占領下の日本で、流暢な英語とたぐいまれな交渉術で吉田茂の外交をサポートした白洲次郎(しらす じろう)。
エッセイストの妻・白洲正子と共に暮らした家「武相荘(ぶあいそう)」は、東京都町田市鶴川に現存しています。
武相荘は白洲家の別荘として有名ですが、他にも兵庫県の芦屋と伊丹に、白洲家ゆかりの建築物があったようです。
今回は、次郎の息吹を感じられる歴史的スポットを紹介します。
白洲次郎のプロフィール
本名:白洲次郎
生年月日:1902年2月17日
死没:1985年11月28日
身長:185cm
出身地:兵庫県芦屋市
最終学歴:ケンブリッジ大学クレア・カレッジ
白洲次郎の家:武相荘は鶴川にある別荘
まずは白洲次郎が暮らした家「武相荘」を紹介します。
白洲次郎と正子が愛した家、武相荘へ。
雨があがり、紅葉の赤が一段と綺麗に見え、竹林の緑の対比にはっとする美しさ。
しばし、師走の忙しさを忘れさせてくれる、穏やかな時間でした。#武相荘 #白洲次郎 #白洲正子 #旧白州邸 #紅葉 #もみじ #東京都 #町田市 #古民家 pic.twitter.com/U6bJIlIUYL— 長谷川貴子 (@tabletakako) December 10, 2021
東京都町田市にある「武相荘」は、小田急線「鶴川駅」から徒歩15分ほどの場所にある古民家です。
約2,000坪の広大な敷地内に、現代では珍しい萱葺き屋根の母屋が残っており、築年数は150年以上と推定されています。
白洲次郎と正子夫婦は農家だったこの家を別荘として購入し、戦況が悪化していた1943年から自給自足の生活を送りました。
戦後も都会の喧騒から離れた「武相荘」で暮らし続け、生涯を終えています。
「武蔵」と「相模」の境にあることと「無愛想」を掛けて、「武相荘」というユーモラスな名前が誕生しました。
2001年からは一般公開されており、古民家の雰囲気はもちろん、正子が収集した骨董品や貴重な資料の鑑賞を楽しめます。
秋には紅葉の赤と、竹林の緑の鮮やかなコントラストが見られ、散策に最適です。
大好きな武相荘の竹林に、紅葉🍁が、映えていました。
白洲次郎&正子夫妻の住んでいたこの場所は、私も子ども時代を過ごした町です。
なんだか原点を思い出させてくれる場所。
今日も、また、しっかりパワーもらってきました😊 pic.twitter.com/A5Rfj9ixnD— いづつしょうこ (@cmamshon) December 10, 2021
また次郎の愛車PAIGEの同型車も駐車しているため、車好きにもおすすめのスポットです。
休憩には白洲家のダイニングだった空間を利用した「レストラン&カフェ武相荘」での食事がおすすめですよ。
次郎も愛したカレーライスを注文する人が多いようです。
今日は地元の友人と念願のこちらに美味しいカレ―を食べに行ってきました♪♪
お庭の竹林と真っ赤な紅葉がとても綺麗でした🍁🍁🍁🍁🍁
旧白洲邸 武相荘 Buaiso https://t.co/RU4iptcXSb pic.twitter.com/9yw1gqtCLa
— まるみ (@uramakat) December 10, 2021
白洲夫婦は都会で食糧不足に陥る前に古民家へ転居し、田畑を耕しながら暮らしました。
苦しい生活も、「カントリージェントルマン」を自称していた次郎にとっては、贅沢な「田舎貴族」の生活だったのでしょう。
職をすべて捨てて、地方でゆったりと暮らしながらも、中央政治にはしっかり目を光らせるという生き方です。
ケンブリッジ大学に留学していたときに出会った学友の7世ストラトフォード伯爵ロバート・セシル・ビングから影響された生き方でした。
郊外で自然に囲まれた生活を送りながら、政界の動きも観察していた次郎。
やがて吉田茂の右腕として、占領下の日本を導く上で大きな役割を果たすことになります。
仕事復帰後も「武相荘」に暮らし続けることで、オンとオフをしっかり分ける充実した生活を送れたのでしょうね。
白洲次郎の家:芦屋の実家は現存せず
風光明媚な海岸や川沿いの松並木で有名な、兵庫県芦屋市。
多くの文化人が暮らした高級邸宅地です。
次郎は貿易商・白洲文平の次男として、エリートの街である芦屋で生まれました。
だた早い段階で芦屋から神戸に引っ越しているため、芦屋に関する思い出はあまりなかったのではないでしょうか。
芦屋の実家は現存しておらず、次郎にまつわる観光スポットもない様子。
ただ美しい建造物が立ち並ぶ高級住宅街があり、散策に最適な土地であることは確かです。
また「芦屋市谷崎潤一郎記念館」といった、ゆかりの文化人にちなんだ観光スポットもあります。
谷崎潤一郎記念館では、冬の特設展「谷崎からの手紙〜書簡の中の文豪〜」が始まりました。谷崎の人となりや、心象風景などさまざまな切り口で浮き彫りにします。 pic.twitter.com/lpVvPo3PaN
— 芦屋市谷崎潤一郎記念館 (@AshiyaTanizaki) December 17, 2021
ずっと歩き続けても飽きることのない魅力的な土地のため、一度訪れる価値はあるはずです。
芦屋市内を旅しながら、次郎に思いを馳せてみるのもおすすめですよ。
白洲次郎の家:伊丹の白洲屋敷は現存せず
次郎の父・文平は、綿花輸入の貿易会社を経営し、巨万の富を手に入れました。
兵庫県川辺郡伊丹町北村(現在の伊丹市春日丘)に、およそ4万坪もの巨大な屋敷を建てています。
屋敷内には美術館や牡丹園もあり、贅を尽くしていたことが分かりますね。
モネやピカソ、雪舟など有名画家の作品も収集され、美術館内に飾られていたようです。
しかし1928年に事業が破綻したことで、ほとんどの財産を処分することになりました。
唯一残った伊丹の白洲屋敷も、文平の死後は所有者が変わり、1965年に解体されました。
建物の半分が京都市内の寺院、門が伊丹市の民家に移築されたため、一部は現存しているとのこと。
シンボル的存在だった給水塔はそのままになっていたものの、老朽化により1989年に解体されました。
屋敷跡には「白洲屋敷跡」の案内標が建てられています。
昨日いった伊丹緑地だよ✈
白洲屋敷跡
伊丹産業の伊丹坂トンネル
歴史のある伊丹坂だよ🌾🌾#伊丹坂#伊丹緑地#伊丹産業#伊丹トンネル#白洲屋敷跡#伊丹市 pic.twitter.com/tljbdQQACP— ✈️伊丹ラク子ℹ️⭐️1周年⭐️兵庫県伊丹市非公認萌えキャラクター/兵庫県東代表【公式】 (@rakuko_Rozerubs) October 24, 2020
栄枯盛衰を感じさせる白洲屋敷の歴史。
現地に足を運んで、あえて寂しい気持ちになってみるのも感慨深く、思い出を作れるかもしれませんね。
白洲次郎の妻・正子は随筆家。二人の息子たちと娘について
白洲次郎と麻生太郎の関係。英語でマッカーサーに主張。ウイスキー愛&ゴルフ好き
白洲次郎の家系図。孫は総理秘書で兄も秀才。ひ孫が白洲迅&ハーフの噂は間違い
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