大江健三郎の経歴まとめ。生家は現存。英語がカタカナ?伊丹十三は義兄&死因は老衰

東京大学在学中に注目のデビューを果たして以来、常に現代文学の最前線に位置してきた大江健三郎(おおえけんざぶろう)さん。

2018年にようやく全集の刊行が開始されましたが、2023年に亡くなっています。

この記事では、大江さんの経歴や愛媛の生家、英語の発音などをまとめてみました。

また、伊丹十三との関係や死因についても見ていきましょう。

大江健三郎のプロフィール

生年月日: 1935年1月31日

没年月日: 2023年3月3日(88歳没)

出身地:愛媛県喜多郡大瀬村(現: 内子町)

最終学歴: 東京大学文学部仏文科

大江健三郎の経歴まとめ

大江健三郎さんは1935年1月31日、愛媛県喜多郡の旧大瀬村に生まれ、10歳の時に終戦を迎えました。

1950年に内子高校に入学しますが、翌年に松山東高校に転校。

1954年、東京大学教養学部文科二類に入学し、2年後に文学部仏文学科に進みます。


1957年、『奇妙な仕事』が五月祭賞を受賞して文壇デビュー。

1958年、『飼育』が芥川賞を受賞。

1959年、東京大学を卒業。

1967年、『万延元年のフットボール』を連載、刊行。

同作品で谷崎潤一郎賞を受賞。

1994年、ノーベル文学賞を受賞し、ストックホルムで授賞式と記念講演。

1995年、朝日賞を受賞。

同年、伊丹十三監督が『静かな生活』を映画化しています。

2002年、フランス政府よりレジオン・ド・ヌール勲章を受章。

2006年 大江健三郎賞が創設されますが、2014年に終了。

2018年、講談社より『大江健三郎全小説』の刊行が開始されました。

大江健三郎の生家は現存

生まれ故郷の旧大瀬村は町村合併により2024年現在は内子町になっています。

生家は現存しており、住所は愛媛県喜多郡内子町大瀬本町2。

大江健三郎さんは中学卒業までをこの家で過ごしたそうです。

現地を訪れたファンによると、掃除の行き届いた、落ち着いた佇まいの家だそうで、「大江」という表札があり、親族か誰かが住んでいるようだったとのこと。

もちろん屋内見学はできず、外観見学のみ。

それでも大江健三郎さんの生誕地ということで、大江文学ファンには訪れてみたいスポットといえますね。

大江健三郎の英語はカタカナ英語?

講演やインタビューを英語で行うこともある大江健三郎さん。

ノーベル文学賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」を見たことがある人も多いでしょう。

筆者の主観ですが、発音は典型的なカタカナ英語だった記憶があります。

ネット上にも「カタカナっぽい」という感想が少なからずありました。

とかく日本人が陥りがちな発音ではありますね。


ですが、並大抵の英語力では英語で講演を行うことはできないでしょう。

大江健三郎さんの英語力の印象に関しては、カタカナ英語の発音が足を引っ張っているとしか思えません。

伊丹十三は義兄

1960年に結婚した妻のゆかりさんは伊丹 十三さんの2歳年下の妹で、伊丹十三さんは義兄にあたります。

伊丹さんは1950年に京都の山城高校から1学年遅れで愛媛の進学校の松山東高校に転入。

翌年、内子高校から同じく転校してきた大江健三郎さんと意気投合しました。

『静かな生活』は、伊丹十三さんによって同タイトルで映画化され、その音楽を担当した長男の大江光さんは日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。

『取り替え子(チェンジリング)』は自殺した義兄への追悼の意をこめて書かれたものです。

伊丹十三さんの父である映画監督の伊丹万作さんは岳父にあたり、『伊丹万作エッセイ集』の編集も担当しました。

戦後の日本文学界は、世界的に評価の高い文豪たちが何人も存在した黄金期でした。

川端康成さん、谷崎潤一郎さん、安部公房さん、三島由紀夫さん、大江健三郎さんは、世代は若干ずれるものの、いずれも天才的なきらめきを残した作家ばかりです。

大江健三郎の死因は老衰

大江さんの訃報が流れたのは、2023年3月13日でした。


同年3月3日の未明、老衰で亡くなっていたことを講談社が発表しています。

大江さんのファンは、作品名と一緒に追悼の言葉を投稿していましたね。

これまで数多くの名作を世に送り出してきた大江さん。

あちこちで話題になる有名作品を最近初めて読み、新たにファンになった人もたくさんいることでしょう。

過去の作品もほとんど読みつくした長年のファンであれば、これから発表される新作を楽しみにしていたのではないでしょうか。

そんな人たちにとって、訃報はとても寂しいものだったでしょうね。

ただ少しほっとするのは、病気のために苦しんで亡くなったわけではないこと。

晩年の大江さんが重い病気で入院していたような情報は、特に発表されていません。

発表のとおり老衰が死因なら、大変な思いをすることなく、ゆっくり穏やかに旅立ったものと思われます。

長生きも話題

訃報が流れたあとは、大江さんの年齢に注目する人もいましたね。


享年88歳と知り、長生きだったと感じたようです。

確かに、もう少しで90代だったわけですから、長生きですよね。

ただ、長生きと感じるかどうかは、人によって意見が分かれるようです。

80代の老衰については、「意外」という声も見かけます。

平均寿命が長くなっている現代だと、80代がまだまだ若いと感じる人も増えているのかもしれません。

90代以上で亡くなる人を多く知っている場合などは、大江さんの訃報を知り、「早すぎる老衰」思ってしまうのでしょうね。

海外でも訃報が流れる

大江さんの訃報は、国外でも話題になっていました。

これまで発表してきた作品は、外国語に訳されて海外でも読まれている大江さん。


日本のファンの中にも、英訳版などを読んでみた人がいるようです。

大江作品に感銘を受けた海外ファンも、訃報に触れて寂しい気持ちになっていたことでしょう。

それにしても、国を越えて評価される作品が書けたのは、本当にすごいことですね。

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