白洲次郎の家・武相荘は鶴川の別荘。芦屋の実家と伊丹の白洲屋敷

占領下の日本で、流暢な英語とたぐいまれな交渉術で吉田茂の外交をサポートした白洲次郎(しらす じろう)。

エッセイストの妻・白洲正子と共に暮らした家「武相荘(ぶあいそう)」は、東京都町田市鶴川に現存しています。

武相荘は白洲家の別荘として有名ですが、他にも兵庫県の芦屋と伊丹に、白洲家ゆかりの建築物があったようです。

今回は、次郎の息吹を感じられる歴史的スポットを紹介します。

白洲次郎のプロフィール

本名:白洲次郎

生年月日:1902年2月17日

死没:1985年11月28日

身長:185cm

出身地:兵庫県芦屋市

最終学歴:ケンブリッジ大学クレア・カレッジ

白洲次郎の家:武相荘は鶴川にある別荘

まずは白洲次郎が暮らした家「武相荘」を紹介します。

東京都町田市にある「武相荘」は、小田急線「鶴川駅」から徒歩15分ほどの場所にある古民家です。

約2,000坪の広大な敷地内に、現代では珍しい萱葺き屋根の母屋が残っており、築年数は150年以上と推定されています。

白洲次郎と正子夫婦は農家だったこの家を別荘として購入し、戦況が悪化していた1943年から自給自足の生活を送りました。

戦後も都会の喧騒から離れた「武相荘」で暮らし続け、生涯を終えています。

「武蔵」と「相模」の境にあることと「無愛想」を掛けて、「武相荘」というユーモラスな名前が誕生しました。

2001年からは一般公開されており、古民家の雰囲気はもちろん、正子が収集した骨董品や貴重な資料の鑑賞を楽しめます。

秋には紅葉の赤と、竹林の緑の鮮やかなコントラストが見られ、散策に最適です。

また次郎の愛車PAIGEの同型車も駐車しているため、車好きにもおすすめのスポットです。


休憩には白洲家のダイニングだった空間を利用した「レストラン&カフェ武相荘」での食事がおすすめですよ。

次郎も愛したカレーライスを注文する人が多いようです。

白洲夫婦は都会で食糧不足に陥る前に古民家へ転居し、田畑を耕しながら暮らしました。

苦しい生活も、「カントリージェントルマン」を自称していた次郎にとっては、贅沢な「田舎貴族」の生活だったのでしょう。

職をすべて捨てて、地方でゆったりと暮らしながらも、中央政治にはしっかり目を光らせるという生き方です。

ケンブリッジ大学に留学していたときに出会った学友の7世ストラトフォード伯爵ロバート・セシル・ビングから影響された生き方でした。

郊外で自然に囲まれた生活を送りながら、政界の動きも観察していた次郎。

やがて吉田茂の右腕として、占領下の日本を導く上で大きな役割を果たすことになります。

仕事復帰後も「武相荘」に暮らし続けることで、オンとオフをしっかり分ける充実した生活を送れたのでしょうね。

白洲次郎の家:芦屋の実家は現存せず

風光明媚な海岸や川沿いの松並木で有名な、兵庫県芦屋市。

多くの文化人が暮らした高級邸宅地です。

次郎は貿易商・白洲文平の次男として、エリートの街である芦屋で生まれました。

だた早い段階で芦屋から神戸に引っ越しているため、芦屋に関する思い出はあまりなかったのではないでしょうか。

芦屋の実家は現存しておらず、次郎にまつわる観光スポットもない様子。

ただ美しい建造物が立ち並ぶ高級住宅街があり、散策に最適な土地であることは確かです。

また「芦屋市谷崎潤一郎記念館」といった、ゆかりの文化人にちなんだ観光スポットもあります。

ずっと歩き続けても飽きることのない魅力的な土地のため、一度訪れる価値はあるはずです。

芦屋市内を旅しながら、次郎に思いを馳せてみるのもおすすめですよ。

白洲次郎の家:伊丹の白洲屋敷は現存せず

次郎の父・文平は、綿花輸入の貿易会社を経営し、巨万の富を手に入れました。

兵庫県川辺郡伊丹町北村(現在の伊丹市春日丘)に、およそ4万坪もの巨大な屋敷を建てています。

屋敷内には美術館や牡丹園もあり、贅を尽くしていたことが分かりますね。

モネやピカソ、雪舟など有名画家の作品も収集され、美術館内に飾られていたようです。

しかし1928年に事業が破綻したことで、ほとんどの財産を処分することになりました。

唯一残った伊丹の白洲屋敷も、文平の死後は所有者が変わり、1965年に解体されました。

建物の半分が京都市内の寺院、門が伊丹市の民家に移築されたため、一部は現存しているとのこと。

シンボル的存在だった給水塔はそのままになっていたものの、老朽化により1989年に解体されました。

屋敷跡には「白洲屋敷跡」の案内標が建てられています。

栄枯盛衰を感じさせる白洲屋敷の歴史。

現地に足を運んで、あえて寂しい気持ちになってみるのも感慨深く、思い出を作れるかもしれませんね。


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