本田宗一郎の自宅や資産が凄い!愛車は外車?生家、貧乏だった生い立ちについて

本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)さんは一代で「世界のホンダ」を作り上げた人物として有名ですが、プライベートについてはあまり話題にされていません。

そこで今回は本田さんの自宅や資産、愛車や生家などパーソナルな部分を見ていきましょう。

本田宗一郎のプロフィール

本名:本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)

出身地:静岡県

生年月日:1906年11月17日

主な役職:本田技研工業(社長・取締役最高顧問) / 本田技術研究所(所長)

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本田宗一郎の自宅は新宿区にある豪邸

まずは本田宗一郎さんが過ごした自宅について見ていきましょう。

本田さんの自宅は東京都新宿区の西落合にあり、立派な門構えや広大な敷地に驚かされます。

さすがは「世界のホンダ」を一代で築いた偉人の自宅だと感心してしまいますが、具体的な土地の広さや建物の価格などは明らかになっていませんでした。

しかし、新宿という地域柄を考えれば軽く10億円以上になると考えるのが自然でしょう。

本田さんが亡くなってからは妻の”さち”さんが住んでいたそうですが、さちさんも2013年末に亡くなっているので2022年現在は誰が住んでいるか分かりませんでした。

ただ、隣に長男の博俊さんが住んでいるという情報もあることから、主を失った家の管理は肉親や親戚などが行なっているのかもしれませんね。

本田宗一郎は多額の寄付で資産は少なかった?

いわゆる昭和の実業家は平成以降の成功者に比べて金の匂いがしない人が多く、本田宗一郎さんや松下幸之助さんなどは多額の寄付をして後進の育成に取り組んでいます。

松下さんは有名な「松下政経塾」を作り、本田さんも経営面を任せていた相棒の藤沢武夫さんと一緒に「作行会」という奨学金の支給を行なう財団法人を設立していました。

作行会は1983年に解散していますが、その思想は「公益財団法人 本田財団」が引き継ぎ、アジアの若き科学技術者を対象とした「Y-E-S奨励賞」を展開しています。

本田さんは創業者として株式上場や配当金など多額の利益を得ていますが、各種財団に株や資金を提供しているので私たちが思っているほどの資産は無いかもしれません。

元々、お金には無頓着な性格で会社の財務や経理などはまったく関心が無かったらしく、自分の通帳も奥さんに任せていたというエピソードは有名です。

もちろん少ないとは言っても一般人とは比較にならないほどの資産は有ったでしょうが、財テクなどをせずに職人として人生を全うした姿に憧れる人は後を絶ちません。

本田さんよりも稼いでいる人はたくさんいますが、あまり尊敬されないのは何故でしょうか。

本田宗一郎の愛車は外車?

自動車会社に勤めている人は自社の車に乗っている(乗らされている?)ことがほとんどですが、ホンダの創業者である本田宗一郎さんが何に乗っていたか気になりますよね。

当然のようにホンダの車に乗っているかと思いきや、意外にもイギリスの自動車メーカー「ロータス」が製造・販売をしていた”ロータス・エリート”に乗っていたそうです。

この件に関しては長男の博俊さんが雑誌取材の中で明かしており、トヨタ博物館で行なわれたロータス・エリートの走行披露イベントでも本田さんとの縁が紹介されていました。

司会の方が触れた通り”購入した理由が開発の参考”というところが何とも本田さんらしいです。

純粋な意味での愛車と言えるかどうか微妙ですが、個人で所有していたのは間違いありません。

自宅にもガレージが3つほどあるので複数の車を持っていた可能性もありますが、晩年の本田さんが何に乗っていたのかは謎のままとなっています。

もっとも、年齢的なこともあって多くは運転手付きの送迎車(社用)と考えられるので、本田さんの愛車はロータス・エリートだったということにしておきましょう。

生家が焼失!生い立ちも貧しかった

最後に本田宗一郎さんの生家や生い立ちについて見ておきましょう。

生まれたのは静岡県磐田郡光明村(現:浜松市天竜区)で、親は鍛冶屋を生業としていました。

しかし、鍛冶屋の仕事がうまく行かないことから一家そろって天竜市に引っ越したそうです。

家族が去った後は親戚の人が住んでいましたが、火事によって家屋は焼失してしまいました。

本田さんは手先が器用だったことから自転車屋に商売替えをした父親の仕事を手伝い、後に運命を大きく変える二輪車と縁を持つことになったのは運命のいたずらでしょうか。

自転車屋に商売替えをしても家は貧しかったらしく、隣の家に飾ってあった端午の節句の武者人形を見に行った際に「汚い子は来ちゃいけない」と追い出されたこともありました。

金持ちと貧乏という経済的格差(差別)を自ら体験したことで差別を許さないスタンスをとるようになり、実業家になってからも人種や家柄、学歴などで判断をしていないそうです。


また、経済的な問題から十分な教育を受けられなかったことを深刻に考え、自分のような人を減らしたいという思いが苦学生を支援する財団法人の設立に繋がったのでしょう。

本田さんの生い立ちは恵まれないどころか差別もあって厳しい状態でしたが、当時の経験を糧にして「本田宗一郎」という人間が大きくなったと言えるかもしれませんね。

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