津島 淳(つしま じゅん)さんは二世議員としてエリートコースを歩んでいますが、自分の経歴以上に話題になっているのは文豪・太宰治の孫ということでした。
今回は津島さんと太宰さんの関係、結婚や学歴など人物像について迫っていきましょう。
津島淳のプロフィール
本名:津島 淳 (つしま じゅん)
出身地:フランス・パリ
生年月日:1966年10月18日
最終学歴:学習院大学(文学部国文学科)卒業
主な役職:法務副大臣
津島淳の祖父は文豪・太宰治
政界には政治家や経済人などの有名人を親類に持っている人が数多くいますが、津島淳さんの場合は母方の祖父に偉大な文豪・太宰治さんが居るという格別の家系です。
実は幅広く知られている「太宰治」はペンネームで、本名は津島修治(しゅうじ)さんでした。
津島姓にも関わらず「母方」と紹介していることに疑問を抱くかもしれませんが、淳さんの父親である雄二さんは「上野姓※」を名乗っていたので婿養子ということになります。
(※出生時は志摩、3歳頃から母方の上野を呼称)
【津島淳と太宰治の関係】
雄二さんは政治家になる前の大蔵省(現:財務省)の官僚時代に太宰さんの娘(園子さん)と結婚をしており、在フランス日本大使館で1等書記官をしていた時に淳さんが誕生。
ふたりが結婚をした経緯が気になったので調べると、どうやら雄二さんがパリに赴任する前に園子さんとお見合いをして意気投合し、フランスに渡ってから結婚をしたそうです。
いずれにしても淳さんの祖父が太宰さんであることに変わりはないですが、あまり自分から”太宰の孫です”とは明らかにしないので知る人ぞ知る意外な関係と言えますね。
ただ、祖父とは言っても生きている太宰さんに会ったことは無いとのことでした。
津島淳の結婚した妻や息子について
次は津島淳さん自身の結婚や妻、子供について見ていきましょう。
津島さんが結婚をしたのは父・雄二さんの秘書をしていた2008年のことでした。
妻の名前は明らかにされていませんが、年齢は7歳年下なので1973年頃の生まれになります。
政治家の妻であれば出陣式や選挙活動、当選後の万歳三唱に登場することが多いのですが、それらの場面でも妻の姿が確認できないので人前に出るのが苦手なのかもしれません。
政治家の妻であれば夫に付き従って活動しなければという考えは時代遅れで、これからは夫婦であっても互いの考え方やスタイルを最大限尊重する時代になるのでしょう。
さて、次は津島さんの子供について調査を進めて行きます。
夫婦が子供を授かったのは津島さんが”47歳の時だった”と明かしているので、生年月日から逆算をすると2012~13年頃ということになるでしょう。
子供の性別は男の子で、名前は「ゆうた」ということが判明しています。
公式サイトのプロフィール欄にも家族は「妻・長男」と表記されているので、第一子のゆうたさん以外の子供は誕生していないと考えるのが自然でしょう。
もしかすると将来的にゆうたさんが後継者になるかもしれませんが、まだ津島さん自身が現役バリバリなのでお世継ぎのことをアレコレ言うのは時期尚早ですね。
津島淳の学歴や大学で2度も留年した理由
偉大な文豪である太宰治さんを祖父に、東京大学法学部を卒業した雄二さんを父に持つ津島淳さんですが、自身の学歴は必ずしも順調ではなかったそうです。
少年期は千代田区立番町(りつばんちょう)小学校と千代田区立麹町中学校に通っており、選んだ理由も東京の住まいに近かったというシンプルかつ庶民的なものでした。
中学を卒業後は豊島区にある学習院高等科に入学していますが、高校受験の頃が人生の中でも一番と言って良いほど勉強に打ち込んだ時期だったそうです。
学校法人「学習院」は多くの皇族が入学した由緒ある学び舎であり、麻生太郎さんや細川護煕さんら多くの政治家を輩出するなど日本の発展に大きく寄与した学校と言えるでしょう。
大学は高校と同じ系列の学習院大学(文学部国文学科)へ進みましたが、在学中に2度も留年を経験するというホロ苦い青春時代を過ごしています。
1度目は語学(第二外国語のフランス語)を落してしまい、2度目は卒業論文を作成する際に指導教授からの指導を受けずにいたことによる不合格でした。
東京大学を卒業したほどの秀才だった父親からかなり怒られたそうですが、もしかすると何らかの反抗心のようなものがあったのかもしれませんね。
ちなみに、大学を卒業後は文学部と縁のない株式会社「関電工」に14年間ほど勤め、父親の秘書を経て2012年12月の「第46回衆議院議員総選挙」で初当選をして政治家になっています。
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