今井美樹、若い頃の夢はCA!実家に兄弟なし。父親の店。生い立ちまとめ&宮崎を応援

今井美樹(いまいみき)さんは、1984年にドラマ「輝きたいの」で女優デビューしました。

1986年にシングル「黄昏のモノローグ」で歌手デビューすると、伸びやかな歌声が評価され、トップシンガーとしての地位を確立しました。

プライベートでは、1999年にギタリストの布袋寅泰さんと結婚されました。

そんな今井美樹さんの若い頃についてや、実家の兄弟や父親などの家族や生い立ち、出身地である宮崎県へ贈った応援歌についてなど、お伝えします。

今井美樹のプロフィール

本名:布袋美樹

生年月日:1963年(昭和38年)4月14日

身長:168.2cm

出身地:宮崎県児湯郡高鍋町

最終学歴:宮崎県立高鍋高等学校卒業

所属事務所:DADA MUSIC

今井美樹、若い頃はCAになりたかった

今井美樹さんは女優・歌手として非常に成功されていますが、実は地元宮崎から上京してくる際に目指していたのはキャビンアテンダントでした。

当時はまだキャビンアテンダントの事を「スチュワーデス」と呼んでいましたが、スチュワーデスを目指すきっかけになったのは、小学校1年生の時に見たドラマ「アテンションプリーズ」だったそうです。

「アテンションプリーズ」は、1970年8月から1971年3月まで放送された30分のドラマで、全32話放送されました。


主演は紀比呂子さんで、佐賀県出身の主人公が高校卒業後にスチュワーデスになるべく上京し、厳しい訓練を経て国際線のスチュワーデスになるまでを描いています。

このドラマを見て、機内で着物を着てカクテルを配る様子や、世界を飛び回る女性の姿がかっこよく思え、憧れを持ったそうです。

また、母親にも「これからは女の人も手に職を持っておいた方がいい」と言わたこともあり、スチュワーデスの専門学校に入学したそうです。

ですが、スチュワーデスの専門学校は当然女性ばかりの環境で、辛いことも多くあったそうです。

試験に合格するために、マニュアルや細かい規則などを勉強していくうちに、「これが本当にしたいことかな?」という疑問も生まれてきたそうです。

そんな中、知り合いのカメラマンに頼まれて、軽い気持ちでモデルのアルバイトを引き受けたそうです。

モデルの人数が足らなくて呼ばれることが増え、次第にモデルが本業のようになっていきました。

その知り合いのカメラマンに「そろそろちゃんとプロダクションに入った方がいい」とアドバイスされて、マネージメント会社を探し、契約しました。

今井美樹さんはハッキリとした性格に思われることが多いそうですが、実はそうでもないそうで、モデルもなんとなく始めたのがいつの間にか仕事になっていた、という感じだったそうです。

女優になった経緯も、マネージメントを担当してくれた女性が「あなたは写真より動いた方がいいと思う」と言われて、テレビの仕事が入るようになったそうです。

歌手活動に関しても、自分から「歌いたい」と言ったわけではなく、音楽が好きで、昔松任谷由実さんなどの曲を弾き語りしてましたと話した所、デモテープを作成する流れになり、歌手デビューが決まっていったそうです。

今井美樹さん自身は逆に、「役者になりたい」「歌手になりたい」といった強い意志があって夢を掴んだ人たち対して、引け目を感じていたそうです。

そのせいで、若い頃は常に「どんなに頑張ってもみんなに追いつかない」というコンプレックスがあったそうです。


ですが、今では芸能生活も長くなり、30年もやっているとそれなりに自分の道になっていった、という感覚だそうです。

気の強そうに見える今井美樹さんですが、実は心情は少し違っていたのかもしれませんね。

実家の兄弟や父親、生い立ちを調査

今井美樹さんの実家は、宮崎県児湯郡高鍋町にありました。

電気店を経営していたそうですが、父親がジャズが好きで、店をオーディオ専門店に変えたそうです。

オーディオ専門店が実家ですと、いい音がいつも流れている環境だったのではないでしょうか。

幼少の頃から音楽が好きで、松任谷由実さんに憧れて弾き語りをしていた今井美樹さんの一面は、お父さん譲りかもしれませんね。

オーディオ専門店だったことから、家にはビデオデッキなどがあったため、小さな頃はそのビデオデッキでミュージカルのビデオを見て、一緒に踊っていたそうです。

初めて持った夢は、ミュージカルダンサーだったそうです。

今井さんは音楽好きだった一方、スポーツも万能で、小学校の頃からかけっこでは男の子にも負けていなく、中学の頃から陸上部に入りました。

高校時代には陸上のインターハイに、100mハードルとリレーのメンバーとして出場した経験もお持ちです。

スラっとした長い手足が活かされていたのでしょう。

ちなみに兄弟はいらっしゃらないようで、一人っ子だったそうです

宮崎県出身のコブクロと共に地元を応援

2010年4月に宮崎県で発生した口蹄疫で苦しむ地元の方々へ、宮崎県出身の今井美樹さんと、コブクロの小渕健太郎さんが中心になり、応援歌が制作されました。


「太陽のメロディー」という楽曲で、今井さんの夫である布袋寅泰さんと、小渕さんの相方である黒田俊介さんも参加されました。

楽曲の売上利益は、宮崎県口蹄疫被害義援金に寄付されました。

2010年10月10日に宮崎県宮崎市で行われたコブクロのスタジアムライブのアンコールに、スペシャルゲストとして今井さんと布袋さんが登場し、4人で同曲を披露しました。

宮崎県のファンの方々は、嬉しかったのではないでしょうか。

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