近代日本文学を代表する作家・太宰治(だざい おさむ)。
『人間失格』をはじめ多くの名作を残しながら、39歳のとき玉川上水で心中自殺をするなど、衝撃的なエピソードで知られています。
若くして亡くなっていますが、子供はいたのでしょうか。
娘が作家という情報もありますので詳しく見ていきつつ、息子はいないのか、また現在まで子孫は続いているのか調査しました。
太宰治のプロフィール
本名:津島修治
生年月日:1909年6月19日
死没:1948年6月13日
身長:175㎝
出身地:青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)
最終学歴:東京帝国大学仏文科中退
太宰治の子供は4人
まずはそもそも太宰に子供がいるのか、そして娘が作家という情報は事実か見ていきましょう。
太宰は、1939年に歴史と地理の教員だった石原美知子と結婚しています。
2人の間にできた子供は3人。
一男二女がもうけられています。
しかし太宰には愛人が複数おり、その中の1人、太田静子との間にも娘が1人いるということでした。
つまり、太宰の子供は計4人となるわけです。
静子は現在の実践女子大学家政科に在学中から文才があったようで、前衛的な詩などを創作していたと言われています。
滋賀県の開業医の娘だったので、厳しくしつけられていたはずですが、文学青年だった弟の勧めもあり両親に無断で国文科に転科を希望。
しかしそれが両親にバレてしまい、結局中退しています。
その後、東芝の社員・計良長雄と結婚しますが、生まれたばかりの娘を亡くすなど不幸に見舞われたのち離婚。
娘を亡くした際の様子を日記風にしたため、ファンだった作家の太宰に送ったところ、「遊びに来なさい」という返事をもらえたことで交流が始まります。
静子が書いた日記はその後、太宰の代表作『斜陽』の題材となりました。
1947年に2人の間には娘が生まれますが、太宰の不倫関係で生まれた子供はこの娘だけのようです。
触れ合う時間が短かった子供
太田静子との子供が産まれたのは、1947年11月12日。
そして、翌1948年6月13日に、太宰は亡くなっています。
静子の出産を知り、子供を認知した太宰ですが、父と娘の触れ合いはごく短い時間だったわけですね。
これは、美知子との間に生まれた次女も同じです。
次女の生年月日は1947年3月30日なので、太宰が亡くなったときは1歳。
こちらも、父娘の交流は短い期間だったことがわかりますね。
可愛い子供がいても命を絶ったことについては、「なぜ」と疑問を抱く人もいるでしょう。
確かに、生まれたばかりの子供たちと過ごす時間は、一般的に幸せな時間であるはず。
できるだけ長く触れ合う時間を確保したいと思うのは、自然なことと思えますよね。
しかし、太宰が選択したのはこの世を去ることでした。
太宰といえば、自殺未遂を繰り返していたことは有名なエピソード。
太宰治は何度も自殺未遂してるとか…
そうでもなきゃ人間失格は書けないな。— 右下 (@moooooooolight) March 19, 2014
こうした強すぎる自殺願望は、幼い子供たちのことを頭から消し去ってしまったのかもしれません。
長女は元厚相・津島雄二の妻
詳しくは後述しますが、美知子の次女と静子の長女は、成長して作家になりました。
一方、作家にならなかった長女の園子さんについては、あまり知らない人もいるかもしれません。
しかし、実際には園子さんも有名人のひとり。
元厚相である津島雄二さんと結婚し、一男一女をもうけています。
長男の敦さんも、父親と同じ自由民主党所属の衆議院議員。
そのため、園子さんについては政治家の家族として認識している人も多いのではないでしょうか。
とはいえ、五所川原市金木町で開催される太宰の生誕祭には、毎年出席していた園子さん。
そこではファンとの握手もあり、人気を集めていたようです。
津島園子さん、2018年太宰治生誕祭でのお写真です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(委員) https://t.co/VTTggdNB9o
— 太宰治検定─太宰治「思ひ出」の蔵 (@dazai_kentei) April 21, 2020
また、太宰が書いたユーモラスな作品を紹介するなど、父の残した作品を大切に思っていたことがわかります。
そんな園子さんですが、2020年4月20日、呼吸不全で亡くなっています。
太宰治の長女の津島園子さんが亡くなったとお聞きしました。
太宰治作品は人間の心を映す、素敵な描写に溢れていて、私も大好きです。
太宰治の意志を繋げてくださり、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。— あげは (@arinko_tktk) April 20, 2020
生誕祭に行くほど熱心な太宰ファンは、突然の訃報を知り、寂しい気持ちになったことでしょう。
太宰治の娘たちは作家として活躍
次に太宰の娘が作家という情報について見ていきます。
まず妻の美知子との間に生まれた二女についてですが、次女の里子が作家になっていました。
ペンネームは津島佑子(つしま ゆうこ)で、現在では昭和から平成にかけての現代文学を代表する女性作家と位置づけられています。
いよいよ今週末から山梨県立文学館で「津島佑子展」がはじまりますよ〜。11/23まで。パンフレットに参加しました。 pic.twitter.com/WHZMXHZOYb
— 木村朗子 (@kimurasaeko) September 21, 2017
1歳の時点で太宰が亡くなっているので、父の記憶はないですが、その文才は確実に受け継ぎました。
1971年に最初の作品集である『謝肉祭』を刊行、この時期の主なテーマは自身の生い立ちの影響もあって、母子家庭でした。
1972年に長女をもうけますが、夫とは離婚、それからパートナーとなる男性と出会っています。
このパートナーとも息子をもうけましたが、再婚することなく別れました。
息子も幼くして呼吸困難で亡くなっており、別離を繰り返した前半生と言えますね。
孤独を埋め合わせるためか精力的に創作に励み、その方向性はより壮大な世界観へと移っていきました。
1998年、母方の祖父である地質学者・石原初太郎をモデルにした大作『火の山―山猿記』を完成させます。
5年の歳月を費やした集大成とも言えるこの作品で、谷崎潤一郎賞と野間文芸賞を受賞、さらにNHK連続テレビ小説『純情きらり』としてドラマ化されました。
また湾岸戦争や東日本大震災に影響され、社会問題を積極的にテーマへ取り入れるようになります。
戦争孤児を描いた『ヤマネコ・ドーム』、アイヌを題材とした『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』などは代表作でしょう。
また文体は独特で、混とんとしたやや不思議な感覚を引き起こすものです。
久しぶりに津島佑子『逢魔物語』を読み直しているが、やはりグイグイ引き込まれる。地の文と会話文が融合したような、混沌とした津島の文体が好きで、高校時代に憧れたなぁ…。長編だと飽きてしまうが、短編集は読みやすいのもよい。人間関係の中に潜む、目に見えない「おばけ」がじわりと怖い。
— みみずく@妖怪博士見習い (@mimizuku_tutor) November 17, 2020
2016年に68歳で、肺がんにより亡くなるまで、旺盛な創作意欲でファンの心をつかみ続けた作家です。
次に太田静子と太宰の娘は、太田治子(おおた はるこ)さんという女性作家です。
明治学院大学文学部で英米文学を学び、のちに映画化された、『手記』などの作品を発表。
#読了
『手記』太田治子
『斜陽』で一躍有名になった著者の壮絶な生い立ちと、父親太宰さんの故郷を訪れた時の事を綴った手記。 静子さんと治子さんの間で交わされる「太宰ちゃま」が印象的。『斜陽』で見せる静子さんの印象とはまた違った一面も見られる作品。 pic.twitter.com/xQvpO4RZSw— ハイジ (@in_Alpes) September 23, 2020
母の影響で美術に造詣が深く、NHK「日曜美術館」の初代アシスタントも3年務めています。
母の看護が終わったタイミングで、30代で結婚しますが、娘・万里子をもうけたのち離婚。
2024年現在も健在で、執筆活動に専念しているようでした。
家系的には離婚や早死にが多いですが、不幸も創作の源にしていける文才を備えた人物が多いのでしょう。
太宰治の息子は肺炎で死去
次に太宰と妻・美知子の間に生まれた息子のことを見ていきましょう。
1944年の8月10日、長男の正樹が誕生しています。
しかし彼は生まれつきダウン症でした。
病弱だったためか、15歳のとき肺炎で亡くなっています。
そのため太宰の直接の息子は、2024年現在はいないことになりますね。
ちなみに小栗旬さんが太宰を演じた映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019年)には、正樹と同じダウン症の子役が出演し、ストーリーにリアリティーを持たせています。
また先述のドラマ『純情きらり』では、西島秀俊さん演じる杉冬吾という太宰をモデルにした人物が登場。
その息子・亨は、ダウン症ではありませんが、目に障害があるという設定になりました。
フィクション作品にも、正樹の影響が根強くあることがわかりますね。
子孫の現在(2024)
最後に太宰の子孫は現在について調査しました。
2020年上半期の芥川賞の候補となった、『赤い砂を蹴る』という小説があります。
この小説の作者で劇作家でもある、石原燃(いしはら ねん)さんという女性が津島佑子の娘、太宰の孫にあたることが明らかになりました。
第163回芥川賞候補に太宰治の孫・劇作家の石原燃(48)さん
太宰治の娘・津島佑子氏(2016年死去)の娘、という
しかし、祖父・太宰治は芥川賞を懇願しつつ(2回候補)受賞できず、母・津島佑子氏も3回候補になるも受賞はならず
こうなると孫としては意地でも受賞するわけにはいかない流れのような気も…
— 大沢愛 (@ai_oosawa) June 16, 2020
1972年に生まれ、劇団劇作家に所属、退団後は燈座(あかりざ)という劇団で戯曲を執筆しています。
2016年、母の死を契機に小説を書き始めました。
祖父にはあまり関心がなく、母の影響が強いと語っています。
やはり母子家庭での親子の結びつきは、創作に強烈な影響を与えているのでしょう。
社会問題や子供との死別など、津島文学に通じるテーマを持つ作品を発表していますが、今後はより多様なテーマで書いていきたいと語っています。
祖父も母も受賞していない芥川賞の有力候補として、今後も注目すべき作家ですね。
太宰の文才を受け継いだ女性たちの作品は、いずれも太宰文学以上に力強く、深遠なテーマで現代人の胸を打ち続けるでしょう。
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