竹宮惠子、増山法恵との現在と関係について。結婚せず独身。萩尾望都への嫉妬を告白

BL(ボーイズラブ)漫画の先駆け『風と木の詩』やSF大作『地球へ…』などを描いた少女漫画家の竹宮惠子(たけみや けいこ)さん。

漫画原作者の増山法恵さんとは、固いきずなで結ばれていたようです。

今回は、2人の現在と知られざる関係を確認します。

併せて、竹宮さんが結婚せず独身でいるという情報、萩尾望都さんに嫉妬していたという噂に迫ります。

竹宮惠子のプロフィール

本名:竹宮惠子

生年月日:1950年2月13日

身長:不明

出身地:徳島県徳島市

最終学歴:徳島大学

竹宮惠子の元プロデューサー・増山法恵、現在はすでに故人

増山法恵さんは、漫画の原作を手掛ける傍ら、竹宮さんのプロダクションでプロデューサーとディレクターを務めていました。

竹宮さんの代表作である「変奏曲」シリーズでは原作を担当しています。

2人は仕事上の盟友同士だったのです。

さらに同い年ということもあり、お互いに親近感を抱いていたに違いありませんね。

しかし2021年6月30日、増山さんは71歳で急逝しました。

竹宮さんは約3か月後に、自身のブログで彼女の死を明かします。

盟友の訃報にしばらくは呆然としてしまい、どう公表すべきか分からなかったそうです。

増山さんは身体が衰えていたようで、ヘルパーさんを頼んでいたものの、亡くなる当日まで元気に過ごしていたといいます。

当日もヘルパーさんと談笑していたそうで、周囲の人々もあまりに突然の訃報に驚いたとのこと。

竹宮さんには、増山さんの近しい友人がすぐ電話で知らせてくれました。

亡くなる数日前、竹宮さんは2人で新型コロナウイルスワクチンの接種について話したばかりでした。

このとき「早くワクチンを打って、買い物に行きたいね」と話し合ったそうです。

増山さんは持病の喘息の症状も落ち着いてきていたため、突然人生が終わってしまうとは自分でも思っていなかったでしょう。

あまり苦しまずに亡くなったとされており、穏やかに最期を迎えられたことは、せめてもの救いと言えますね。

竹宮惠子と増山法恵の盟友関係、原点はBL(ボーイズラブ)

竹宮さんと増山さんは、少年の物語が大好きでした。

少年合唱団員、ファンタジー世界で戦う少年たち、ピーターパンなどの少年像に憧れ、意気投合していたそうです。

BL(ボーイズラブ)の話で大いに盛り上がっていた2人は、少年たちを描いた漫画を創作するようになります。

やがて増山さんの自宅で生活していた少女漫画家の萩尾望都さんも含め、3人で共同生活を送りながら、創作活動を進めるのです。

竹宮惠子と萩尾望都の出会い

竹宮さんと萩尾さんは1970年の春、編集者を介して出会い、意気投合しました。

その後萩尾さんが文通相手の増山さんを竹宮さんに紹介し、3人の交流が始まったのです。

やがて東京都練馬区南大泉の増山宅の斜め向かいにある共同アパートで、3人は共同生活を開始しました。

増山さんはアパートを、少女漫画家向けのサロンにすることを計画。

3人と同世代の女性漫画家が集まり、山田ミネコさん、山岸凉子さんらを輩出しました。

誰かが口にしたことで、ここは「大泉サロン」と呼ばれるようになります。

手塚治虫をはじめ有名漫画家が共同生活を送った「トキワ荘」の女性版と言えますね。

竹宮惠子は結婚せず独身

竹宮さんと萩尾さんは、いずれも革新的な少女漫画家であり、結婚せず独身を貫いてきた点も共通しています。

売れっ子漫画家たちですから、仕事が多忙なあまり結婚の機会を逃してしまったようでした。

「大泉サロン」出身の女性漫画家2人は、家庭を持たずに、たった1人で少女漫画家としての道を突き進んできたのです。

子供がいない彼女たちにとって、苦労の末に生み出した作品こそが、子供のような存在だったに違いありません。

竹宮惠子は萩尾望都に嫉妬

大泉サロンが輩出した二大巨頭である竹宮さんと萩尾さん。

2人の作品は、エンタメとしても芸術作品としても高く評価されており、いずれも偉大な漫画家と言えます。

しかし竹宮さんは、萩尾さんの才能に嫉妬していた時期があるそうです。


2016年に竹宮さんが発表した自伝漫画『少年の名はジルベール』。

大泉サロンでの下積み時代に抱いた感情を、赤裸々につづった作品でした。

大きな話題を呼んだ同作で、竹宮さんは萩尾さんへのジェラシーを抱いていたことを明かしています。

竹宮さんは、発表したい作品が思うように掲載されないことへの焦燥感を抱いていました。

対照的に編集部から信頼され、次々と作品を発表していた萩尾さんに、嫉妬心を抱いていたのです。

嫉妬心を抱いた最大のきっかけは、萩尾作品のワンシーンで、見事な風景描写を見せつけられたことでした。

木々の折り重なる葉が、まるで本物のようで、新緑に吹く風さえ感じられたといいます。

輪郭がない葉は「縦の斜線」だけで描かれており、本物の葉が重なっているように見えたのです。

有名漫画家の一条ゆかりさんからも認められた萩尾さんの見事な描写を、後身の漫画家も真似するようになりました。

竹宮さんは萩尾さんの天才的な才能に打ちのめされ、大泉サロンを去ることを決意するのです。

天才の友人を持つと、どうしても自分が惨めに思えてつらいはず。

竹宮さんは悔しさを抱きながらも、精進を続けて名を成した、努力型の漫画家だったのですね。


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コメント

  1. 竹宮先生は努力家だったでしょうが努力の方向が政治力や
    ほかのライバル(岡田史子・萩尾望都)つぶしや
    ほかの作家の露骨なパクリ(萩尾望都・山岸凉子)がきつくて
    基本的なデッサン力や表現の工夫放棄、ストーリー力は増山さんに丸投げ放棄

    ほかの24年組だって嫉妬心は誰かに対して持ったでしょうが
    そこから「自分が生き残る方法」を考えて考えて、まだペンをふるってらっしゃる
    リンチや大物への媚で生き残る努力はいただけない

  2. ごめん【変奏曲】シリーズの原作とかが増山さんが出してたのは分かるけど
    その他の原作も増山さんが書いてたの?
    どっかに記載してあるなら教えてください

  3. ほんそれ❗️

  4. パクってたのは竹宮恵子の方だが。
    「私は何でも負けたことはない」と豪語してた
    けど、いや、してたからこそ、嫉妬心を抑え
    きれなかったんだろな。