白洲次郎の妻・正子は随筆家。二人の息子たちと娘について

自らの信条をプリンシプルと呼び、占領下の日本において毅然とした態度でGHQと渡り合った白洲次郎(しらすじろう)。

90年代半ばからの再評価もあいまって、近年は日本一かっこいい男と注目度が高まっていますね。

一目惚れで結ばれ、生涯の伴侶となった妻・正子夫人はどんな女性だったのでしょう。

今回は家族にスポットをあてて、息子や娘についても取り上げます。

白洲次郎のプロフィール

本名:白洲 次郎(しらす じろう)

出身地:東京都

生年月日:1902年2月17日

没年月日:1985年11月28日(83歳没)

最終学歴:ケンブリッジ大学卒業

主な役職:貿易庁長官 / 東北電力会長

白洲次郎の妻・正子は随筆家

イギリス仕込みの教養とダンディズムを身につけて、20代半ばで帰国した白洲次郎。

翌1929年に『ジャパン・アドバタイザー』の記者となり、樺山伯爵家の令嬢・正子と華燭の典を挙げました。

馴れ初めは伯爵家の長男の紹介だったそうです。


27歳の次郎と19歳の正子は互いに一目惚れ。

仲人をつとめたのは維新の三傑・大久保利通の三男・大久保利武侯爵夫妻でした。

ハネムーンは次郎の父から結婚祝いに贈られたランチア・ラムダで京都、奈良、箱根へ。

正子夫人は1910年1月7日、樺山愛輔・常子夫妻の次女として東京都千代田区に生まれました。

伯爵家の令嬢なのですが、蝶よ花よと育てられたお嬢様とはちょっと違っていたようです。

のちに「韋駄天(いだてん)お正」と呼ばれるほど行動派で勝ち気だった彼女は、幼少より能を習い、女人禁制の能の舞台に14歳で立ちました。

またアメリカへ行ってみたいと両親にダダをこね、渡米してハートリッジ・スクールにも入学しています。

次郎との結婚後は、小林秀雄らとの交遊の中で骨董などの美術に開眼し、独自の審美眼で日本の美についての多くの随筆を残しました。

読売文学賞を受賞した『能面』『かくれ里』などがあります。

戦火の迫る東京から郊外の町田市に転居したのは1943年のこと。

町田での生活はのんびりしていたものの、古い建造物や美術品を訪ね、目で確かめて執筆する姿勢は終生変わりませんでした。

1998年、 肺炎のため88歳の生涯を閉じた正子。

夫と同じく葬儀はせず、戒名もなく、兵庫県の心月院に二人寄り添って眠っています。

白洲次郎の二人の息子たち

白洲次郎は正子との間に二男一女をもうけました。

まずは息子たちからみていきましょう。

長男は1931年2月5日生まれの春正さん、次男は1938年1月3日生まれの兼正さん。

春正さんは東宝東和の相談役・社長を務めた人物です。

次郎は東宝に影響力をもっており、義兄にあたる樺山丑二も東宝の取締役だったことから、ゆかりも深かったようですね。

兼正さんはシーアフェアーズ社長で、妻は小林秀雄の長女・明子さん。

その長男で、次郎の孫にあたるのが1965年生まれの白洲信哉さん。

信哉さんは細川護熙元首相の公設秘書を経て執筆活動に入り、骨董古美術専門誌『目の眼』の編集長をつとめました。


『白洲家としきたり』『かたじけなさに涙こぼるる』などの著作があります。

また文化イベントのアートプロデュースなど日本文化の普及にも取り組んでいるそうです。

次郎に関する新書が刊行されるたびに、どんどん身長が伸びていると笑う信哉さん。

そのうち2メートルに届くのではないかと家族で冗談を言い合うこともあるそうです。

本当の身長は自分と同じくらいで、175cmほどだろうとのこと。

信用のおける、身内ならではの証言ですね。

白洲次郎の娘・牧山桂子は武相荘館長

白洲次郎&正子夫妻の娘が1940年6月3日に誕生した牧山桂子(まきやまかつらこ)さんです。

二人の兄がいる第三子になりますね。

夫はヤナセから西武百貨店に転職し、LOFTや六本木WAVEの創設に尽力した牧山圭男さん。

両親が60年近く暮らした町田市の旧邸・武相荘(ぶあいそう)は2001年に記念館としてオープンしましたが、館長をつとめているのが桂子さんであり、圭男さんも運営に携わっています。

幼い頃から父は多忙で、母も自分の世界に生きており、入学式や運動会に両親の姿はなかったと振り返る桂子さん。

白洲家には子供の学校行事も家族団らんも七五三もなかったため、「うちは何か変だ」と子供心に感じていたのだそう。

やがて桂子さんも結婚し、息子を育てる立場になりました。

次郎&正子夫妻の子供の育て方は世間一般とは違っていたかもしれませんが、夫婦仲もよく、親子関係も冷たいものではなかったことは、次郎の子煩悩エピソードから伝わってきます。

母と同様、桂子さんも白洲家の人々をつづった著作を残しており、2009年には『次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家―』をベースとしたドラマが放送されました。


白洲次郎を主人公とした初めての映像作品です。

平和な世の中ではなく、乱世にこそ生きがいを感じる士(さむらい)だったと正子夫人に評された白洲次郎。

激動の時代に貫いた潔い生きざまは、今後も人々を魅了し続けるにちがいありません。

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