黒柳徹子の母は随筆家&父は音楽家。3人の弟と家族、家系図まとめ

テレビ界の黎明期から活躍してきたタレントの黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さん。

実は母がエッセイスト、父がヴァイオリニストという芸術家一族の一員でした。

今回は徹子さんの両親と、弟について確認し、家族情報と家系図をまとめましょう。

黒柳徹子のプロフィール

愛称:トットちゃん、チャック

本名:黒柳徹子

生年月日:1933年8月9日

身長:163cm

出身地:東京都

最終学歴:東洋音楽学校声楽科(現在の東京音楽大学)

所属事務所:吉田名保美事務所

母はエッセイストの黒柳朝

徹子さんの母は、エッセイストとして活動した黒柳朝(くろやなぎ ちょう)さんです。


キリスト教徒としても知られました。

1910年生まれの北海道出身ですが、音楽教師にすすめられ、17歳で上京。

後に徹子さんも学ぶ、東洋音楽学校声楽科に入学しました。

著書『トットちゃんと私』には、結婚により音楽学校を中退し、二男二女をもうけたという記述があります。

ただ長男の明兒(めいじ)さんは、1944年、敗血症により亡くなったそうです。

同年、夫が中国戦線へ出征。

翌年の東京大空襲を機に青森県の諏訪ノ平へ疎開、野菜の行商で家計を支えました。

夫の帰還後、47歳で三男の貴之(たかし)さんを出産しています。

自伝的エッセイである、『チョッちゃんが行くわよ』はベストセラーとなり、エッセイストとしても活躍しました。

彼女の著作をもとにしたのが、NHK連続テレビ小説『チョッちゃん』です。

さらに自伝の『チョッちゃん物語』はアニメ映画にもなっています。

2006年、心不全により97歳で亡くなり、残念ながら100歳には至りませんでした。

しかし同年、徹子さんが聞き手になってまとめた、最後の著書である『チョッちゃんは、もうじき100歳』が刊行。

激動の時代を、力強く生き抜いた女性だったことがうかがえます。

徹子さんは母のことを、いつまでも尊敬しているはず。

自身も母の母校で声楽を学び、卒業することで、中退せざるを得なかった母の目標を達成したのでしょう。

父はヴァイオリニストの黒柳守綱

徹子さんの父は、ヴァイオリニストの黒柳守綱さんです。

NHK交響楽団の前身である「新交響楽団」で、首席ヴァイオリニストでした。

プロ奏者の中でも、かなりの腕前だったことがわかりますね。

1937年には同楽団のコンサートマスターになりました。

妻の朝さんと出会ったのは、一緒にベートーヴェンの『第九交響曲』を演奏した時のこと。

当時学生だった彼女を、半ば強引に喫茶店へ連れて行き、夜が更けるまで話し込んだそうです。

そのまま結婚したという2人。

朝さんは学校を卒業できず、やや不満だったようです。

それでも守綱さんが、強く迫ったに違いありません。

ただ1つも彼に惹かれる点がなければ、そのまま結婚することはなかったでしょう。

きっとすてきな男性だったのかもしれませんね。

1942年、満州国に派遣されると、現地で演奏活動を行います。

44年には召集され、満州へ出征、終戦後はシベリア抑留という過酷な体験をしました。

抑留中にも「沿海州楽劇団」の一員として、日本軍捕虜収容所の慰問を行っています。

49年、無事帰還した後は、東京交響楽団でコンサートマスターとして活躍しました。


また54年の映画『ゴジラ』では、伊福部昭によるテーマ曲の演奏に参加しています。

83年に、74歳で亡くなるまで、音楽界で活躍しました。

徹子さんは両親から、芸能界で生き抜くのに必要な、高い表現力を受け継いだといえるでしょう。

黒柳徹子と3人の弟

徹子さんには明兒さん、紀明さん、貴之さんという3人の弟がいました。

明兒さんは夭折しましたが、後の2人は成人しています。

1940年生まれの紀明さんは、父と同じヴァイオリニストの道を選びました。

桐朋学園芸術短期大学を中退し、読売日本交響楽団へ入団。

ベルリン芸術大学留学を経て、NHK交響楽団に入団しています。

退団後は、フロイデフィルハーモニーで、第二ヴァイオリンのトップを担当しました。

「あんさんぶる」という音楽雑誌に、コラム「バヨリン弾きの休日」を連載したこともあります。

文才は母から受け継いだようですね。

貴之さんについては、謎が多いです。

1998年、覚せい剤で逮捕されたと報道されました。

しかし黒柳家の人々は、一切コメントしていません。

また情報についても不明確な点が多く、中には貴之さん自体、架空の人物ではという噂もありました。


しかし朝さんの書籍に記述があるため、徹子さんの実弟で間違いないということです。

黒柳家としては、なるべくスキャンダルにならないよう、発言を控えているのでしょう。

黒柳徹子の家族、家系図まとめ

徹子さんの家族は、以上で見てきた通り、音楽家が多いです。

ただ芸術の才能に加え、文才ある人も多く、妹の眞理さんはバレリーナでエッセイストでした。

近年はコメンテーターとしても活動し、NHK北海道の「だいすき北海道」に出演しています。

また家系図をさかのぼると、父方の祖父は医者の田口潔さん、母方の祖父は開業医の門山周通さんでした。

医者の家系ということで、インテリで才気に満ちた人が多かったはず。

しかし徹子さんは、エリート的環境に反発したかったのか、素行不良で小学校を退学させられています。


インテリ一家の反逆児という、いかにも大物になりそうな子供だったのでしょう。

個性的で多彩な一家であることがわかりましたね。

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