松下幸之助、自宅豪邸について。住居は西宮、資産は2000億円越え。患った病気&死因は何

言わずと知れた日本を代表する経営者の松下幸之助。

1台でパナソニックを作り上げそして世の中を良くするために松下政経塾も作り非常に人格的にも優れた人物です。

この松下幸之助はどんな人物だったのかさらに掘り下げていきます。

松下幸之助のプロフィール

生年月日:1894年11月27日

出生地:和歌山市

死去日:1989年4月27日

妻:松下むめの

学歴:関西大倉中学校・高等学校

子供:松下幸子

松下幸之助の自宅は豪邸

松下幸之助の大豪邸は光雲荘(こううんそう)と言います。

この建物はなんと足掛け3年も作るのにかかったそうです。


さすが世界のパナソニックの創業者松下幸之助、作る自宅もスケールが大きいですね。

この光雲荘は玄関から建物本体までが歩いて約3分、茶室がありそこには様々な客人を呼んでもてなしたそうです。

客人たちも最高のおもてなしを受け、松下幸之助のスケールの大きさや人格の深さ等を感じていたと言います。

そしてその客人が泊まった後は、着ていた服もアイロンがぴっちりとかけられるまでほどこされ、最高級旅館に泊まったような居心地だったようです。

自宅には常に最高級のシェフが常駐しており、美味な料理を提供していたそうです。

このスケールの大きい自宅は300年後の遺構として残していきたい意図があったそうです。

松下は人々の役に立つことを第一優先として考え、周りの人々に施す精神を持っていたのでしょう。

建物は純和風の伝統的な木造建築で、万葉集でも歌われたことがある名次山に建てられました。

住居は西宮の理由、資産の規模とは

西宮といえば、毎年ニュースになる副男選びで有名な商売の神様、えびす様の総本社があるのは有名です。

商売の神様である松下幸之助も西宮を自宅として選んだのはもしかしたら商売の神様のご利益にあずかろうと考えていたのかもしれません。

松下幸之助の資産はどのくらいかと申しますと1989年4月27日94歳で亡くなりましたがその時点で遺産総額は2450億円でした。

その時点で松下幸之助の遺産総額は、日本で史上最高を記録したと言われています。


遺産は妻のむめのさん、娘である幸子さん、娘婿である正治氏、そして4人の非嫡出子が相続しました。

はっきりとした証拠があるわけではありませんがいわゆる愛人の子供が4人ほどいたと思われます。

法律上実のことを認められなくても、しっかりと認知し遺産のほうも分け与えようと思ったのではないでしょうか。

最終的には遺産は残せましたが、常に会社経営も順風満帆であったわけでもなく、資産が凍結され、倒産寸前まで傾いた時期もありました。

松下幸之助が患った病気と死因

患った病気は、「肺尖カタル」(肺尖部分の結核症)と言われています。

松下幸之助の幼い頃は、非常に体が弱く、貧乏でもあったせいか満足な食事も取れなかったせいか青年になった後でも、なかなか頑健な体になれなかったのではないでしょうか。

地震の父母、および姉兄合わせて5名が肺結核で亡くなり、自身も非常に悩み恐れていたと思われます。

医者に相談したところ特効薬はないと言われ薬を飲み、働きながら治したそうです。

そういった病とうまく付き合うコツを得たからこそ、それが94歳まで長生きできた原因なのかもしれません。

松下幸之助の名言等にもよく出ますが、苦労に対しては、挑戦し負けない気概が必要だと様々な発言で言われてます。

そのように厳しい苦労に対しても負けず立ち向かった精神力の強さが、世界でも有名な大企業であるパナソニックを一代で作り上げた精神力の強さなのではないでしょうか。

死因は気管支炎です。


死因である気管支炎を患った時もお医者さんに対してまで、どこまでも最後まで気を遣ったそうです。

やはり経営の神様は、人を大切にしたことがパナソニックが世界企業に押し上げた要因だったのかもしれません。

関連記事
松下幸之助の家系図。松下由樹は子孫ではない&娘と息子の人生。ひ孫はパナソニックに入社

松下幸之助の凄さとは。若い頃と生い立ち、歴は中卒。生家跡に座敷わらし

稲盛和夫の家系図と家族まとめ。妻は韓国系、子供は娘3人、孫はいるのか

盛田昭夫、自宅は目黒区の4階建て。邸跡には兼重宏行の豪邸&資産を半分失った?

中村天風の死因。食事法&若い頃の活動。見事な最期、弟子たちの著作が話題

本田宗一郎の性格&伝説。学歴は中卒、功績まとめ。警備員の有名エピソード

斎藤一人、家族構成は?美人妻との結婚について。再婚の噂はデマ。実際に子育てはしているのか

コメント