湯川れい子の家族と結婚歴、息子と夫について。兄の戦死。病気はC型肝炎

音楽評論家や作詞家として60年以上活動してきた湯川れい子(ゆかわ れいこ)さん。

今回は湯川さんの知られざる家族と結婚の情報をまとめます。

息子、夫、戦死した兄の詳細を確認。

さらに50年近く闘っていた病気であるC型肝炎の詳細に迫ります。

湯川れい子のプロフィール

本名:田村和子(旧姓:湯野川)

生年月日:1936年1月22日

身長:不明

出身地:東京都目黒区、山形県米沢市

最終学歴:鴎友学園女子高等学校

所属事務所:ホリプロ

湯川れい子の家族、2度の結婚と離婚

湯川さんは海軍大佐の父・湯野川忠一の元に生まれました。

また忠一の従妹は、有名な山本五十六元帥の妻でした。

湯川さんは疎開先である山形県米沢市で過ごした後、東京へ戻って鴎友学園女子高校を卒業します。

女優として山本薩夫監督の『太陽のない街』や今井正監督の『ここに泉あり』などへ出演し、舞台でも活動。


1959年、ジャズ専門雑誌「スイングジャーナル」に「湯川れい子」名義で記事を投稿したところ話題になりました。

これがきっかけとなり、翌年から同誌で執筆活動を始め、音楽評論家となるのです。

湯川さんは2度の結婚と離婚を経験しており、最初の結婚はちょうど「スイングジャーナル」に投稿し始めた前後のこと。

夫は8歳年上で、幼なじみの銀行員。

進さんという名前で、一橋大学の学生時代、湯川さんの実家に下宿していました。

母親の要望で湯川さんは22歳のとき、進さんと結婚させます。

しかし幼少期から「年上のお兄さん」という感覚を抱いており、恋愛感情を持つことができませんでした。

形式上は結婚していたものの、夫婦の関係は冷え切っていたのです。

進さんがニューヨークに栄転しても、湯川さんは日本に残ります。

子供を作らないまま別居生活を送り、1966年、湯川さんが30歳のときに離婚しました。

湯川れい子の息子は田村有宏貴

湯川さんは進さんと離婚後、再婚相手との間に息子をもうけています。

息子の田村有宏貴(たむら ゆうき)さんは、イベント関連会社「キョードー東京」の取締役です。

有宏貴さんの最大の功績は、ポール・マッカートニーの日本公演を実現させたことでした。

優れたイベント企画者・経営者として活躍し、私生活では33歳で結婚しました。

湯川さんは離婚していたものの、息子の結婚式には元夫とそろって出席しています。

その後、有宏貴さんは一人息子をもうけました。

湯川さんにとってはかわいい孫にあたりますね。

実は、湯川さんは病気を患っていたため、離婚後は息子を元夫の両親に預けざるを得ませんでした。

つまり最愛の息子とは離れ離れになっていたのです。

それでも母子の愛情は消えず、病気が完治してからは仲良く交流しているそうですよ。

湯川れい子の2番目の夫は田村駿禮

湯川さんが再婚したのは1973年。

相手は前年、自分で企画したエルビス・プレスリーのコンサート鑑賞ツアーで出会った男性でした。

名前は田村駿禮(たむら たかのり)さん。

湯川さんは結婚から2年後に有宏貴さんを出産すると、育児と仕事を両立させながら充実した日々を送っていました。

しかしあるとき駿禮さんが株の投資により、30億円の借金を作ってしまいます。

自宅は差し押さえとなり、さらに夫の浮気が発覚。

浮気相手との間には子供まで生まれていました。

こうして1998年、湯川さんは2度目の離婚に至ったのです。

駿禮さんはその後「田村熾鴻(たるひろ)」と改名して、株式会社グッドカンパニーの取締役となりました。

同社で貴金属やダイヤモンドの販売に取り組み、ブランド「エイトスター・ダイヤモンド」も展開。


息子の有宏貴さんも取締役として活動しているため、経営の才能は父譲りのようですね。

父子は不仲になっていたものの、有宏貴さんの結婚式に両親そろって招かれた後、和解したそうです。

湯川れい子の兄はフィリピンで戦死

湯川さんが洋楽を好きになったきっかけは、フィリピンで戦死した兄が吹いていた口笛でした。

吹いていた曲について兄は「僕が作った曲」と主張していたそうです。

しかし実際は戦前、アメリカで大ヒットしていた曲でした。

アメリカは敵国だったため、堂々と「アメリカの曲が好き」とは言えなかったのですね。

兄はアメリカの曲への愛を語れないまま、フィリピンで亡くなりました。

湯川さんは同じ悲劇をくり返さないために「平和を絶対に守るべき」と語り続けています。

音楽評論家としての原点となった兄の口笛の旋律は、いつまでも耳の奥に残っていたに違いありません。

湯川れい子の病気はC型肝炎

湯川さんはおよそ50年もの間、C型肝炎という病気と闘っていました。

C型肝炎ウイルス(HCV)が感染して起こる肝臓の病気で、多くの場合、自覚症状がありません。

しかし数十年後には肝がんに発展する恐ろしい病気です。

湯川さんは21歳のとき、腹膜炎の手術で輸血を受けたことが原因となり感染しました。

長年病名がわからず、顔中に黄疸が出る症状などに苦しみます。

1994年、C型肝炎ウイルスが発見されたことで、58歳にして病名を知りました。


当時は特効薬がなく、治療に時間がかかり、ようやく完治したのは70歳のとき。

完治までの間に夫の借金や浮気、病気が原因による息子との別れなど、苦しい出来事が多くありました。

それでも湯川さんは音楽を救いに生き続け、見事に病気に打ち勝ったのです。

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