『アリエスの乙女たち』や『天上の虹』で知られる少女漫画家の里中満智子(さとなか まちこ)さん。
古代史をテーマにした歴史漫画を多く手掛け、歴史好きな人々にも高く評価されてきました。
今回はあまり知られていない里中さんの普段の生活について見ていきましょう。
結婚歴と学歴、大阪芸術大学の教授を務めているという情報をチェックします。
併せて、病気になったという噂、病名はリウマチだったという情報の詳細に迫ります。
里中満智子のプロフィール
本名:里中満智子
生年月日:1948年1月24日
身長:不明
出身地:大阪府大阪市
最終学歴:大阪市立桜宮高等学校中退
里中満智子は結婚後に離婚し、今は独身
幼少期から、子供を産むのが夢だったという里中さん。
当然、結婚願望も強かったはずです。
里中さんは16歳のとき『ピアの肖像』で講談社新人漫画賞を受賞し、高校在学中から漫画家として活動をスタートさせました。
ピアの肖像#里中満智子
ピアの正体は吸血鬼🧛♀️
里中先生のデビュー作
15歳にして、この美しい絵🖋✨里中先生の描く横顔が好きなんですが、
この当時から出来上がっている感じがします☺️#昭和まんが雑談 pic.twitter.com/mN0Gc2bAVW— そらいろの樹🕊 (@solaironoki) February 8, 2021
漫画家として多忙な生活を送っていた20代前半のとき、編集者の男性と結婚します。
しかしその後は離婚したため、子供を産むことはできませんでした。
離婚後は仕事だけに明け暮れていましたが、あるとき「しまった」と思ったそうです。
昔から望んでいた夢が潰えたことに、大きなショックを受けたのでしょう。
離婚後は再婚しておらず、2023年現在も独身生活を送っているはずです。
漫画家として第一線で活躍し続けたものの、子供を作らなかったことは大きな心残りに違いありません。
子供の代わりに、自分の作品を子供のようにかわいがることで、心の空白を埋めてきたのかもしれませんね。
里中満智子の学歴は大阪市立桜宮高校中退
高校在学中に漫画家デビューを果たした里中さん。
通っていたのは大阪市立桜宮高校です。
通称「桜宮高校」として知られる公立高校で、淀川河川敷公園と隣接した自然豊かな学校です。
大学受験の時期が近づいた3年生のとき、教師からは受験勉強に専念するため漫画家業を休業するようすすめられます。
里中さんは「学校には一生行くわけではないが、仕事は一生やる」と考えました。
そこで3年生で中退し、漫画家の道をまっしぐらに進むのです。
高卒から大阪芸術大学の教授
里中さんは漫画家の道を突き進むため、大学には進学しませんでした。
そのため最終学歴は高校中退ではあるものの、漫画家としての実績が評価され、大学の教授となります。
教授を務めているのは、大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科です。
大阪芸術大学キャラクター造形学科一回生「キャラクター造形基礎」里中満智子先生特別講義『オリジナルキャラクターを作る』始まりました! pic.twitter.com/9dpAYzPtQk
— ねもと章子(別PN「抄堂たく」) (@nautilus_n) June 5, 2018
2023年現在は同学科のトップである学科長を務めています。
同学科は漫画やアニメの学術や理論を学ぶだけでなく、プロから現場の感覚を学べることが特徴です。
現場で使用される設備を使えて、在学中にデビューを果たす学生もいるといいます。
漫画家を目指す学生は、魅力的なキャラクターを作るにはどうすべきか、理論と実践を踏まえて日夜勉強しています。
いくら絵がきれいでも、キャラクター造詣が不十分であれば、読者の心をつかめません。
里中さん自身は高校時代、目を閉じて新聞記事を指さし、そこに載っている人の心情になりきる練習をしたそうです。
人の心理・気持ちを深く理解することから、魅力的なキャラクター造詣は始まるのですね。
里中さんは磨き上げたキャラクター造詣のスキルを、後進たちに惜しみなく共有しているのでしょう。
里中満智子は若い頃に病気を患う。リウマチと卵巣嚢腫
里中さんは若い頃から漫画家として華々しく活躍していましたが、その一方で病気と闘った経験がありました。
患ったのはリウマチと卵巣嚢腫です。
リウマチは関節に炎症が起きて、関節機能が損なわれる病気。
漫画家の命である手指を動かしにくくなるのですから、里中さんにとっては致命傷だったはずです。
手に大きな負担をかける漫画制作は、リウマチの患者さんにとってはかなりきつい仕事だったに違いありません。
それでも治療の結果、今では回復し、節々の痛みもなくなってきたといいます。
さらに里中さんは、寝る間も惜しんで漫画を描いていた29歳のとき、卵巣嚢腫と診断されました。
悪性の卵巣がんだったため、手術で卵巣を片方摘出しています。
癌といえば里中満智子が子宮癌になった時、やなせ先生が薬についてアドバイスしてくれて「あの時先生がすすめてくれた薬のおかげで生きています」って、どこかのコラムに書いたことがあった。
— バンビーナ (@d_bambina) October 15, 2013
里中さんが再婚しなかったのは、そもそも卵巣摘出で、子供を産めない身体になってしまったからかもしれません。
壮絶な闘病生活を終え、その後は子供への未練を断ち切るかのように仕事を続けたのでしょう。
今後はくれぐれも無理はせず、病気にならないよう気を付けながら活動して欲しいですね。
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