるそうです。
遅れてきた青年、大江健三郎さん#大江健三郎 pic.twitter.com/CqHxzXywZ3
— 李承俊 (@leeseungjun7137) January 16, 2019
2022年は87歳を迎える大江健三郎さん。
ノーベル賞を受賞した年に、「もう小説は書かない」という記事が新聞に掲載されたことがありました。
これまで何度となく「これが最後」といわれてきましたが、2013年に『晩年様式集』を刊行。
それから4年、新しい小説の話題が聞こえてこなかったところへ心配なニュースが報じられました。
2017年7月、神経症療法を受けるために夫人に付き添われて通院する姿がキャッチされています。
知人の話によると、ご本人は晩年の仕事をいかに完結させるかに苦心しており、もう書けないかもしれないと悩んでいたとのこと。
もともと外でストレスを発散させるタイプではないため、自宅で好きなお酒を飲む時間が多くなり、夫人も体調を心配しているらしいということでした。
2018年から刊行された『大江健三郎全小説』が、ご本人が認定するコンプリート版になるだろうと文芸評論家の尾崎真理子さんは語っています。
同年4月に尾崎さんが行ったインタビューでは、再び小説を書くことはないと大江さんは明言したとのことです。
2022年現在、少しでも体調が快方に向かっていることが切望されます。
大江健三郎の経歴まとめ
大江健三郎さんは1935年1月31日、愛媛県喜多郡の旧大瀬村に生まれ、10歳の時に終戦を迎えました。
1950年に内子高校に入学しますが、翌年に松山東高校に転校。
1954年、東京大学教養学部文科二類に入学し、2年後に文学部仏文学科に進みます。
1957年、『奇妙な仕事』が五月祭賞を受賞して文壇デビュー。
1958年、『飼育』が芥川賞を受賞。
1959年、東京大学を卒業。
1967年、『万延元年のフットボール』を連載、刊行。
同作品で谷崎潤一郎賞を受賞。
1994年、ノーベル文学賞を受賞し、ストックホルムで授賞式と記念講演。
1995年、朝日賞を受賞。
同年、伊丹十三監督が『静かな生活』を映画化しています。
2002年、フランス政府よりレジオン・ド・ヌール勲章を受章。
2006年 大江健三郎賞が創設されますが、2014年に終了。
2018年、講談社より『大江健三郎全小説』の刊行が開始されました。
大江健三郎の生家は現存
生まれ故郷の旧大瀬村は町村合併により今は内子町になっています。
生家は現存しており、住所は愛媛県喜多郡内子町大瀬本町2。
大江健三郎さんは中学卒業までをこの家で過ごしたそうです。
現地を訪れたファンによると、掃除の行き届いた、落ち着いた佇まいの家だそうで、「大江」という表札があり、親族か誰かが住んでいるようだったとのこと。
もちろん屋内見学はできず、外観見学のみ。
それでも大江健三郎さんの生誕地ということで、大江文学ファンには訪れてみたいスポットといえますね。
大江健三郎の英語はカタカナ英語?
講演やインタビューを英語で行うこともある大江健三郎さん。
ノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」を見たことがある人も多いでしょう。
筆者の主観ですが、発音は典型的なカタカナ英語だった記憶があります。
ネット上にも「カタカナっぽい」という感想が少なからずありました。
とかく日本人が陥りがちな発音ではありますね。
ですが、並大抵の英語力では英語で講演を行うことはできないでしょう。
大江健三郎さんの英語力の印象に関しては、カタカナ英語の発音が足を引っ張っているとしか思えません。
意外と知られていない伊丹十三との関係
1960年に結婚した妻のゆかりさんは伊丹 十三さんの2歳年下の妹で、伊丹十三さんは義兄にあたります。
伊丹さんは1950年に京都の山城高校から1学年遅れで愛媛の進学校の松山東高校に転入。
翌年、内子高校から同じく転校してきた大江健三郎さんと意気投合しました。
『静かな生活』は、伊丹十三さんによって同タイトルで映画化され、その音楽を担当した長男の大江光さんは日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。
『取り替え子(チェンジリング)』は自殺した義兄への追悼の意をこめて書かれたものです。
伊丹十三さんの父である映画監督の伊丹万作さんは岳父にあたり、『伊丹万作エッセイ集』の編集も担当しました。
仕事の合間にずっと行きたかった伊丹十三記念館に行く。すごく良かった。伊丹十三みたいな「大人」って少なくなったよね。知的で好奇心旺盛で静かな語り口で品があってダンディでオシャレで。こういう男になりたい。#伊丹十三記念館#松山 pic.twitter.com/MKSvJ3S6ok
— 岡本学 (@early_gimlet) February 7, 2019
昭和初期の映画監督の随筆。娘婿の大江健三郎が編集。
先日読んだ天童荒太さんの「迷子のままで」で知った。世情について鋭い視点から考察している。昭和初期に書かれているが、今でも通じるものがあり考えさせられてしまう。人は今も昔も変わらない#読了 #読書 pic.twitter.com/K5jU3KWSws
— sea-zoo (@seazoo33) September 2, 2020
戦後の日本文学界は、世界的に評価の高い文豪たちが何人も存在した黄金期でした。
川端康成さん、谷崎潤一郎さん、安部公房さん、三島由紀夫さん、大江健三郎さんは、世代は若干ずれるものの、いずれも天才的なきらめきを残した作家ばかりです。
大江健三郎の息子、次男は桜麻。娘と妻について。長男と家族の物語
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