今では「おバカキャラ」としてお馴染みの具志堅用高(ぐしけんようこう)さん。
ですが若い頃は伝説に名を残すほどのボクサー。
今も日本史上最強のボクサーとしてその名前が挙がるほど。
ボクサーとしての凄さは若い頃から桁違い。
ただ、故郷である沖縄県への思いも強さの理由だったようです。
具志堅用高のプロフィール
本名:具志堅用高
生年月日:1955年6月26日
身長:162cm
血液型:A型
出身地:沖縄県石垣市
最終学歴:興南高等学校卒業
所属事務所:太田プロダクション
具志堅用高は伝説の世界チャンピオン
高校でボクシングを始めた具志堅用高さん
プロボクサーとしてデビューしたのは1974年のこと。
高校生の時は45kg以下のモスキート級でしたが、当時のプロで最も軽い階級は50.8kg以下のフライ級。
そのため具志堅用高さんもフライ級でデビューする事となりました。
体格やパワーに直結する体重。
適正体重が5kg重い相手と戦うという事は今で言えば1〜3階級上の相手と戦うということ。
これがどれだけ不利な状況であるかは容易に想像できますよね。
しかもデビュー戦の相手は後に全日本新人王、日本王者になるほどの強者。
そのため具志堅用高さんは苦戦を強いられますが、何とか判定で勝利。
その後のリベンジマッチでは大差の判定勝ちを収めています。
そしてその直後、フライ級の下にジュニアフライ級が新設。
これが具志堅用高さんのボクサー人生を大きく変える転機となりました。
ジュニアフライ級に転向すると4戦4勝(3KO)と圧倒的な強さを発揮。
この快進撃は留まる事を知らず、デビューから僅か9戦目で世界王座を獲得。
そして13度連続で世界王座の防衛にも成功しています。
なお、デビューから9戦目で世界王座に輝いたのは当時の国内最短記録。
2023年現在の国内最短記録はデビュー5戦目。
ただ、これは最短記録を塗り替える事を目的に早期に世界戦を行った結果と思われます。
ですが、世界王座13度防衛という記録は今も破られる事はありません。
2023年で具志堅用高さんが現役を引退してから42年。
その間、国内からは名だたる世界チャンピオンが誕生してきました。
それでも破られる事が無い連続13度防衛という記録。
連続防衛が非常に困難という事でもあり、それだけの偉業でもあるということ。
こうした活躍は世界的にも高く評価されており2015年には国際ボクシングの殿堂入りも果たしています。
ボクシング界では間違いなくレジェンドの1人である具志堅用高さん。
普段はそんな所をおくびにも出さない所も人気の秘密なのでしょうね。
沖縄への思いが強さの秘訣だった
具志堅用高さんの出身地と言えば沖縄県。
戦後も長らく米軍に統治され続け、日本に返還されたのは1972年。
それでも暫くの間は沖縄県と本土には目に見えない線引きが。
言葉や文化など、差別の対象となっていたそうです。
そんな時代にプロボクサーとして活躍した具志堅用高さん。
少しでも沖縄に対する偏見を無くしたい。
そんな思いからか試合後のインタビューではあえて沖縄の言葉で受け答えをしていたそうです。
そして具志堅用高さんが試合に勝つたびに沖縄に対する偏見は明らかに減少。
胸を張って沖縄県の出身と言える、と喜んでくれる人もいたんだとか。
その後も「自分の負けは沖縄の負け」という思いで沖縄県代表としてリングに上がり続けた具志堅用高さん。
沖縄県民の思いを背負っていたからこそ厳しい練習にも耐えられたそうです。
そして厳しい練習のおかげで伝説的な強さを発揮し続ける事が出来たのでしょう。
こうした活躍ぶりから名実ともに沖縄県を代表する存在となった具志堅用高さん。
2011年に石垣市の観光大使に任命され、2013年には石垣港離島ターミナルに銅像が設置されました。
銅像と記念写真を撮ろうと訪れる観光客も多数。
今や沖縄県を代表する人気スポットの1つとなっているようです。
引退後も沖縄県のために貢献し続ける具志堅用高さん。
いずれ県民栄誉賞の受賞も確実と言っても過言ではないかもしれません。
凄さは若い頃から突出していた
具志堅用高さんがボクシングを始めたのは高校生の頃。
当初は野球部に入部を希望するも背が低い事から叶わず。
そして選んだのがボクシング部でした。
アマチュア時代の戦績は62勝(50KO、RSC)3敗。
プロと比べKO率が低いアマチュアで80%を超えるのは驚異的なこと。
それだけ突出した才能の持ち主だったのでしょう。
実際、3年生の時にはインターハイのモスキート級で優勝も果たしています。
当時から日本中のボクシング関係者が注目する選手だった事は間違いないでしょう。
高校卒業後は体育推薦入試で合格した拓殖大学に進学予定でした。
ところがジム会長の命を受けたマネージャーの半ば強引なスカウトにより協栄ジムに入門。
プロボクサーへの道を歩む事となりました。
大学進学を諦めさせてまでジムに入門させるなんて。
恐らく「世界を目指せる逸材」と早くから狙いを定めていたのでしょう。
他のジムに盗られたくないという思いも強かったのでしょうね。
軽量級とは思えないパンチ力にパンチのスピードと連打の回転の速さ。
オフェンス、ディフェンスの勘の良さと相手に向かっていく闘争本能。
ボクサーに必要な資質を全て兼ね備えた具志堅用高さんには天才という言葉がピッタリ
後に「100年に1人の天才」というキャッチフレーズが付けられたのも納得です。
具志堅用高は日本で最強のボクサー?
2018年に雑誌で行われた「史上最強の日本人ボクサーは誰か」というアンケート。
このアンケートで1位となったのが具志堅用高さんでした。
しかも2位にランクインしたファイティング原田さんとの得票数は約3倍。
まさに圧勝と言える結果となっています。
2023年時点で日本人の現役最強ボクサーは間違いなく井上尚弥さんでしょう。
日本人で初めてPFPランキングで2位となった事からも明らかです。
そんな井上尚弥さんと現役時代の具志堅用高さんは肩を並べるという評価も。
時代や階級が違うため単純に比較する事は困難。
ただ、普通に考えるとボクシングが進化している事もあって現代のボクサーの方が強そうですよね。
ですが、具志堅用高さんには「もしかしたら」と思わせるだけの実績があります。
現役時代の試合を見るとそう思わせるだけの強さ、凄みが感じられるのも事実。
きっと今後も日本史上最強のボクサーとして名前を挙げられるはず。
そして具志堅用高さんが日本ボクシングのレベルを引き上げた事も間違いないでしょう。
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